12月28日

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12月の出来事/有名人の誕生日・命日

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12月28日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 1月3日二七日忌 1月10日三七日忌 1月17日四七日忌 1月24日五七日忌・35日法要 1月31日六七日忌 2月7日七七日忌・満中陰・四十九日法要 2月14日百箇日忌 4月6日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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石原裕次郎(いしはらゆうじろう)

俳優、歌手。石原プロモーション創立者で、初代代表取締役社長兼会長。代表的な出演映画『太陽の季節』『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』『銀座の恋の物語』代表的な出演テレビドラマ『太陽にほえろ!』『大都会』シリーズ、『西部警察』シリーズ横浜鶴見の大本山總持寺に墓所があり、多くのファンがお参りに訪れる。生誕 1934年(昭和9年)12月28日命日 1987年(昭和62年)7月17日陽光院天真寛裕大居士<< 戻る
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三島海雲(みしまかいうん)- カルピスの誕生

明治・大正・昭和時代の実業家。特にカルピス株式会社の創業者として著名。三島海雲は、現在の大阪府箕面市にある教学寺の三島法城の長男として生まれました。西本願寺文学寮で学んだ後、英語の教師になった海雲は、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入しましたが、入学後間もなくの1902(明治35)年、大学からのすすめもあり中国へ渡ります。1905(明治38)年から雑貨商の事業を手がけるようになり、ある時、内モンゴルの地を訪れました。長旅の疲れですっかり胃腸が弱り、体調を崩していましたが、酸乳や馬乳酒といった乳酸菌を用いた飲料を飲んでいるうちに胃腸の調子が良くなり、体調も回復したといいます。1915(大正4)年、...
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井植歳男(いうえとしお)

実業家。三洋電機株式会社の創業者。松下電気器具製作所(松下電器産業を経て、現・パナソニック)の創業メンバーで、元専務取締役。生誕 1902年12月28日命日 1969年7月16日<< 戻る
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佐野常民(さのつねたみ)

武士、政治家。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。栄典は正二位勲一等伯爵。「佐賀の七賢人」の1人。名は栄寿、栄寿左衛門。生誕 1823年2月8日(文政5年12月28日)命日 1902年(明治35年)12月7日<< 戻る
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伊東玄朴(いとうげんぼく)

江戸時代末期(幕末)から明治にかけての蘭方医。江戸幕府奥医師。名は淵。近代医学の祖で、漢方医が主流の中で、官医界における蘭方の地位を確立。伊東玄朴の墓は台東区谷中の天竜院にある。生誕 寛政12年12月28日(1801年2月11日)命日 明治4年1月2日(1871年2月20日)師天院素行然僕居士<< 戻る
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無住(むじゅう)

鎌倉時代後期の僧。字は道暁、号は一円。宇都宮頼綱の妻の甥。臨済宗の僧侶と解されることが多いが、当時より「八宗兼学」として知られ、真言宗や律宗の僧侶と位置づける説もある他、天台宗・浄土宗・法相宗にも深く通じていた。 梶原氏の出身と伝えられる。『沙石集』は54歳の時に執筆し、数年かけて5巻を完成させたが、死ぬまで手を加え続けた結果、全10巻となった。上野国の長楽寺を開き、武蔵国の慈光寺の梵鐘をつくり、1262年(弘長2年)に尾張国長母寺(ちょうぼじ)を開創してそこに住し、80歳の時、寺内桃尾軒に隠居している。和歌即陀羅尼論を提唱し、「話芸の祖」ともされる。生誕 1227年1月17日(嘉禄2年12月...
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松殿基房(まつどのもとふさ)- 藤原基房(ふじわらのもとふさ)

平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。実名は藤原基房。藤原北家、関白・藤原忠通の五男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣。松殿家の祖。 松殿・菩提院・中山を号す。通称は松殿関白。生誕 天養元年(1144年)/久安元年(1145年)命日 寛喜2年12月28日(1231年2月1日)菩提院松殿中山基房大居士<< 戻る