1128年

人物

藤原清衡(ふじわらのきよひら)

平安時代後期の武将で奥州藤原氏初代当主。天仁元年(1108年)、鳥羽上皇の勅宣により藤原基衡が出羽国最上郡(現・山形県寒河江市)の慈恩寺を再興したという(『瑞宝山慈恩寺伽藍記』)。阿弥陀堂(常行堂)・釈迦堂(一切経堂)・丈六堂を新造し、鳥羽院より下賜された阿弥陀三尊を阿弥陀堂に、釈迦三尊と下賜された一切経五千余巻を釈迦堂に、基衡が奉納した丈六尺の釈迦像を丈六堂に安置した。ただし、基衡は1100年前後の生まれと目されるため実際には清衡が再興したか、再興年に誤りがあるとみられる。生誕 天喜4年(1056年)命日 大治3年7月13日(1128年8月10日)<< 戻る
便り

川崎大師(平間寺)-神奈川県川崎市川崎区

・川崎大師(平間寺) 真言宗智山派 神奈川県川崎市川崎区大師町4-48崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、ようやくこの川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。(中略)兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。それは、大師の尊いお像でした。兼乗は随喜してこのお像を浄め、ささやかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、供養をおこたりませんでした。その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、...
便り

東光寺-埼玉県さいたま市大宮区

・禅寺 東光寺 曹洞宗 埼玉県さいたま市大宮区宮町3-6大宮山東光寺は大治3年(1128)頃、紀伊国(現和歌山県)熊野那智山の天台宗の寺院・青岸渡寺光明坊の僧侶・宥慶阿闍梨ゆうけいあじゃりが関東へ下った際、足立原に宿泊し、大宮黒塚(氷川神社の東側、現・産業道路脇)において旅人の肉を食う悪鬼が住んでいることを聞き、法力によってその悪鬼を退治し、その側に坊舎(庵)を建立し、東光坊と号して庶民救済のために開いたのが草創です。(リンク先より) << 戻る