鎌倉時代

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専修念仏者の庇護を内容とする宣旨

元久2(1205)年12月29日、専修念仏者の庇護を内容とする宣旨が下される。<< 戻る
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興福寺奏状

元久2(1205)年9月、興福寺衆徒、後鳥羽院に念仏禁断の奏状に九箇条の過失を書きそえ強訴しました。法然上人およびその門弟、とくに法本房行空と安楽房遵西の処罰を強訴しました。その内容は勅許(ちょっきょ)を得ないで一宗をたてたこと、摂取不捨曼荼羅―専修念仏者だけが阿弥陀仏の光明によって救われ、これに対して念仏以外の諸善を行ずる者は光明を預からないことを絵画的に表現したものが流行していること、諸行をもって往生業としないで、称名一辺倒であること、最低の不観不定の口称念仏を勧めることは、最上の観念を捨てることであり、念仏の真意をあやまること、阿弥陀仏の名号やその浄土のことを説き示された本師である釈尊を...
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龍泉寺-栃木県足利市

・龍泉寺 天台宗 栃木県足利市助戸1-652当寺は、元久2年(紀元1205年3月)の開創であり、権現堂と称し比叡山の直末寺である。開山は叡海地蔵上人様であり、紀州那智(現在の和歌山県)の人である。ある夜の夢に異形の人が現れ、告げて曰く「吾と汝と共に日本60余州を巡礼し、66部の経典を各霊場に納め、汝は是れ我なり」と言うなり霞の如く消失したという。(リンク先より) << 戻る
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崇禅寺-群馬県桐生市

・崇禅寺 臨済宗建長寺派 群馬県桐生市川内町2-651崇禅寺は、織物の街桐生の西の山間、小倉の里に元久二年(1205)法然上人の弟子智明上人(桐生小倉の人、園田太郎成家)により開創され、その後南北朝の中頃、応安三年(1370)には、鎌倉大本山建長寺第四十五世東伝士啓禅師により、臨済宗の禅寺として開山されその長い歴史と法灯を今日に伝えている。この地方では「阿弥陀様の寺」として知られる古利であります。(リンク先より) << 戻る
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「新古今和歌集」が編さんされる

1205年、藤原定家らが「新古今和歌集」を編さんする。<< 戻る
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七箇条制誡

元久元(1204)年11月、法然上人は七箇条制誡(しちかじょうせいかい)をつくり門弟を誡め、門弟百九十名の署名をとり、別に誓状をそえて座主に送りました。1.天台・真言の教説を破し諸仏菩薩をそしらぬこと2.無智の身で有智の人と諍論(じょうろん)せぬこと3.別解(べつげ)・別行(べつぎょう)の人に対し本業(ほんごう)を棄置し嫌わぬこと4.念仏門には戒行がなく造悪を恐れないなどと主張せぬこと5.ことごとに私義をとなえないこと6.痴鈍(ちどん)の身をもって道俗を教化(きょうけ)しないこと7.仏法にあらざる邪法を説いて正法とせぬこと<< 戻る
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元久の法難

元久元(1204)年10月、延暦寺の衆徒が専修念仏の停止を天台座主真性に申請しました。<< 戻る
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明言寺-群馬県邑楽郡

・明言寺 曹洞宗 群馬県邑楽郡邑楽町大字石打237-1曹洞宗月音山明言寺(そうとうしゅうげつおんざんみょうごんじ)の本尊は千手観世音菩薩です。千手観世音菩薩は、また、子〔ね〕年生まれの方の守り本尊でもあります。明言寺は、元久〔げんきゅう〕元年(1204年)、天台宗の寺院として創建されましたが、その後、天正〔てんしょう〕2年、 曹洞宗寺院として再興されました。(リンク先より) << 戻る
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源実朝が3代将軍となる

1203年、源実朝が3代将軍となる。<< 戻る
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執権政治が始まる

1203年、このころ執権政治が始まる。初代執権は北条時政。<< 戻る
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運慶・快慶らが東大寺の南大門金剛力士像をつくる

