人物 細川頼之(ほそかわよりゆき) 南北朝時代から室町時代初期にかけての守護大名、室町幕府管領。官位は従四位下、始め武蔵守、相模守。細川氏の祖義季から直系で数えて6代目に当たる。 観応の擾乱では将軍(足利尊氏)方に属し、四国に下向して阿波・讃岐・伊予などの南朝方と戦った。生誕 元徳元年(1329年)命日 元中9年/明徳3年3月2日(1392年3月25日)永泰院殿桂巌常久大居士<< 戻る 1392.03.02 人物
便り 宗鏡寺-兵庫県豊岡市 ・宗鏡寺 臨済宗大徳寺派 兵庫県豊岡市出石町東條33開基は、当時の出石城主で山名陸奥守氏清公であり、寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」を以って名づけたと伝えられ、1392年に建てられました。山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、織田信長の但馬征伐で山名家が滅び、寺もまた荒廃しました。(リンク先より) << 戻る 1392.01.01 便り年表
便り 円泉寺-東京都世田谷区 ・円泉寺 真言宗豊山派 東京都世田谷区太子堂3-30-8聖王山法明院円泉寺の草創は、遅くとも 南北朝時代 末期(~1392)のころには、太子堂ならびに小堂(円泉寺前身・円泉坊)が結ばれていたものと推察され、 文禄4年(1595)、 賢惠(けんけい)大和尚によって中興がなされました。(リンク先より) << 戻る 1392.01.01 便り年表
年表 南北朝の合一 1392年、南北朝の合一。次第に北朝・幕府側の力が強まり、南朝側の武士は少なくなり、3代将軍足利義満は南朝と講和して京都で一つの朝廷になるようにした。<< 戻る 1392.01.01 年表
仏教を本気で学ぶ 相国寺派(本山相国寺(京都))の開派 南朝 : 元中9・北朝 : 明徳3(1392)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗相国寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る 1392.01.01 仏教を本気で学ぶ年表