06月10日

便り

6月の出来事/有名人の誕生日・命日

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6月10日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 6月16日二七日忌 6月23日三七日忌 6月30日四七日忌 7月7日五七日忌・35日法要 7月14日六七日忌 7月21日七七日忌・満中陰・四十九日法要 7月28日百箇日忌 9月17日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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水野晴郎(みずのはるお)

映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。 映画監督としてはMIKE MIZNOの名義を使っていた。水曜ロードショーや金曜ロードショーの映画解説を務め「いや~、映画って本当にいいものですね」の決め台詞が有名。映画『シベリア超特急』では、監督・原作・脚本(MIKE MIZNO名義)に加え、主演まで果たした。生誕 1931年7月19日命日 2008年6月10日<< 戻る
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緒方洪庵(おがたこうあん)

江戸時代後期の武士、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。天然痘治療に貢献し、日本の近代医学の祖と言われる。 諱は惟章または章、字は公裁、号を洪庵の他に適々斎、華陰と称する。生誕 文化7年7月14日(1810年8月13日)命日 文久3年6月10日(1863年7月25日)華陰殿法眼文粛居士<< 戻る
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田能村竹田(たのむらちくでん)

江戸時代後期の南画家。 幼名は磯吉、後に玄乗、行蔵。名は孝憲。字は君彜。通称は行蔵。別号は九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・秋心・随縁居士・九峯無戒衲子・紅荳詞人・田舎児・藍水狂客・三我主人・西野小隠・秋声館主人など。更に斎号に竹田荘・補拙廬・雪月書堂・対翠書楼など多数。生誕 安永6年6月10日(1777年7月14日)命日 天保6年8月29日(1835年10月20日)<< 戻る
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徳川光圀(とくがわみつくに)

常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。生誕 寛永5年6月10日(1628年7月11日)命日 元禄13年12月6日(1701年1月14日)<< 戻る
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鴨長明(かものちょうめい/ながあきら)

平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての日本の歌人・随筆家。俗名は同じだが「読み」がかも の ながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。法名は蓮胤。南大夫、菊大夫とも称される。建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つである。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前成立)、歌集として『鴨長明集』(養和元年(1181年))といった作品がある。『千載和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に25首が入集している。生誕 久寿2年(1155年)命日 建保4年閏6月10日(1216年7月26日)<< 戻る
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源信(げんしん)- 恵心僧都(えしんそうず)

源信は、平安時代中期に比叡山で修行を積んだ天台宗の僧侶です。恵心僧都と尊称されます。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。『往生要集』(おうじょうようしゅう)などにより源信が示した具体的な死後の世界のイメージは、後世へも多大な影響を及ぼしました。浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称されます。生誕 天慶5年(942年)、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻に生まれました。源信の母が、高雄寺の観音像に祈願したところ、その霊験によって源信を授かったといわれ、その観音菩薩立像(重要文化財)は現存します。幼名は「千菊丸...