
10月16日


大山のぶ代(おおやまのぶよ)
テレビアニメ『ドラえもん』にて、ドラえもんの声を1979年から2005年まで約26年間にわたり担当した。女優、声優、歌手、脚本家、エッセイスト、タレント。夫はタレントの砂川啓介。71歳だった2005年3月に他の主要キャストと共に『ドラえもん』の声優から勇退。26年間務めた役を次の世代に託した。最後のアフレコを終え、「ドラえもんは私の子供というか、身内。ドラえもんは私の中にいつもいますから、寂しさはあまり感じていません」と語るなど、子供のいなかった大山さんにとってドラえもんは愛するわが子同然だったようです。生誕 1933年〈昭和8年〉10月16日命日 2024年〈令和6年〉9月29日<< 戻る

10月16日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 10月22日二七日忌 10月29日三七日忌 11月5日四七日忌 11月12日五七日忌・35日法要 11月19日六七日忌 11月26日七七日忌・満中陰・四十九日法要 12月3日百箇日忌 1月23日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

團勝磨(だんかつま)
発生生物学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。理学博士。生誕 1904年10月16日命日 1996年5月18日重誓院範誉教順居士<< 戻る

黒田清隆(くろだきよたか)
武士、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍中将。栄典は従一位大勲位伯爵。通称は仲太郎、了介。 薩摩藩士として、幕末に薩長同盟のため奔走し、明治元年から明治2年の戊辰戦争に際しては北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮を執った。生誕 1840年11月9日〈天保11年10月16日〉命日 1900年〈明治33年〉8月23日<< 戻る

長野主膳(ながのしゅぜん)
江戸時代末期の国学者で、大老・井伊直弼の家臣。通称は初め主馬、のち主膳。諱は義言。桃之舎と号した。伊勢国飯高郡滝村(たきのむら)の住人である長野次郎祐の弟で、先祖は上州長野氏とされる。しかし、これは戸籍だけのことで出自、経歴とも25歳になるまでの一切はわかっていない。歴史に登場するのは天保10年(1839年)、滝野村の滝野次郎左衛門宅に寓居したときからである。天保12年(1841年)、次郎左衛門の妹で6歳年上の瀧女(たきめ、多紀とも)と結婚し、夫婦は京都、伊勢、美濃、尾張、三河を遊歴した。同年12月に近江国坂田郡の市場村にしばらくいたが、翌年には伊吹山麓にある志賀谷村の阿原忠之進宅に寓居する。...

阿部正弘(あべまさひろ)
江戸時代末期の備後国福山藩7代藩主。江戸幕府の老中首座を務め、幕末の動乱期にあって安政の改革を断行した。阿部宗家第11代当主。生誕 文政2年10月16日(1819年12月3日)命日 安政4年6月17日(1857年8月6日)良徳院殿高誉信義節道大居士<< 戻る

藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
飛鳥時代の政治家。日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖。 大化の改新の中心人物であり、改新後も中大兄皇子の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた。『藤氏家伝』には「偉雅、風姿特秀」と記されている。字は仲郎。元々は中臣氏の一族で初期の頃には中臣 鎌子(なかとみ の かまこ)と名乗っていた(欽明天皇朝で物部尾輿と共に排仏を行った中臣鎌子とは別人)。その後中臣 鎌足(なかとみ の かまたり)に改名。そして臨終に際して大織冠と共に藤原姓を賜った。つまり、生きていた頃の彼を指す場合は「中臣鎌足」を用い、「藤原氏の祖」として彼を指す場合には「藤原鎌足」を用いる。645年、中大兄皇子・石川麻呂らと協...