1615年

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古田織部(ふるたおりべ/重然/しげなり)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、茶人、芸術家。通称は古田織部。豊臣秀吉・徳川家康の茶堂、徳川秀忠の茶の湯指南役。茶道織部流の祖。江戸幕府の御茶吟味役。柳営茶道の祖。南山城・東大和1万石の大名。官位は従五位下織部助。生誕 天文12年(1543年)命日 慶長20年6月11日(1615年7月6日)金甫宗屋禅人<< 戻る
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海北友松(かいほうゆうしょう)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。姓は源氏、友松は字。近江の湖北地区に生まれる。名ははじめ「友徳」。「紹益」とも。「如切斎」「有景斎」などと号した。子に同じく絵師の海北友雪。建仁寺本坊大方丈障壁画 、琴棋書画図。生誕 天文2年(1533年)命日 慶長20年6月2日(1615年6月27日)<< 戻る
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長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)

安土桃山時代から江戸時代前期の土佐国の大名・武将。長宗我部氏第22代当主。長宗我部元親の四男。戦国大名としての長宗我部氏の最後の当主。父・元親の死後に長宗我部家の家督を継ぐ。関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。また、京都府京都市下京区の蓮光寺境内には土佐の大名である長宗我部盛親のお墓があります。盛親公は長曾我部家の再起を期して、京洛の地に大岩祐夢と号して寺子屋を営んでいました。この間に蓮光寺の住職、蓮光上人と親交があったといいます。大坂夏の陣に敗れ、六条河原で斬首されるや蓮光上人は所司代板倉勝重に請い、首級を蓮光寺の墓地に葬って供養しました。生誕 天正...
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豊臣秀頼(とよとみひでより)

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。太閤・豊臣秀吉の三男で庶子。 秀吉の側室であった茶々の第二子。子は側室・和期の方との間に国松と、小石の方との間に天秀尼。位階は正二位、官職は右大臣。幼名は拾丸。なお、豊臣とは名字ではなく、本姓である。乳母は宮内卿局・右京大夫局・正栄尼が伝わる。生誕 文禄2年8月3日(1593年8月29日)命日 慶長20年5月8日(1615年6月4日)帰寂山高陽寺殿秀山大居士<< 戻る
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真田幸村(さなだゆきむら/信繁/のぶしげ)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎。真田幸村の名で広く知られている。豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。今でも多くの人に愛され続けている。生誕 永禄10年(1567年)または、元亀元年(1570年)...
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後藤基次(ごとうもとつぐ)- 後藤又兵衛

安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は後藤 又兵衛。黒田孝高、黒田長政、豊臣秀頼に仕え数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで豪傑として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。生誕 永禄3年4月10日(1560年5月5日)命日 慶長20年5月6日(1615年6月2日)西照院殿夏安道蓮大居士心岩宗伝居士(福岡金龍寺過去帳)<< 戻る