1615年

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傑山寺-宮城県白石市

・傑山寺 臨済宗妙心寺派 宮城県白石市南町2-7-20山号 常英山(じょうえいざん)寺号 傑山寺(けっさんじ)宗派 臨済宗妙心寺派開基 初代片倉小十郎景綱公 元和元年(1615)10月14日没第四世住職 泰巌宗哦和尚禅師 戒名 「傑山常英大禅定門」諡(おくりな)「傑山寺殿俊翁常英大居士」開山 臨済宗妙心寺派 天心智寛大和尚 慶長13年(1608年)本尊 拈華釈迦如来立像脇本尊 迦葉尊者(本尊に向かって右側)阿難尊者(本尊に向かって左側)四天王 東方に持国天 南方に増長天 西方に広目天 北方に多聞天(毘沙門天)(リンク先より) << 戻る
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古田織部(ふるたおりべ/重然/しげなり)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、茶人、芸術家。通称は古田織部。豊臣秀吉・徳川家康の茶堂、徳川秀忠の茶の湯指南役。茶道織部流の祖。江戸幕府の御茶吟味役。柳営茶道の祖。南山城・東大和1万石の大名。官位は従五位下織部助。生誕 天文12年(1543年)命日 慶長20年6月11日(1615年7月6日)金甫宗屋禅人<< 戻る
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海北友松(かいほうゆうしょう)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。姓は源氏、友松は字。近江の湖北地区に生まれる。名ははじめ「友徳」。「紹益」とも。「如切斎」「有景斎」などと号した。子に同じく絵師の海北友雪。建仁寺本坊大方丈障壁画 、琴棋書画図。生誕 天文2年(1533年)命日 慶長20年6月2日(1615年6月27日)<< 戻る
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長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)

安土桃山時代から江戸時代前期の土佐国の大名・武将。長宗我部氏第22代当主。長宗我部元親の四男。戦国大名としての長宗我部氏の最後の当主。父・元親の死後に長宗我部家の家督を継ぐ。関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。また、京都府京都市下京区の蓮光寺境内には土佐の大名である長宗我部盛親のお墓があります。盛親公は長曾我部家の再起を期して、京洛の地に大岩祐夢と号して寺子屋を営んでいました。この間に蓮光寺の住職、蓮光上人と親交があったといいます。大坂夏の陣に敗れ、六条河原で斬首されるや蓮光上人は所司代板倉勝重に請い、首級を蓮光寺の墓地に葬って供養しました。生誕 天正...
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豊臣秀頼(とよとみひでより)

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。太閤・豊臣秀吉の三男で庶子。 秀吉の側室であった茶々の第二子。子は側室・和期の方との間に国松と、小石の方との間に天秀尼。位階は正二位、官職は右大臣。幼名は拾丸。なお、豊臣とは名字ではなく、本姓である。乳母は宮内卿局・右京大夫局・正栄尼が伝わる。生誕 文禄2年8月3日(1593年8月29日)命日 慶長20年5月8日(1615年6月4日)帰寂山高陽寺殿秀山大居士<< 戻る
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真田幸村(さなだゆきむら/信繁/のぶしげ)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎。真田幸村の名で広く知られている。豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。今でも多くの人に愛され続けている。生誕 永禄10年(1567年)または、元亀元年(1570年)...
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後藤基次(ごとうもとつぐ)- 後藤又兵衛

安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は後藤 又兵衛。黒田孝高、黒田長政、豊臣秀頼に仕え数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで豪傑として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。生誕 永禄3年4月10日(1560年5月5日)命日 慶長20年5月6日(1615年6月2日)西照院殿夏安道蓮大居士心岩宗伝居士(福岡金龍寺過去帳)<< 戻る
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江巖寺-宮城県仙台市青葉区

・江巖寺 曹洞宗 宮城県仙台市青葉区柏木3-7-40政宗43歳、晩年に近づいていた政宗は、落ち着いた人情味を持ち、子供を思う気持ちが一段と強くなっていた。7歳といえば可愛い盛りである。そういう時に竹松丸君は夭折した。1615(元和元年)年3月18日のことである。 江巖寺開山鱗庵光 金大和尚(輪王寺十世)の導師にて慇勤に葬儀を営み「江巖寺殿惠春大禅定門」と法諡(おくりな)したが、政宗その死をいたく悲しんでいとけなき 人は見果し ゆめかとよ うつつに残る 老の身のうきと詠じ、竹松丸の菩提を弔うため一寺を創建して、微笑山江巖寺と号した。(リンク先より)<< 戻る
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慈眼寺-愛媛県新居浜市

・慈眼寺 曹洞宗 愛媛県新居浜市西の土居町2-16-47口碑によれば当時、金子備後守元宅は東予全軍の指揮をとるため高尾城(西条市氷見)に行き、兄に代わって金子城を守っていた弟の対馬守元春は、落城後戦で亡くなった人達の菩提を弔うため仏門に入り、奥州(福島県いわき市)の長源寺へ行き卓眼和尚の下で修行を積み、後に故郷の地に帰って生残りの者や戦死した子孫と力を合わせ、この戦で亡くなった将士の菩提を弔うため、金子城の館跡に一寺を建立し、松樹林正法山慈眼寺と呼びました。時は元和年間と伝えられており、また関庵本微和尚は対馬守元春の後身といわれております。(リンク先より)※元和年間 1615年から1624年 ...
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緑泉寺-東京都台東区

・浅草・湯島山 緑泉寺 浄土真宗東本願寺派 東京都台東区西浅草1-8-5当山は、初代覺春法師が越前の国より江戸に下り、元和元年(1615年)本郷湯島(現在の文京区湯島)に湯島山緑泉寺として興したことによりはじまりました。しかし明暦3年正月、俗に言う振袖火事により類焼、当山もことごとく焼失しました。その後浅草に遷り、今日まで連綿と法燈を継いでまいりました。(リンク先より) << 戻る
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高音寺-宮城県亘理郡

・高音寺 曹洞宗 宮城県亘理郡亘理町逢隈十文字字牛頭190紅梅山 高音寺(こうばいさん こうおんじ)開創 1615年(元和3年)開山 大雄寺5世仲巖文堂大和尚(リンク先より) << 戻る
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宗禅寺-東京都羽村市

・宗禅寺 臨済宗建長寺派 東京都羽村市川崎2-8-20歴史開創1615年(元和元年)。現在の川崎会館、玉川上水付近にあったと思われます。(リンク先より) << 戻る
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盛岩寺-新潟県新潟市秋葉区

・盛岩寺 曹洞宗 新潟県新潟市秋葉区大安寺815元和元年(1615年)開山。2015年に開山400年を迎えた曹洞宗の古刹。本寺は五泉市の(旧村松町滝谷)慈光寺で末寺一寺を持つ。先代英鳳紀典和尚が新潟市江南区の(旧横越町沢梅)大榮寺の住職になり(リンク先より) << 戻る
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善徳寺-岐阜県岐阜市

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県岐阜市加納柳町33もとは岐阜市西川手の地に発祥しましたが、 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5(1600)年の翌年、慶長6(1601)年に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。(リンク先より) << 戻る
年表

徳川幕府が武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める

1615年、徳川幕府が武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める。<< 戻る
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徳念寺-東京都葛飾区

・徳念寺 真宗大谷派 東京都葛飾区立石7-11-32林光山徳念寺は、芝金杉の東本願寺抱地に元和元年(1615)創建しました。<< 戻る
年表

大阪夏の陣

1615年、大阪夏の陣。豊臣氏が徳川氏に滅ぼされる。<< 戻る