1203年、運慶・快慶らが東大寺の南大門金剛力士像をつくる。<< 戻る
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建仁寺-京都府京都市東山区

・建仁寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。(リンク先より) << 戻る
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建仁寺派(本山建仁寺(京都))の開派

建仁2(1202)年、南宋に留学して帰国した栄西禅師により始まる。臨済宗(黄龍派の禅)を日本にはじめて伝える。<< 戻る
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法然聖人と親鸞聖人が出会い弟子入り

親鸞29歳、比叡山では悟りに至る道を見出すことができずに山を下り、京都の六角堂に100日間の参籠(さんろう)をしました。尊敬する聖徳太子に今後の歩むべき道を仰ぐためです。95日目の暁、聖徳太子の本地である救世観音から夢告を得て、東山の吉水で本願念仏の教えを説かれていた法然聖人の草庵を訪ねました。100日間、聖人のもとへ通い続け、建仁元(1201)年3月、ついに「法然聖人にだまされて地獄に堕ちても後悔しない」とまで思い、本願を信じ念仏する身となりした。<< 戻る
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浄勝寺-宮城県気仙沼市

・浄勝寺 臨済宗妙心寺派 宮城県気仙沼市本吉町津谷桜子74浄勝寺の創建は建仁元年(約820年前)、尼公が馬籠の地に逃れて尼となり養光尼と号して佐藤継信、忠信の菩堤を弔うため建立したと伝えられ、養光寺と称されました。(リンク先より)※建仁元年 1201年 << 戻る
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蓮花院-埼玉県入間市

・蓮花院 妙智寺 【公式】 真言宗智山派 埼玉県入間市春日町2-9-1蓮花院は、世音山蓮花院妙智寺といい、真言宗智山派に属します。本尊は大聖不動明王ですが、武蔵野三十三観音霊場十八番札所本尊である、千手千眼観世音菩薩(通称は黒須観音)が特に有名です。境内には指定文化財の観音堂のほかに、位牌堂、大師堂、弁天堂、鐘楼、山門、庫裏等があります。建長元年(1201年)、歌人としても知られた寂蓮法師により開かれたといわれております。(リンク先より) << 戻る
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念仏禁止

正治2(1200)年5月12日 鎌倉幕府、念仏を禁止する。<< 戻る
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道元禅師誕生

道元禅師は、鎌倉時代の正治2(1200)年1月26日(旧暦1月2日)に京都で生まれました。諸説ありますが、父は内大臣久我通親(こがみちちか)、母は摂政関白藤原基房の娘である伊子(いし)であるといわれています。9歳で『倶舎論』を読んだとの逸話が残っています。<< 戻る
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栄西禅師、北条政子建立の寿福寺住持に

鎌倉に出向き将軍源頼家の庇護のもと正治2(1200)年、北条政子建立の寿福寺住持に請ぜられる。<< 戻る
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西光寺-長野県長野市

・西光寺 浄土宗 長野県長野市北石堂町1398正治元年(1199)、善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立。御本尊は、開祖苅萱道心とその子信照 坊道念上人(幼名石童丸)が刻んだ二体の親子地蔵尊です。(リンク先より) << 戻る
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新豊院-静岡県富士市

・新豊院 曹洞宗 静岡県富士市岩淵328正治元年(1199年)真言宗 光明山 心包院として創立されまた。天文4年(1535年)藤枝市 金龍山 心岳寺三世学叟昌文大和尚により曹洞宗に改宗、延宝7年(1679年)六世海印道空大和尚の代になり伽藍整備のうえ 光福山新豊院と改めました。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-長野県長野市

・西方寺 浄土宗 長野県長野市西町1019安養山極楽院西方寺の開山は正治元年(1199)に浄土宗の開祖法然上人が善光寺を訪れた時に、現在の権堂の往生院の地に開創したと伝えられています。また、弘法大師が大同二年に建立した宝乗寺がその時に浄土宗に変わったとも言われます。(リンク先より) << 戻る
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源頼朝が亡くなる

