1869年

人物

大村益次郎(おおむらますじろう)

幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者。維新の十傑の一人に数えられる。 長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。生誕 文政7年5月3日(1824年5月30日)命日 明治2年11月5日(1869年12月7日)<< 戻る
人物

土方歳三(ひじかたとしぞう)

幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷島政府 陸軍奉行並。 諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷島政府」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執った。生誕 天保6年(1835年)命日 明治2年5月11日(1869年6月20日)歳進院殿誠山義豊大居士<< 戻る
年表

都を東京に移す

1869年、都を東京に移す。<< 戻る
年表

版籍奉還

1869年、大名支配の土地(版)・人民(籍)を朝廷に返させる。 << 戻る
年表

四民平等

1869年、四民平等とし、新たに華族・士族・平民の制を設ける。僧侶は江戸時代までも様々な身分・家柄から出てきていたため、僧侶としてまとめてどこかの階級にあてられたわけではなく、結局、江戸時代からの身分・家柄を引き継いだ四民に分かれた。<< 戻る
年表

青厳寺・興山寺を合併し金剛峯寺と改める

明治二年(1869年)、青巌寺と興山寺が合併して真言宗の一寺院となり、高野山全体の寺号だった「金剛峯寺」を称します。<< 戻る