1651年

人物

由井正雪(ゆい しょうせつ/まさゆき)

江戸時代前期の日本の軍学者。慶安の変の首謀者である。名字は油井、遊井、湯井、由比、油比と表記される場合もある。慶安4年(1651年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光の死の直後に、幕府政策への批判と浪人の救済を掲げ、宝蔵院流の槍術家丸橋忠弥、金井半兵衛、熊谷直義など各地で浪人を集めて挙兵し、幕府転覆を計画した。決起の寸前になり計画の存在を密告され、正雪は駿府の宿において町奉行の捕り方に囲まれ自刃した。首塚は静岡市葵区沓谷の菩提樹院に存在する。大名取り潰しによる浪人の増加が社会不安に結びついていることが事件の背景にあるとして、4代将軍徳川家綱以降の政治が武断政策から文治政策へ転換するきっかけの一つとな...
人物

左甚五郎(ひだりじんごろう/ひだのじんごろう)

左甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人。講談や浪曲、落語、松竹新喜劇で有名であり、左甚五郎作と伝えられる作品も各地にある。講談では地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたため、また、左利きであったために左という姓を名乗ったという説もある。生誕 文禄3年(1594年)命日 慶安4年4月28日(1651年6月16日)※諸説あり。法橋宗恵匠誉信士<< 戻る
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徳川家光(とくがわいえみつ)

江戸幕府の3代将軍。2代将軍秀忠の次男である。母は浅井長政の娘で織田信長の姪にあたる江。乳母は春日局、乳兄弟に稲葉正勝、稲葉正吉、稲葉正利がいる。 15人の徳川将軍のうち、正室の子は、家康・家光・慶喜の3人のみであり、さらに将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は家光のみである。生誕 慶長9年7月17日(1604年8月12日)命日 慶安4年4月20日(1651年6月8日)大猷院殿贈正一位大相国公<< 戻る
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香林寺-石川県金沢市

・香林寺 曹洞宗 石川県金沢市野町1-3-15慶安4年(1651)に加賀藩家老青木五兵衛が加賀藩3代藩主前田利常公に願い出て、長岩和尚を開山として建立された曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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勝明寺-兵庫県神戸市西区

・勝明寺 曹洞宗 兵庫県神戸市西区平野町西戸田818明石城主松平忠国が寺地を寄道したとのお墨付きがあり慶安四年(1651)の創建となっている。観音堂を設け、聖観音菩蕯を本尊とする。明石群三十三箇所礼所〔貞享二年(1658)より開始〕の十四番礼所として揚げられている。(リンク先より) << 戻る
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建中寺-愛知県名古屋市東区

・徳興山 建中寺 浄土宗 愛知県名古屋市東区筒井1-7-57建中寺は慶安三年(1650)に逝去した初代尾張藩主義直公(家康の九番目の息子)の菩提を弔い、尾張徳川家先祖代々の菩提寺として、また尾張藩全ての人々の心の拠り所とする為に、第二代尾張藩主徳川光友卿が、慶安四年(1651)境内地約五万坪(165,000㎡)の敷地に、本堂をはじめとして諸堂伽藍十棟を建立し、茨城県結城市弘経寺の成譽廓呑上人を招請して開山した。(リンク先より) << 戻る
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開眼寺-長野県千曲市

・開眼寺 臨済宗妙心寺派 長野県千曲市八幡中原249慶安4年(1651年)臨済宗妙心寺第一座、 龍天宗登(ろうてんそうと)大禅師が開創しました。本堂の大悲閣は元禄4年(1691年)二世 の祖英和尚により建立されました。本尊の聖観音菩薩と脇侍の阿弥陀如来と地蔵菩薩は いずれも100センチ余りの一木造りの全身金色の尊像です。(リンク先より) << 戻る
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正俊寺-大阪府枚方市

・正俊寺 曹洞宗 大阪府枚方市長尾宮前2-2-1長尾山菩提院正俊寺(しょうしゅんじ)と号し、古刹の法灯を伝えています。当寺は、慶安四年(1651年)江戸時代、河内領主久貝因幡守正世 が父である因幡守正俊を弔う為に菩提寺として創建された寺です。(リンク先より) << 戻る
年表

慶安の変

1651年、慶安の変。由井正雪を首謀者とする浪人たちが企てた幕府批判の反乱未遂事件。<< 戻る