04月24日

便り

4月の出来事/有名人の誕生日・命日

人物

森田童子(もりたどうじ)

女性シンガーソングライター。本名は非公開。芸名は笛吹童子に由来。テレビドラマ『高校教師』の主題歌として1976年発売のシングル『ぼくたちの失敗』が使われ、シングルCDは100万枚に迫る大ヒットとなった。生誕 1953年1月15日命日 2018年4月24日<< 戻る
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4月24日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 4月30日二七日忌 5月7日三七日忌 5月14日四七日忌 5月21日五七日忌・35日法要 5月28日六七日忌 6月4日七七日忌・満中陰・四十九日法要 6月11日百箇日忌 8月1日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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神代辰巳(くましろたつみ)

映画監督。佐賀県佐賀市出身。ロマンポルノやテレビドラマに多くの作品を残している。生誕 1927年4月24日命日 1995年2月24日神光院釋龍照<< 戻る
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林正之助(はやししょうのすけ)

吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)の弟で、吉本興業元会長・社長。興行師、芸能プロモーター。 風貌、豪快な性格からあだ名を「ライオン」と呼ばれていた。生誕 1899年1月23日命日 1991年4月24日<< 戻る
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松本清(まつもときよし)

千葉県東葛飾郡湖北村(現・我孫子市)出身の実業家、地方政治家。ドラッグストアチェーン日本最大手の「マツモトキヨシ」の創業者。第9代松戸市長在任中の1969年(昭和44年)10月6日に「市役所は『市民に役立つ・役に立つ人がいる所』」を標語に、お役所仕事の打破と市民サービスの向上を目的に、日本初の即応部門『すぐやる課』を松戸市役所に設置し、全国的に報道された。生誕 1909年(明治42年)4月24日命日 1973年(昭和48年)5月21日<< 戻る
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牧野富太郎(まきのとみたろう)

植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。幼少のころから植物に興味を示し、10歳より寺子屋、さらに塾で学び、その後12歳で小学校へも入学したものの2年で中退し、好きな植物採集にあけくれる生活を送るようになる。地元の学校の教師などから英語を学び、植物の採集、写生、観察など研究を続けながら、欧米の植物学も勉強し、当時の著名な学者の知己も得るようになる。生誕 1862年5月22日(文久2年4月24日)命日 1957...
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紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)

江戸時代、元禄期の商人である。元姓は五十嵐氏。名は文吉。俳号は千山。略して「紀文」と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。生没年もはっきりしないなど、人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物である。架空の人物であるとする説もあるが、実在したとする説が主流である。生誕 寛文9年(1669年)命日 享保19年4月24日(1734年5月26日)帰性融相信士<< 戻る
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お市の方(おいちのかた)

お市の方は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。小谷の方、小谷殿とも称される。名は通説では「於市」で、「市姫」とも云い、『好古類纂』収録の織田家系譜には「秀子」という名が記されている。 戦国大名・織田信長の妹で、信長とは13歳離れている。通説では、父は織田信秀で、五女と伝えられ、母は土田御前とされている。初めは近江の大名・浅井長政の継室となり、後に織田家重臣の柴田勝家の正室となった。子に茶々(豊臣秀吉側室)、初(京極高次正室)、江(徳川秀忠継室)がいる。孫にあたる人物は豊臣秀頼(茶々の息子)、豊臣完子、千姫、徳川家光、徳川和子(江の娘、息子)など。徳川和子は後水尾天皇の中宮となり、その娘は...
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柴田勝家(しばたかついえ)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。織田信長の筆頭家老。戦上手で勇猛果敢、情に厚い性格だったと伝わる。織田信長の妹「お市の方」の再婚相手。生誕 大永2年(1522年)命日 天正11年4月24日(1583年6月14日)摧鬼院殿台岳還道大居士幡岳寺殿籌山勝公大居士<< 戻る
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劉備(りゅうび)

、 - )は、後漢末期から三国時代の武将、蜀漢の初代皇帝。字は玄徳。黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦した。諸葛亮の天下三分の計に基づいて益州の地を得て勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して、蜀漢を建国した。その後の、魏・呉・蜀漢による三国鼎立の時代を生じさせた。生誕 延熹4年(161年)命日 章武3年4月24日(223年6月10日)<< 戻る