01月12日

便り

1月の出来事/有名人の誕生日・命日

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1月12日ご逝去 中陰からの忌日表

初七日忌 1月18日二七日忌 1月25日三七日忌 2月1日四七日忌 2月8日五七日忌・35日法要 2月15日六七日忌 2月22日七七日忌・満中陰・四十九日法要 3月1日百箇日忌 4月21日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る
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三木たかし(みきたかし)

作曲家。本名は渡邊匡(わたなべ ただし)。歌手・女優の黛ジュン(本名: 渡邊順子)は実妹にあたる。渡辺たかし名義の作品も存在する。「能登半島」/石川さゆり(1977年)、「きみ可愛いね」/伊藤咲子(1976年)、「お元気ですか」/清水由貴子(1977年)など多数。生誕 1945年1月12日命日 2009年5月11日耀功院奏心匡道居士<< 戻る
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深作欣二(ふかさくきんじ)

映画監督・脚本家。愛称はサクさん。 妻は女優の中原早苗。長男は映画監督の深作健太。茨城県緑岡村出身。千葉真一の初主演作品となる『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』で監督デビュー。千葉とはこののち17作品でコンビを組む。『風来坊探偵シリーズ』『ファンキーハットの快男児シリーズ』『カミカゼ野郎 真昼の決斗』などの他、『仁義なき戦いシリーズ』は邦画史に残るヒットを記録。『柳生一族の陰謀』『復活の日』『魔界転生』『蒲田行進曲』『里見八犬伝』『忠臣蔵外伝 四谷怪談』『バトル・ロワイアル』など多数。生誕 1930年7月3日命日 2003年1月12日<< 戻る
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立石一真(たていしかずま)

実業家。オムロンの創業者。「最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる。 これが人生70余年に及ぶ人生を振り返って得た結論であり、同時に私の信条信念である。」生誕 明治33年(1900年)9月20日命日 平成3年(1991年)1月12日<< 戻る
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杵屋榮左衛門(きねやえいざえもん)

大正期から昭和期にかけて活躍した歌舞伎長唄の三味線方。歌舞伎公演の附師。重要無形文化財保持者(人間国宝)。7代芳村伊三郎(よしむらいさぶろう)、3代杵屋栄蔵に師事し、山田耕筰から和声学、作曲学をまなぶ。新字体表記では栄左衛門。生誕 1894年(明治27年)2月22日命日 1982年(昭和57年)1月12日<< 戻る
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アガサ・クリスティ

アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Dame Agatha Mary Clarissa Christie)は、イギリス生まれの推理作家である。発表された推理小説の多くは世界的なベストセラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれた。デビュー作は『スタイルズ荘の怪事件』。代表作は『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』など多数。生誕 1890年9月15日命日 1976年1月12日<< 戻る
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大坪砂男(おおつぼすなお)

、 - )は、日本の探偵小説作家。本名和田六郎。谷崎潤一郎の書生、警視庁鑑識課職員などを経て、師事していた佐藤春夫の推薦により「宝石」に発表した『天狗』でデビュー。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来する。1951年に大坪 沙男と改名した。代表作は他に『立春大吉』『私刑』『男井戸女井戸』などがある。生誕 1904年2月1日命日 1965年1月12日<< 戻る
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河口慧海(かわぐちえかい)

黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。 中国や日本に伝承されている漢語に翻訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たした。『西蔵旅行記』『在家仏教』をはじめとして数多くの著作を残している。生誕 1866年2月26日(慶応2年1月12日)命日 1945年(昭和20年)2月24日<< 戻る
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前田利長(まえだとしなが)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。加賀藩初代藩主。加賀前田家2代。藩祖である前田利家の長男。初名は利勝、天正17年頃に利長と改名した。 若年より織田信長・豊臣秀吉旗下の指揮官として転戦した。秀吉の死後から江戸幕府成立に至る難局を苦渋の政治判断により乗り越え、加賀藩の礎を築いた。生誕 永禄5年1月12日(1562年2月15日)命日 慶長19年5月20日(1614年6月27日)瑞龍院殿聖山英賢大居士<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

『伝光録』(でんこうろく)

正安元(1299)年、加賀の大乗寺に戻り、正安2(1300)年、義介禅師の代理として大乗寺の修行僧に対し釈尊以来五十三祖の機縁を提唱し、後に『伝光録』としてまとめられます。坐禅・仏法が釈尊からインド、中国の祖師へ伝わり、そして日本の道元禅師から懐奘禅師に至るまでの経緯を示しながら説いています。53人の祖師について、それぞれ【本則】、【機縁】、提唱部分を【拈提】、結びの頌(詩)を【頒古】に分けてまとめています。「正法眼蔵」にならぶ曹洞宗における重要な宗典と位置づけられています。なお、写本により差異がありますが、こちらに掲載しているものは明治十八年刊行、諸獄山蔵版『伝光録』(大内本)を底本とした上...