1336年

人物

楠木正成(くすのきまさしげ)

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。出自不詳。自称は橘氏後裔。息子に正行、正時、正儀。 元弘の乱で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らと共に天皇を助けた。延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家と共に南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。南北朝時代・戦国時代・江戸時代を通じて日本史上最大の軍事的天才との評価を一貫して受け、「三徳兼備」(『太平記』、儒学思想上最高の英雄...
便り

常福寺-茨城県那珂市

・常福寺 浄土宗 茨城県那珂市瓜連1222南北朝時代の延元年中(1336~1339)に了実上人によって開山。その後第二世了誉上人の嘉慶2年(1388)の僧坊が焼失したため瓜連城址に移転し、応永12年(1405)に再建された。その背景には佐竹氏の援助があった。(リンク先より) << 戻る
年表

南北朝の対立

1336年、南北朝の対立。南朝・・・後醍醐天皇は吉野にのがれ、そこで政治を続けようとした。北朝・・・京都に入った足利尊氏は、新しい天皇をむかえた。<< 戻る