1683年

人物

八百屋於七(やおやおしち)

江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女である。井原西鶴の『好色五人女』に取り上げられたことで広く知られるようになり、文学や歌舞伎、文楽など芸能において多様な趣向の凝らされた諸作品の主人公になっている。八百屋お七。墓所の円乗寺にあるお七地蔵堂の八百屋於七地蔵尊は現在、縁結びのパワースポットとしても知られている。生誕 寛文8年(1668年)命日 天和3年3月28日(1683年4月24日)妙栄禅定尼<< 戻る
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宝泉寺-埼玉県所沢市

・北田山宝泉寺 真言宗豊山派 埼玉県所沢市北岩岡130山号を北田山(ほくでんざん)、院号を長寿院と称します。開山は天和3年(1683年)と伝えられていますが、150年もの長い年月に渡り住職不在のお寺だったこともあり、残念ながら過去の記録がほとんど残っていません。(リンク先より) << 戻る
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常休寺-兵庫県伊丹市

・常休寺 黄檗宗 兵庫県伊丹市中野北2-11-5承応3年(1654)に中国から渡日した隠元隆琦禅師が、寛文元年(1661)宇治に開山した黄檗山萬福寺の第2代木庵性滔和尚の弟子、慧極道明和尚によって天和3年(1683)に再勧請開山された。新田中野村は寛永7年(1630)に、浅野孫左衛門等によって開拓が始められ、以来50有余年の間、約50家族の人達によって村としての活動がなされ、村の様子も整ってきた。(リンク先より) << 戻る
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大興寺-佐賀県佐賀市

・大興寺 黄檗宗 佐賀県佐賀市神野東3-10-3佐賀藩主、鍋島光茂公、綱茂公らの熱心な帰依を受けた、黄檗開祖隠元禅師の直弟子即非禅師の法嗣、桂巖禅師を開山禅師として勧請、諫早4代領主の奥方、伊勢姫「霊光院殿聴松實操大師」を開基、諫早家の佐賀での菩提寺として、天和3年(1683)神埼の安国寺末であった即宗庵再興の許可を得、元禄16年(1703)9月、当時の寺社奉行・小城臨済宗圓通寺から大興寺の寺号を受け開かれた、京都宇治黄檗山萬福寺を大本山とする黄檗宗の末寺です。(リンク先より) << 戻る