1554年

人物

山崎宗鑑(やまざきそうかん)

戦国時代の連歌師・俳諧作者。近江国の志那町。近江国栗太郡志那村(後の常盤村、現草津市志那町)に生まれ、幼少時より室町幕府9代将軍足利義尚に仕え、一休宗純とも親しくよく連れ立って志那に来たと伝えられている。義尚が鈎の陣で没し(延徳元年、1489年)、無常を感じ出家した。摂津国尼崎または山城国薪村に隠棲し、その後淀川河畔の山城国(摂津国?)山崎に庵「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。現在大阪府島本町山崎に「宗鑑井戸」「宗鑑旧居跡」が残されている。大永3年(1523年)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528年)に讃岐国(香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結びそこで生涯を終えた。「一夜庵」の名...
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修善院常福寺-福岡県北九州市若松区

・修善院常福寺 浄土宗 福岡県北九州市若松区小竹715浄土宗鎮西派に属し 天文二十三年(1554年)七月 念譽行明上人これを開基すその後天明の初年(1781年) 火災の為 堂宇灰燼にきし寛政三年(1791年)五月九日第十三世純譽香圓和尚これを再建せり現存のものこれなり(リンク先より) << 戻る
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傑岑寺-栃木県栃木市

・傑岑寺 曹洞宗 栃木県栃木市皆川城内町1732-1建幢山傑岑寺(けんどうざん けっしんじ)は、皆川の領主皆川山城守俊宗が、居城の堀の外に西接する谷津山に、天文二十三年(1554)堂宇を建立したのが開基です。弘治二年(1556)に富田壮(大平町)西山田の大中寺六世快叟良慶禅師の高弟であった天嶺呑補和尚を招請して開堂したときをもって開山としています。(リンク先より) << 戻る
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報恩寺-静岡県浜松市浜北区

・報恩寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区宮口1344-1天文23年(1554)開創の寺院。山門は醤油屋長屋門を移設したもの。<< 戻る