華厳宗

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安倍文殊院-奈良県桜井市

・安倍文殊院 華厳宗 奈良県桜井市安倍山大化元年(645)に創建された日本最古に属する寺院。華厳宗東大寺の別格本山としてその格式も高く、御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざでも有名な文殊菩薩で、日本最大(約7m)・快慶作の国宝である。(リンク先より) << 戻る
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空海寺-奈良県奈良市

・空海寺 華厳宗 奈良県奈良市雑司町167開基は空海。華厳宗大本山東大寺の末寺である。八宗兼学の伝統により、華厳宗と真言宗の二宗を受け継いでいる。唐から帰朝した空海が草庵を営み、自ら彫刻した秘仏「阿那地蔵尊」を堂内の石窟に安置、本尊としたのが寺の起こりとされている。 境内に東大寺の歴代僧侶と寺族の墓がある。(リンク先より) << 戻る
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太聖寺-愛知県愛西市

・太聖寺 華厳宗 愛知県愛西市町方新西馬78愛知県にある華厳宗東大寺末寺です。華厳宗の本山である東大寺は八宗兼学ですので、宗派を問わず多くの方に気を楽にして何度も足を運んで頂けるようなお寺を目指しております。 << 戻る
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平等寺-熊本県熊本市北区

・平等寺 華厳宗 熊本県熊本市北区植木町平原725昭和5年、末永眞如師僧の夢枕のもとに、お不動様が立たれ「木葉山を霊場にし、我をまつりたまえ」と啓示を賜りました。神仏の導きにより眞如師僧一同が木葉山を訪れると、そこには石灰岩を主に構成した鉱山、その山中には緑したたる木々、十数カ所から湧き出る清冽なる湧水、清らかな小川のせせらぎがあったのです。何よりも村の人々が大昔から、往生が滝、白糸の滝と呼んでいる滝壷は、深山幽谷を思わせる霊気漂う別天地でした。大自然に恵まれた神秘的な理想郷への御導きのもと、この霊滝を世に出させていただく事をお不動様に誓われました。村の人々の協力のもと、平等寺僧侶、信者様方の...
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華厳寺(鈴虫寺)-京都府京都市西京区

・華厳寺(鈴虫寺) 臨済宗永源寺派 京都府京都市西京区松室地家町31秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれている当寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます。華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています。(リンク先より) << 戻る
人物

明恵(みょうえ)

鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される。明恵は『大唐天竺里程記』(だいとうてんじくりていき)をつくり、天竺(インド)へ渡って仏跡を巡礼しようと企画したが、春日明神の神託のため、これを断念した。明恵はまた、これに先だつ建仁2年(1202年)にもインドに渡ろうとしたが、このときは病気のため断念している。遁世僧となった明恵は、建永元年(1206年)、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜されて高山寺を開山し、華厳教学の研究などの学問や坐禅修行などの観行に励み、戒律を重んじ...
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帯解寺-奈良県奈良市

・帯解寺 華厳宗 奈良県奈良市今市町734当山は弘法大師の師である勤操大徳の開基巖渕千坊の一院で霊松庵と申しました。そして、今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。(リンク先より) << 戻る
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正倉院ができる

756年、東大寺の宝庫、正倉院ができる。聖武天皇の遺品などを保存、校倉造り。<< 戻る
年表

東大寺の大仏ができる

752年、東大寺の大仏ができる。天平文化がさかえる。多くの民衆と僧行基の力を借りる。<< 戻る
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大仏造立の詔

743年、大仏造立の詔。<< 戻る
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東大寺-奈良県奈良市

・東大寺 華厳宗 奈良県奈良市雑司町406-1・対馬 ⇒ 畿内 大和 総国分寺(東大寺) ⇒ 山城天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明四天王護国之寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。(リンク先より) << 戻る
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国分寺・国分尼寺建立の詔

天平13年(741)、聖武天皇により国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられました。また、これに伴い、金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされています。<< 戻る
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華厳宗が伝えられる

736年、華厳宗第3祖法蔵(開祖は杜順(557年-640年)、第2祖智儼(602年-668年))門下の審祥によって華厳宗は伝えられました。金鐘寺(後の東大寺)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において『華厳経』・『梵網経』に基づく講義を行い、その思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立(743年-749年)されました。鎌倉仏教期には、明恵によって密教思想が取り込まれ、さらに凝然による教学の確立がなされています。法相宗と並ぶ、南都六宗の一つで、「十三宗五十六派」の一つです。華厳宗の本尊は、歴史上の仏を超えた絶対的な毘盧遮那仏と一体になっています。菩薩の修行の階梯を説いた「十地品」、善...