1332年

人物

京極為兼(きょうごくためかね)

鎌倉時代後期の公卿・歌人。名前の読みを「ためかぬ」とする説もある。 生涯. 京極家の祖・京極為教の子に生まれる。幼少時の初学期から従兄の為世と共に祖父為家から和歌を学ぶ。『玉葉和歌集』『風雅和歌集』に和歌が入集している。なお歌論書としては為兼卿和歌抄が知られる。生誕 建長6年(1254年)命日 元徳4年/元弘2年3月21日(1332年4月16日)<< 戻る
便り

妙光寺-愛知県一宮市

・妙光寺 臨済宗妙心寺派 愛知県一宮市大字笹野字宮西1260正慶元年(1332年)義海和尚が鎌倉の円覚寺より来て、一山を開いたことが始まりです。橘康武氏が永和四年(1378年)、寺の所領として田畑を寄進しました。それにより、萬松山と号し、寺号を妙光寺としました。永正元年(1504年)に、京都妙心寺の蘭室和尚の弟子の笑溪和尚が住職となり、以降五百年に渡り臨済禅の法燈を脈々と受け継いでまいりました。(リンク先より) << 戻る
年表

後醍醐天皇が隠岐に流される

1332年、後醍醐天皇が隠岐に流される。<< 戻る