04月15日

便り

4月の出来事/有名人の誕生日・命日

【中陰からの忌日表/年回忌表を探す】

4月15日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 4月21日二七日忌 4月28日三七日忌 5月5日四七日忌 5月12日五七日忌・35日法要 5月19日六七日忌 5月26日七七日忌・満中陰・四十九日法要 6月2日百箇日忌 7月23日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
人物

愛川欽也(あいかわきんや)

男性俳優・声優・タレント・司会者・ラジオパーソナリティ・エッセイスト。愛称はキンキン。 東京府東京市豊島区巣鴨出身。俳優座、劇団三期会を経て、最終所属先は愛川企画室。身長168cm、体重72.5kg。妻はタレントのうつみ宮土理。「おまっとさんでした」の名ゼリフで著名。生誕 1934年6月25日命日 2015年4月15日<< 戻る
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木村拓也(きむらたくや)

宮崎県宮崎郡田野町(現:宮崎市)出身のプロ野球選手(内野手・外野手・捕手、右投両打)、コーチ。 愛称は「キムタク」。生誕 1972年4月15日命日 2010年4月7日<< 戻る
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成川哲夫(なりかわてつお)

、 - )は、日本の元俳優。国際空手道連盟玄制流成道会前会長(創師)。本名同じ。別名伍代 勝也、伍代 達弘。妻は元女優で、成道会会長の成川昭子(旧姓:関口)。葬儀は東京都狛江市元和泉の泉龍寺別院で行われた。生誕 1944年4月15日命日 2010年1月1日<< 戻る
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横山光輝(よこやまみつてる)

漫画家。兵庫県神戸市須磨区出身。本名は、横山 光照。代表作に『鉄人28号』、『伊賀の影丸』、『仮面の忍者 赤影』、『魔法使いサリー』、『コメットさん』、『バビル2世』、『三国志』等々多数。長年に渡り幅広いジャンルで活躍し、手塚治虫、石ノ森章太郎などと並び称された漫画界の巨匠の一人である。生誕 1934年(昭和9年)6月18日命日 2004年(平成16年)4月15日<< 戻る
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有馬頼義(ありまよりちか)

小説家。中間小説、社会派推理小説の分野で活躍した。旧筑後国久留米藩主有馬家の第16代当主。映画化作品『殺人現行犯』東映 1956年『三十六人の乗客』東京映画 1957年『夜の配役』歌舞伎座プロ 1959年『リスとアメリカ人 廃墟の銃声』東映 1959年『四万人の目撃者』松竹 1960年『ガラスの中の少女』日活 1960年『三人の息子』松竹 1962年『兵隊やくざ』大映 1965年(原作は『貴三郎一代』)『赤い天使』大映 1966年『あゝ声なき友』松竹 1972年(原作は『遺書配達人』)『ガラスの中の少女』東映 1988年生誕 1918年2月14日命日 1980年4月15日大有院殿謙山道泰大居士...
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南方熊楠(みなかたくまぐす)

博物学者、生物学者、民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学を早くから日本に導入したことが注目される。生誕 1867年5月18日(慶応3年4月15日)命日 1941年(昭和16年)12月29日智荘厳院鑁覚顕真居士<< 戻る
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大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)

江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子の港を拠点とした回船の船頭。 天明2年、嵐のため江戸へ向かう回船が漂流し、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に面会して帰国を願い出、漂流から約9年半後の寛政4年に根室港入りして帰国した。生誕 宝暦元年(1751年)命日 文政11年4月15日(1828年5月28日)釋久味信士<< 戻る
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慈円(じえん)

平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧侶。歴史書『愚管抄』を記したことで知られます。諡号は慈鎮和尚、通称に吉水僧正、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円と紹介されています。 父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたります。幼くして青蓮院に入寺し、仁安2年(1167年)天台座主・明雲について受戒します。治承2年(1178年)に法性寺座主に任ぜられ、養和2年(1182年)に覚快法親王の没後、空席になった青蓮院を継ぎました。建久3年(1192年)、38歳で天台座主になります。その後、慈円の天台座主就任は4度に及びました。吉田兼好の『徒然草』には、「一芸ある者なら...
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摩耶夫人(まやふじん)- お釈迦様の母

摩耶夫人とは、シッダッタ(お釈迦様)の生母のことです。梵語や巴語の「マーヤー(Māyā)」の音写で、マーヤー夫人とも表記されます。コーリヤ族の出身とされ、釈迦族のスッドーダナ王(浄飯王)と結婚します。しかし、夫婦の間に世継ぎとなる子どもがなかなか生まれなかったのを悩んでいました。マヤ夫人という表記も。お釈迦様の誕生摩耶夫人はあるとき(ヴァイシャーカ月)に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊したとされています。そして、臨月が近づいた摩耶夫人は、生まれ故郷で産む慣わし通りに釈迦族の都・カピラヴァストゥ城から摩耶夫人の故郷デーバダハ城へと旅に出ます。その途中、ルンビニで休息をとら...