1405年

人物

絶海中津(ぜっかいちゅうしん)

絶海中津とは、南北朝時代から室町時代前期にかけての臨済宗の禅僧・漢詩人。道号は絶海のほかに要関、堅子、蕉堅道人など多数あります。 中津は諱。足利義満・足利義持などの二代の将軍をはじめ、多くの有力な守護大名、また朝廷においても伏見宮栄仁親王らの帰依を受け、臨済宗夢窓派の発展に寄与しました。四六文の作法を明から日本へ伝え、五山禅林に流布させました。後小松天皇や称光天皇らも中津に帰依した人物の一人であり、その死後に前者は仏智広照国師、後者は聖国師という勅命による追贈を行ないました。また、『絶海和尚語録』や『蕉堅藁』(詩文集)などの著作が伝わっています。生誕 建武元年11月13日(1334年12月9日...
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誕生院-佐賀県鹿島市

・誕生院 新義真言宗 佐賀県鹿島市大字納富分2011誕生院は真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の誕生の地に建てられた寺院です。後亀山天皇の明徳年中足利三代将軍義満公の発願により、後小松天皇の応永十二年沙門定成上人によって創建されたもので、堂塔完備の大伽藍であったことが想像されますが、戦国時代永禄元年兵火に罹って廃滅。(リンク先より)※応永十二年 1405年 << 戻る
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荘厳寺-京都府京都市下京区

・荘厳寺 時宗 京都府京都市下京区富小路通五条南入本塩竃町592-2荘厳寺は、応永12年(1405)遊行11代自空上人の弟子義縁和尚の創建です。かつては、高辻の北側・油小路堀川の間・東西72間・南北45間半(明治初年以来の明細書)あり、高辻道場佛光山荘厳寺と呼びました。同時に法性寺中将親信を始め、諸人の寄進により数多くの寺領を有りしていました。(リンク先より) << 戻る