薬師如来

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金剛寺-和歌山県海草郡

・金剛寺 高野山真言宗 和歌山県海草郡紀美野町釜滝120天長十二年(835)人皇五十三代淳和天皇の御代、山城国天台山慈覚大師(円仁)がこの地に来り、山下の釜ノ淵の奇瑞に感じ一刀三礼木像を刻みこれを当山に安置した。この像は本尊薬師如来である。 創建当時は現在の寺院の側にある小高い丘に草庵を結び、そこに本尊を安置していたが鎌倉時代の初めごろ、泉州(大阪府)日根野のシナという人が本尊に帰依することを厚く、この人の寄進で伽藍を建立、ここに本尊を移した。脇士二躰は作者不詳であるが、天保二年(1645)仏工を招いて修覆しようとしたが成らず後高野山の良雲密師が補修を加えて開眼した。(リンク先より)<< 戻る
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泉福寺-栃木県日光市

・泉福寺 真言宗智山派 栃木県日光市猪倉2733815(弘仁6)年 弘法大師空海上人が薬師如来を刻し草庵を結び、東光院と名付けたのを開創としています。その時当地は未曾有の大旱魃に見舞われており大師はこれを憐れみ山頂の大穴に穴を穿ち 仏舎利一粒を沈め、請雨法を修したところ忽ちに雨を呼び旱魃の苦を救われたとの伝えがあります。(リンク先より) << 戻る
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平等寺-徳島県阿南市

・平等寺 高野山真言宗 徳島県阿南市新野町秋山177・21番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第22番札所 白水山 医王院 平等寺 ⇒ 23番札所弘仁5年(814年)、弘法大師空海によって開創された仏教寺院です。本尊は薬師如来で大師御作(おんさく)。(リンク先より) << 戻る
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医王寺-埼玉県秩父郡

・二十三夜寺(医王寺) 真言宗豊山派 埼玉県秩父郡皆野町三沢1960その昔、聖徳太子がこの地を巡訪された際、諏訪明神から夢の中でお告げを受けた。ここは仏法隆盛の地であると奇異な思いを感じた太子は、自ら薬師如来の像を彫刻して草庵に安置、医王善逝の寺とした。これが今の奥の院である。聖武天皇の時代には行基菩薩が巡訪され、勢至菩薩を安置し、師慶山観音院と名付けられた。弘仁元年(810年)に弘法大師が訪れ、この地が往古の霊場との念から坊舎仏閣を建立、大師が自ら馬鳴菩薩を彫刻し、これを安置した。(リンク先より) << 戻る
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観自在寺-愛媛県南宇和郡

・観自在寺 真言宗大覚寺派 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1・39番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第40番札所 平城山 薬師院 観自在寺 ⇒ 41番札所大同2年(807)、弘法大師が人皇五十一代平城天皇の勅願に奉じてこの地を訪れ、本尊薬師如来、脇仏阿弥陀如来、十一面観音の三体の尊像を自作なさり、堂宇に安置し、開基されました。(リンク先より) << 戻る
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温泉寺-兵庫県豊岡市

・温泉寺 高野山真言宗 兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2温泉寺は養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により天平10年(738)に開創された古刹です。 道智上人は衆生済度の大願を発して、諸国をめぐり、養老元年に城崎の地に来て、当所鎮守・四所明神の神託(夢告げ)により、一千日間ご修行をされその功徳あって温泉が湧出し(現在のまんだら湯)、城崎温泉が開かれる。(リンク先より) << 戻る
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乙宝寺-新潟県胎内市

・乙宝寺 真言宗智山派 新潟県胎内市乙1112当山は天平八年(七三六年)聖武天皇の勅願を受けて行基菩薩、婆羅門僧正の二人の高僧によって開山されました。七堂伽藍の中心、金堂には胎蔵界大日如来、阿弥陀如来、薬師如来の三尊が当山の本尊としておまつりされています。婆羅門僧正は名を菩提僊那(ぼだいせんな)と言って印度より渡来した高僧で、その際に釈尊の両眼の舎利を請来されました。右眼のお舎利は日本へ渡来する前に中国へ渡りお寺を建ててそれを納め供養しました。そして日本へ渡来し、聖武天皇の勅願を受けて建てたお寺に左眼の舎利を納めて供養をしました。(リンク先より) << 戻る
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醫王寺-静岡県磐田市

・醫王寺 真言宗智山派 静岡県磐田市鎌田2065-1天平6年〜20年(734〜748)聖武天皇の勅命を奉じて、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が当地を訪れ、この地に薬師如来の霊験ありとし、山内の名木で薬師如来の尊像を一刃三礼のもとに敬刻、ご本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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医王寺-愛知県田原市

