人物 支倉常長(はせくらつねなが) 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての日本の武将。幼名は與市、初名は六右衛門長経、洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ。 慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、有色人種として唯一無二のローマ貴族、及びフランシスコ派カトリック教徒となった。生誕 1571年〈元亀2年〉命日 1622年8月7日〈元和8年7月1日〉梅安清公禅定門<< 戻る 1622.07.01 人物
便り 大英寺-長野県長野市 ・大英寺 浄土宗 長野県長野市松代町松代1314皓月山大英寺は松代藩初代の藩主 真田信之公が、その奥方であった小松姫(大蓮院殿)の菩提を弔うために建立した寺です。小松姫の戒名は「大蓮院殿英誉皓月大禅定尼」で、大英寺の名前もここからいただいております。元和8年(1622)、信之公は松城(松代)へ転封になり松城に大蓮院殿の寺を移しました。それが現在の大英寺となります。(リンク先より) << 戻る 1622.01.01 便り年表
便り 徳源寺-滋賀県甲賀市 ・徳源寺-facebook 浄土宗 滋賀県甲賀市信楽町下朝宮462㭝牛という僧が元和8(1622)年に法泉寺として開山した。その後、領主山口源助が浄土宗に改め、京都黒谷金戒光明寺に末属した。正保4(1648)年源助が亡くなった時に白龍という住職が源助の法号から寺名を徳源寺と改めた。本尊阿弥陀如来立像(木造、漆箔、古色、像高93.3cm)は、原材の丸太を彷彿とさせるような体系が特徴である。現在は、一度前後に割り放して内部にえぐった痕があるが、これは後世の所為と考えられている。10世紀後半の作品だと目されている。現在は来迎印を結んでいるが、当初は異なった施無畏・与願印だった可能性が示唆されている。... 1622.01.01 便り年表
便り 円満寺-山形県新庄市 ・円満寺 真言宗智山派 山形県新庄市五日町5914昔は、秋田県西仙北郡小杉村にありました。初代新庄藩主戸沢政盛公の国替えにより、常州松岡(茨城県高萩市)から、元和八年(1622年)に新庄に移ってきました。(リンク先より) << 戻る 1622.01.01 便り年表