08月03日

便り

8月の出来事/有名人の誕生日・命日

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8月3日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 8月9日二七日忌 8月16日三七日忌 8月23日四七日忌 8月30日五七日忌・35日法要 9月6日六七日忌 9月13日七七日忌・満中陰・四十九日法要 9月20日百箇日忌 11月10日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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マッスル北村(マッスルきたむら)

ボディビルダー、タレント。さんまのナンでもダービーではレギュラー出演を果たし、「ボディビルダーの筋肉は見せかけで使えない」という風潮を打破すべく番組内で大活躍した。生誕 1960年10月6日命日 2000年8月3日釋勝願<< 戻る
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伊達政宗(だてまさむね)- 独眼竜政宗

出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。 幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。生誕 永禄10年8月3日(1567年9月5日)(グレゴリオ暦1567年9月15日)命日 寛永13年5月24日(1636年6月27日)瑞巌寺殿貞山禅利大居士<< 戻る
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豊臣秀頼(とよとみひでより)

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。太閤・豊臣秀吉の三男で庶子。 秀吉の側室であった茶々の第二子。子は側室・和期の方との間に国松と、小石の方との間に天秀尼。位階は正二位、官職は右大臣。幼名は拾丸。なお、豊臣とは名字ではなく、本姓である。乳母は宮内卿局・右京大夫局・正栄尼が伝わる。生誕 文禄2年8月3日(1593年8月29日)命日 慶長20年5月8日(1615年6月4日)帰寂山高陽寺殿秀山大居士<< 戻る
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藤原不比等(ふじわらのふひと)

飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史と記されている場合もある。『興福寺縁起』『大鏡』『公卿補任』『尊卑分脈』などの史料では天智天皇の落胤と書かれる。諡号は文忠公、国公は淡海公。 藤原不比等は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことが出来るとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と解することもできる。生誕 斉明天皇5年(659年)命日 養老4年8...
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大鑑慧能(たいかんえのう)

中国唐の時代。范陽郡涿県(河北省保定市涿州市)出身。中国禅宗の六祖(南宗)。大満弘忍に就いて嗣法。弟子には青原行思、南嶽懐譲、南陽慧忠、荷沢神会、永嘉玄覚、司空本浄がいる。諡は大鑒真空普覚圓明禅師。曹渓大師。大鑑慧能。六祖慧能。曹渓山宝林寺。師の大満弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた者を後継者と認めると言い、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書くが、その詩を弘忍は認めない。それを聞いた慧能は、神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたことで六祖になったといわれている。・神秀の詩身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有...