05月22日

便り

5月の出来事/有名人の誕生日・命日

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5月22日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 5月28日二七日忌 6月4日三七日忌 6月11日四七日忌 6月18日五七日忌・35日法要 6月25日六七日忌 7月2日七七日忌・満中陰・四十九日法要 7月9日百箇日忌 8月29日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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松林桂月(まつばやしけいげつ)

画家。山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞も日本画家。《春宵花影》東京国立近代美術館蔵/《愛吾廬》山口県立美術館蔵など多数。生誕 1876年8月18日命日 1963年5月22日豪徳院殿彩譽松林桂月大居士<< 戻る
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風巻景次郎(かざまきけいじろう)

国文学者。主著『中世の文学伝統』。また、数校の北海道の公立高等学校の校歌の作詞も手がけた。生誕 1902年(明治35年)5月22日命日 1960年(昭和35年)1月4日<< 戻る
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浅田宗伯(あさだそうはく)

漢方医、儒学者。諱は惟常、号は栗園。安政2年(1855年)幕府のお目見得医師となり、安政5年(1858年)将軍家茂に謁して徴士となり、慶応2年(1866年)13代将軍家定の夫人天璋院はじめ大奥の侍医となり、法眼に叙せられた。医師として宗伯は、フランス公使レオン・ロッシュや嘉仁親王(後の大正天皇)の難症を治し救った事で知られている。 浅田飴より販売されている「浅田飴」のルーツとなる処方を考案した人物である。尚、創業者である堀内伊太郎の父は、宗伯の書生であった。生誕 文化12年5月22日(1815年6月29日)命日 明治27年(1894年)3月16日<< 戻る
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徳川家治(とくがわいえはる)

江戸幕府の第10代将軍である(在職:宝暦10年(1760年) - 天明6年(1786年))。父は第9代将軍・徳川家重。母は側室・お幸の方(梅渓通条の娘)。生誕 元文2年5月22日(1737年6月20日)命日 天明6年8月25日(1786年9月17日)浚明院殿贈正一位大相国公<< 戻る
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了翁道覚(りょうおうどうかく)

江戸時代前期、教育文化、社会福祉、公共事業など各種の社会事業に貢献した黄檗宗の僧。出羽国雄勝郡八幡村生まれ。初め名を祖休といい、後に道覚とあらためた。号も初めは了然といい、後に了翁にあらためた。寛永20年(1643年)、了翁は陸奥国(後の陸中国)平泉の中尊寺(岩手県平泉町)を詣でたが、その際、多くの経典がすでに散逸してしまっていることを知った。特に藤原清衡奉納の宋版大蔵経の多くが失われていることを嘆き、近隣を探し回り、今日国宝の一部として知られる金銀交書(紺紙金銀交書大般若経)6巻を返納した。さらにこれ以後、散逸した経典や群書の蒐集と一切経蔵建立の運動に一生を捧げることを誓う。承応3年(165...
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蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)- 蜂須賀小六

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の股肱の家臣。播磨龍野城主。徳島藩主蜂須賀家の家祖。 初名は利政。通称は小六もしくは小六郎で、特に前者は広く知られているが、のちに彦右衛門と改名している。官位は従四位下、修理大夫。生誕 大永6年(1526年)命日 天正14年5月22日(1586年7月8日)福聚院殿良巌浄張大居士<< 戻る