・医王寺 曹洞宗 愛知県田原市小中山町南郷38薬樹山医王寺の本尊は、薬師瑠璃光如来。東方浄瑠璃光世界の教主で12の大誓願を発して、衆生の病苦を救い、無明の痼疾(持病)を治すとされるあり難い如来です。脇士として日光菩薩(左)・月光菩薩(右)を配し、これを薬師三尊といいます。僧行基(六六八〜七九四年)が刻んだものとされており、そのまた昔には小松原山東観音寺にまつられていたと言われておりまして、小中山村の帰依あつく、霊徳を感受することしきりで、天平四年(七三二年)にとくに乞うて拝領、一宇を建立して安置したのが始まりでございます。(リンク先より) << 戻る
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千光寺-富山県黒部市

・千光寺 高野山真言宗 富山県黒部市宇奈月町明日688明日山千光寺は高野山真言宗の古刹であり、神亀5年(728年)に創建された後、嘉永4年(1851年)に現在の明日山に移転されました。御本尊様は薬師瑠璃光如来立像という医師の役目をしてくれる仏様で、私たちの身と心の悩みを解決してくださる仏様として古来から信仰されてきました。御本尊様は17年に一度だけ御開帳され、お参りする事が出来ます。(リンク先より) << 戻る
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岩水寺-静岡県浜松市浜北区

・岩水寺 高野山真言宗 静岡県浜松市根堅2238神亀2年(西暦725年)。人々の病気平癒、健康長寿を祈念した行基菩薩が薬師如来の尊像を刻み、開創されました。この総本尊様である薬師如来様は、弘仁6年(西暦815年)春、先年の薬子の変にて心身痛められておられました嵯峨天皇に、病魔退散の祈願をし、天皇は健康を取り戻されたと伝わっております。(リンク先より) << 戻る
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神武寺-神奈川県逗子市-観蔵院

・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市桜山5-6-1・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市沼間2-1402醫王山来迎院と号する神武寺は、神亀元年(七二四)正月、聖武天皇の命により 行基菩薩が十一面観音・薬師如来・釋迦如来の尊像を彫刻・奉安し、玉体安穏・萬国和平・萬民豊楽の祈祷道場として開山された寺院です。(リンク先より) << 戻る
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高田寺-愛知県北名古屋市

・高田寺 天台宗 愛知県北名古屋市高田寺383高田寺の創建は、奈良時代にさかのぼる。壬申の乱で功を得た高田首新家の菩提を弔って養老四年(七二〇)、その子首名が行基菩薩を請じて建立したと言われる。「続日本紀」巻第二十四、淳仁天皇天平寶字七年(七六三)の条は、高田寺が歴史上最初にその名が登場する文献である。その後、大同年間、伝教大師が東国巡鍚の折、天台宗となった。(リンク先より) << 戻る
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興雲寺-愛媛県西条市

・興雲寺 曹洞宗 愛媛県西条市小松町明穂甲674興雲寺は、古くは長勝(松)寺と号し、薬師如来の霊地として崇敬を集め、その沿革は大宝2年(702)にさかのぼるといわれています。(リンク先より) << 戻る
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塩船観音寺-東京都青梅市

・塩船観音寺 公式ホームページ 真言宗醍醐派 東京都青梅市塩船194当観音寺は、山号を 大悲山 と称し、寺は地名の塩船を付けて『大悲山塩船観音寺』と申しております。塩船とは、周囲の地形が小丘に囲まれ 舟の形に似ており、仏が衆生を救おうとする大きな願いの舟である『弘誓の舟』になぞらえて塩船と名づけられたのであります。大化年間(西暦645~650年)に若狭国の八百比丘尼が一寸八分の紫金の観音像を当地に安置したのが開山と伝えられ、貞観年間(859~877年)には安然和尚が十二の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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玉泉寺-東京都狛江市

・玉泉寺 -トップページ- 天台宗 東京都狛江市東和泉3-10-23当山、大古は大輪寺と云い、多摩川の対岸に在り、人皇第34代舒明天皇六甲午年(634)10月浄慶法印の開創にて、薬師文殊の両像を安置しました。年を経て建造物も年輪と共に次第に荒廃していき、文応年間北条時頼が諸国行脚の折り、荒廃した堂宇を再造営しましたが、戦乱の世、兵火を逃れ得ても、多摩川の度重なる洪水により甚大な被害を受け、その折文殊の尊像を失い、薬師の尊像のみを奉安しています。(リンク先より) << 戻る