1609年

人物

京極高次(きょうごくたかつぐ)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。若狭国小浜藩初代藩主。京極氏は北近江の守護で本来は浅井氏の主筋に当たるが、臣下の浅井氏の下克上を受け、高次はその庇護のもと、浅井の居城内で生まれた。妹(姉との説もある)・竜子(松の丸(京極)殿)が豊臣秀吉の側室となり、また淀殿の妹の初(常高院)を正室とした。そのため彼女たちの七光りで出世したとされ、蛍大名と囁かれた。大津城の戦いでは、居城の大津城に篭もって1万人を超える西軍の軍勢を食い止め、関ヶ原の戦いの主戦場へと向かわせなかった。戦後、その功により若狭一国を与えられて国持大名となり、弟・高知と並んで京極家を再興し、近世大名家としての礎を固めた...
便り

実相寺-群馬県邑楽郡

・実相寺 真言宗豊山派 群馬県邑楽郡板倉町板倉甲1678慶長14年(1609年)徳川2代将軍秀忠公による伊奈良沼の白鳥鉄砲狩りの為、沼のほとりにある実相寺外農家18軒が移転した。これより遡る事11年、慶長3年あの栄華を極めた豊臣秀吉が五大老(徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家)に秀頼を託し死去。秀吉の願いとは裏腹に、死去して2年後の慶長5年に関ヶ原の役起こり、東軍(徳川方)は西軍(石田光成方・実質は秀頼方)を破る。(リンク先より) << 戻る
便り

徳成寺-香川県高松市

・徳成寺 真宗大谷派 香川県高松市番町2-13-25慶長14年・1609年、ちょうど江戸時代が始まった頃、利慶さんというお坊さんがお寺を建てました。そのお寺が徳成寺です。それ以来、高松藩のお殿様、松平家のおかかえ寺になり、お米をもらったり、佛事にも呼ばれてお勤めしていたようです。(リンク先より) << 戻る
年表

オランダの商館を平戸におき、オランダと貿易を始める

1609年、オランダの商館を平戸(長崎県)におき、オランダと貿易を始める。<< 戻る