1473年

人物

細川勝元(ほそかわかつもと)

室町時代中期の武将・守護大名。室町幕府16・18・21代管領。土佐国・讃岐国・丹波国・摂津国・伊予国守護。細川京兆家11代当主。応仁の乱の東軍総大将として知られている。生誕 永享2年(1430年)命日 文明5年5月11日(1473年6月6日)龍安寺殿宗寶仁榮大居士<< 戻る
人物

山名宗全(やまなそうぜん/持豊/もちとよ)

室町時代の武将、守護大名。家系は新田氏庶流の山名氏。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清の娘。諱は持豊で、宗全は出家後の法名。応仁の乱の西軍の総大将として知られ、西軍の諸将からは宗全入道または赤入道と呼ばれていた。生誕 応永11年5月29日(1404年7月6日)命日 文明5年3月18日(1473年4月15日)達碧院殿最高宗峯大居士<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

蓮如、『正信偈』・『三帖和讃』開板

1473(文明五)年3月、蓮如上人、『正信偈』・『三帖和讃』開板。<< 戻る
便り

徳性寺-石川県加賀市

・徳性寺 浄土真宗本願寺派 石川県加賀市山中温泉菅谷町ヘ30当寺の「御旧跡略縁起」「天保由緒書」によりますと、往古は天台宗豊原三千坊の一宇で西潟の西芳寺と称したとあります。本願寺の八代目、蓮如上人が加賀越前の境の吉崎に滞在中、文明五年(1473)加賀の山中温泉ご入湯の途中、当菅谷村に立ち寄られました。上人は越前藤島の超勝寺より、国境の大内峠を越えて、当寺の前の石に腰を掛け休憩されました。(リンク先より) << 戻る
便り

妙行寺-福岡県福岡市南区

・妙行寺 単立 福岡県福岡市南区野間4-33-38当寺は往昔天台宗盧原道場と称し、創建以来世々博多市街の中心部に位置していた。文明5年時の住僧良言が、本願寺蓮如上人に帰依して真宗となり、妙行寺の寺号を授与された。当寺では、改宗した良言を以て中興第一世住職としている。(リンク先より)※文明5年 1473年 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

善興寺第41世俊乗法師と蓮如上人

文明5年(1473)、善興寺第41世俊乗法師は、越前吉崎を拠点に北陸地方を巡教していた本願寺第8世の蓮如上人の教化に遇い、浄土真宗に帰依します。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『正信偈』(しょうしんげ)

『正信偈』とは略称で、正式には『正信念仏偈』(しょうしんねんぶつげ)といい、親鸞聖人の著書『教行信証』の「行巻」の末尾にある偈文です。全ての人に同じ心になってもらいたいという親鸞聖人の想いから、七言60行120句の偈文にまとめられたものです。浄土真宗で『正信偈』をお勤めするようになったのは、本願寺第8世蓮如上人(1415~1499年)が越前の吉崎(福井県あわら市吉崎)にいた文明5年(1473年)からです。それまでの浄土真宗では、善導大師の『六時礼讃』を日常のお勤めとしていたのを改め、親鸞聖人の『正信偈』と『三帖和讃』とを合わせて木版で印刷・出版し、僧侶・門徒がともに朝夕の勤行として読誦するよう...