
08月19日


8月19日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 8月25日二七日忌 9月1日三七日忌 9月8日四七日忌 9月15日五七日忌・35日法要 9月22日六七日忌 9月29日七七日忌・満中陰・四十九日法要 10月6日百箇日忌 11月26日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

大谷尊由(おおたにそんゆ)
浄土真宗本願寺派の僧侶、政治家。浄土真宗本願寺派第21世法主大谷光尊(明如)と側室・松原藤子の5男として京都市に生まれる。兄は第22世法主光瑞(鏡如)、木辺孝慈、妹は歌人の九条武子。光瑞と共に博識で知られ、後藤新平などが早くからその人物を評価していた。成人してからは御連枝として兄の宗政を助け、本願寺執行長、本願寺派護持会財団理事長、管長事務取扱(管長代理)などを歴任。この間、日露戦争に際し従軍布教の陣頭指揮にあたり、自身も中国各地を度々慰問している。数々の教団改革をすすめ、大谷探検隊を財政面から助けたが、後に多額の負債を教団に残すこととなった。1914年(大正3年)、疑獄事件により法主の座を退...

北一輝(きたいっき)
戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。二・二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。生誕 1883年〈明治16年〉4月3日命日 1937年〈昭和12年〉8月19日経国院大光一輝居士<< 戻る

鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)
江戸時代後期の盗賊。本名は次郎吉。鼠小僧次郎吉として知られる。本業は鳶職であったと言われる。大名・旗本など権力者の武家屋敷のみを狙って盗みに入り、貧しい人達にそれを施したとされる事から、後世に義賊として伝説化された。鼠のように天井裏から侵入するため鼠小僧という異名がついた。32回の盗みを行なった時点で一度捕まり「入れ墨刑」を受ける。しかし改心することなく、1832年に二度目のお縄。自白によると、保釈後の10年間でさらに71ヵ所、90回に及ぶ盗みを重ねていた。生涯に侵入した屋敷は99軒、被害総額は約3120両(約3億円)。最期は市中引き回しのうえ小塚原刑場で磔にされ、首が晒された。その後、頭部は...