(命日)06月18日

人物

田中平八(たなかへいはち)

幕末、明治の実業家、相場師。横浜で糸屋平八商店を営み、生糸・洋銀などの相場で財を成し、「天下の糸平」と呼ばれた。本姓は藤島。幼名は釜吉。名は政春。生誕 1834年8月15日(天保5年7月11日)命日 1884年(明治17年)6月8日<< 戻る
人物

島津忠久(しまづただひさ)

平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。鎌倉幕府御家人。島津氏の祖。正式な名乗りは惟宗忠久という。出自・生年については諸説ある。治承3年(1179年)2月8日、春日祭使の行列に供奉している記録が史料上の初見とされる(『山槐記』)。島津忠久は元々摂関家に仕える都の武者であったが、治承・寿永の乱において源頼朝が台頭してくると、母が頼朝の乳母子だった縁で頼朝に重用されるようになってくる。生誕 命日 嘉禄3年6月18日(1227年8月1日)浄光明寺殿 得佛道阿弥陀佛<< 戻る
人物

玄昉(げんぼう)

奈良時代の法相宗の僧侶。俗姓は阿刀氏(安斗氏)。安斗阿加布の子とする系図や、善珠の父とする史書もあります。僧官は僧正。717年、中国・唐に入り、法相宗の教学を学び、735年に帰国する。藤原武智麻呂らが流行病により倒れたため、橘諸兄・吉備真備らと共に政界での権力を握ることになりました。また、聖武天皇による東大寺建立の発意等も玄昉の進言によるところが大きいといわれ、鎮護国家のための仏教確立に大きな影響を与えたといわれています。740年、藤原広嗣の乱は権力の中枢にあった玄昉を除くためのものでしたが、藤原仲麻呂の台頭により、745年筑紫観世音寺に左遷されます。生誕 命日 天平18年6月18日(746年...