年表 太陰暦を廃止、太陽暦を用いる 1872年、太陰暦を廃止して、太陽暦を用いる。 明治政府は1872年11月9日に太陰暦を廃止し、太陽歴を採用することを公布しました。その時に定められたのは以下の内容です。・1年を365日とし、それを12月に分けて4年ごとにうるう年をおくこと・1日を24時間とすること・旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とすること出典:国立公文書館 公文書にみる日本の歩み<< 戻る 1872.11.09 年表
人物 山内容堂/豊信(やまうちようどう/とよしげ) 幕末の外様大名。土佐藩15代藩主。官位は、従四位下・土佐守・侍従、のちに従二位・権中納言まで昇進、明治時代には麝香間祗候に列し、生前位階は正二位まで昇った。薨去後は従一位を贈位された。諱は豊信。隠居後の号は容堂。 土佐藩連枝の南邸山内家当主・山内豊著の長男。母は側室の平石氏。生誕 文政10年10月9日(1827年11月27日)命日 明治5年6月21日(1872年7月26日)<< 戻る 1872.06.21 人物
便り 円明院-福島県南相馬市 ・円明院 天台宗 福島県南相馬市原町区小浜字丸山18円明院(圓明院)は、明治5年(1872)太政官布告で修験宗が廃止されるまでは、羽黒山(山形県)を本山とする羽黒派修験に属し、旧中村藩領本司華輪山日光院末でした。 廃止後、圓明院は改宗して比叡山延暦寺の天台宗派となり現在に至っています。(リンク先より) << 戻る 1872.01.01 便り年表
便り 長久寺-山口県岩国市 ・長久寺 臨済宗天龍寺派 山口県岩国市美和町生見817明治五年に長徳寺と盛久寺とが合併して改められたものです。長徳寺は、ご本尊の地蔵菩薩は行基の作とされ、嘉元元年に郷士長野修理之助が建立し、善庵慶淑禅師を開山として創建と伝えられています。(リンク先より)※明治五年 1872年 << 戻る 1872.01.01 便り年表