1199年、源頼朝が亡くなり、実権が北条氏に移る。<< 戻る
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不動堂建立

建久九年(1198年)、行勝上人、一心谷に不動堂(現存)を建立。<< 戻る
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興禅護国論

建久9(1198)年、栄西禅師により「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」が著されました。<< 戻る
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選択本願念仏集

建久9(1198)年、法然上人は一部十六章からなる「選択本願念仏集」を撰述(せんじゅつ)しました。建久8(1197)年に九条兼実公の「浄土の教えの大事なことをまとめてほしい」と懇請されたのに応じられ、門弟の感西や証空や遵西の三人に執筆の助手役をつとめさせ、撰述にとりかりました。建久9(1198)年の春、法然上人は、浄土宗の根本宗典である『選択本願念仏集』という書物を著されました。【第一】聖道浄土二門篇【第二】雑行を捨てて正行に帰する篇【第三】念仏往生本願篇【第四】三輩念仏往生篇【第五】念仏利益篇【第六】末法万年に特り念仏を留むる篇【第七】光明ただ念仏の行者を摂する篇【第八】三心篇【第九】四修法...
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瑠璃寺-長野県下伊那郡

・瑠璃寺 天台宗 長野県下伊那郡高森町大字大島山812比叡山竹林院の観誉僧都(かんよそうず)がこの地に入り、 仁王山の間の洞(あいのほら)の樹間に出現した薬師如来にいたく感激し、創建した古刹です。 建久3(1197)年に源頼朝の祈願所となり、寺領750石を永代寄進。その折、三本の桜も共託された。伊那谷に拝む 平安仏の寺、源頼朝公祈願寺、上杉謙信公戦勝祈願の寺、武田信玄公仏道修行の寺、徳川家御加護の寺として知られている。聖衆来迎の図、十六善神、愛染明王、武田信玄寄進の鶏香炉、雨乞いの青獅子などの寺宝がある。(リンク先より) << 戻る
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鑁阿寺-栃木県足利市

・鑁阿寺 真言宗大日派 栃木県足利市家富町2220鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山。山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来(だいにちにょらい)を祀る。(リンク先より) << 戻る
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聖光房弁長弟子入り

建久8(1197)年、後に浄土宗の第二祖と仰がれる聖光房弁長(べんちょう) 、三十六歳で法然上人に弟子入りする。<< 戻る
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新大佛寺-三重県伊賀市

・新大佛寺 真言宗智山派 三重県伊賀市富永1238新大佛寺は、今から約800年前(1196年)後鳥羽法皇の勅願により、源頼朝公の協力を得て、国家の安泰と国民の幸せを祈る、一大祈願道場として又、東大寺伊賀別所として建立されました。ご本尊様は、快慶作の高さ約5メートル木彫大仏様(重要文化財)で、最初の上人様は俊乗房重源と申し、奈良東大寺を復興された上人様です。このことから、東大寺に敬意をはらって、寺号に「新」を加え、新大佛寺と名づけられました。(リンク先より) << 戻る
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聖福寺-福岡県福岡市博多区

・聖福寺 臨済宗妙心寺派 福岡県福岡市博多区御供所6-1聖福寺しょうふくじは建久けんきゅう6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝みなもとよりとも公よりこの地を賜り、栄西禅師ようさいぜんじを開山かいさんとして創建された日本最初の禅寺ぜんてらです。山号を安国山あんこくざん、寺号を聖福至仁禅寺しょうふくしぜんじといいます。元久元年(1204年)後鳥羽天皇ごとばてんのう(後上皇じょうこう)より、日本で最初の禅寺である「扶桑最初禅窟ふそうさいしょぜんくつ」の勅額を賜りました。(リンク先より) << 戻る
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日本で初めてとなる禅宗道場・聖福寺開山

建久6(1195)年、日本で初めてとなる禅宗道場として博多の聖福寺(しょうふくじ)が栄西禅師によって開かれる。<< 戻る