01月23日

便り

1月の出来事/有名人の誕生日・命日

【中陰からの忌日表/年回忌表を探す】

1月23日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 1月29日二七日忌 2月5日三七日忌 2月12日四七日忌 2月19日五七日忌・35日法要 2月26日六七日忌 3月5日七七日忌・満中陰・四十九日法要 3月12日百箇日忌 5月2日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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坂東三津五郎(10代目)(ばんどうみつごろう)

十代目 坂東 三津五郎は、日本の俳優、歌舞伎役者。日本舞踊坂東流家元。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。俳名は一万尺。生誕 1956年(昭和31年)1月23日命日 2015年(平成27年)2月21日香藝院爽進日壽居士<< 戻る
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小林カツ代(こばやしかつよ)

料理研究家・エッセイストである。神楽坂女声合唱団創設者、団長。生誕 1937年(昭和12年)10月24日命日 2014年(平成26年)1月23日<< 戻る
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喜味こいし(きみこいし)

漫才師、俳優。実兄の夢路いとしと共に漫才コンビ夢路いとし・喜味こいし(いとし・こいし)」のツッコミとして活躍した。ネタの一つである「お笑い鍋料理」にはいくつかのバリエーションがあるが、鍋の具についてこいしが説明するところで、いとしがボケるくだりがある。「生きてるうちがニワトリ、死んだら戒名がかしわ」「生きてるあいだは、いのしし。死んだら戒名が、ぼたん」「生きている間は牛、死んだら戒名が牛肉」生誕 1927年11月5日命日 2011年1月23日<< 戻る
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ジャイアント馬場(ジャイアントばば)

プロレスラー、プロ野球選手、テレビタレント、三条市名誉市民。 本名・旧リングネーム・プロ野球選手時代の登録名は馬場正平(ばば しょうへい)。生誕 1938年1月23日命日 1999年1月31日顕峰院法正日剛大居士<< 戻る
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戸板康二(といたやすじ)

演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。「車引殺人事件」で推理作家としてデビュー。「団十郎切腹事件」によって直木賞を受賞する。様々なエピソードやこぼれ話を書いた『ちょっといい話』は、単行本4集と番外『歌舞伎ちょっといい話』の5冊を数える名シリーズとなった。その他、作品多数。生誕 1915年12月14日命日 1993年1月23日<< 戻る
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林正之助(はやししょうのすけ)

吉本興業の創業者・吉本せい(林せい)の弟で、吉本興業元会長・社長。興行師、芸能プロモーター。 風貌、豪快な性格からあだ名を「ライオン」と呼ばれていた。生誕 1899年1月23日命日 1991年4月24日<< 戻る
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湯川秀樹(ゆかわひでき)

理論物理学者。京都大学・大阪大学名誉教授。生誕 1907年(明治40年)1月23日命日 1981年(昭和56年)9月8日無礙光院殿照誉慈済秀樹大居士<< 戻る
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白井松次郎(しらいまつじろう)

松竹の創業者の一人(松竹株式会社社長)。興行師、劇場経営者として活躍し、旧態依然たる明治の興行界に近代的なシステムを導入したことで知られる。生誕 1877年12月13日命日 1951年1月23日<< 戻る
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林羅山(はやしらざん)

江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称は又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。羅山とは儒学者としての号で、中国広東省の羅浮山で宋代の学者が『春秋』を研学したとの故事に基づき、師の藤原惺窩が命名したもの。13歳で建仁寺に入り、古澗慈稽・英甫永雄ら禅僧について学んだが、僧にはならず、十五歳で寺を出て帰宅した。学問を実際の政治と結びつけることを目指し、慶長十年に二条城で家康に謁し、学識を認められる。同十二年に江戸で将軍徳川秀忠に謁し、駿府で家康に仕えて、その命により僧形となり、道春と称した。家康に随行して上洛した際に、京都の数村...
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曹操(そうそう)

後漢末期の武将・政治家。詩人・兵法家。字は孟徳(もうとく)、幼名は阿瞞、また吉利。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)出身。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作る。廟号は太祖、諡号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。小説『三国志演義』では敵役・悪役として設定される。生誕 永寿元年(155年)命日 建安25年1月23日(220年3月15日)<< 戻る