静岡県(臨済宗妙心寺派)

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金龍寺-静岡県浜松市北区

・金龍寺 臨済宗妙心寺派 浜松市北区細江町気賀9614昭和2~3年頃、当山は無住の寺でした。当時、病気治療の為この細江の地に身を寄せていた青年僧の山田無文が、当山の看護(留守番)を進んで引き受け、約2年ほど当山で過ごされた。その間、本堂の外縁で夜座(坐禅)をし、無の境地、不二の世界を味わいっていた。その時に詠まれた言葉の一つが境内の歌碑として建立されている。(リンク先より)※昭和2 - 1927年 << 戻る
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法雲寺-静岡県浜松市西区

・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区雄踏町宇布見5332-1明治43年安寧寺末の小庵、正法庵・耕雲庵が合併し、両庵の法と雲をとり法雲寺となりました。正法庵・耕雲庵ともに記録が残っておらず、開創年代・開山禅師の略歴などは不明とされています。(リンク先より)※明治43年 1910年 << 戻る
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永福寺-静岡県浜松市西区

・永福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市西区大平台4-34-1入野郷田端を往来する雄踏街道北側に於いて不却徳公禅師開山以来、入野郷本所龍雲寺の末寺の法脈を伝える。当山の開創の年代は不詳である。過去帳には慶安三年(1650)年の戒名が記載され、第二世槐翁西堂和尚が元禄七年(1694)9月6日入寂している。(リンク先より) << 戻る
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海龍寺-静岡県浜松市南区

・海龍寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市南区中田島町272静岡県浜松市の中田島砂丘近くにある海龍寺は禅宗、臨済宗妙心寺派のお寺です。開創は関ヶ原の戦いの一六〇〇年頃と伝わっており(リンク先より) << 戻る
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宝津院-静岡県静岡市葵区

・宝津院 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区津渡野328春陽意公(永禄九年四月十九日寂)が開基と現在も墓地に ありますが、来歴は正確には分かりません。 しかも、室町時代後期の型式といわれている五輪塔があります。 他にも何基かその頃の作造と思われる石塔があり、 その昔は真言宗の寺院であったかと思われます。(リンク先より)※永禄九年 1566年 << 戻る
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報恩寺-静岡県浜松市浜北区

・報恩寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区宮口1344-1天文23年(1554)開創の寺院。山門は醤油屋長屋門を移設したもの。<< 戻る
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慶雲寺-静岡県静岡県清水区

・慶雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市清水区上清水町5-28当寺の由緒は、孤峰山福泉寺と号し、武田氏等の兵火に逢い、ただ小堂と五輪の石碑のみ存していた。当時、寺の東側近くは波打ち際であった。たまたま、開山月桂禅師が一宿し、翌朝、諷経後、緑端に座して伊豆の山岳と駿河湾の風光を眺望していると、 堂前に大小二つの雲気が現れ、是れ有縁の霊地なりと深く感じて遂に三宇(本堂・庫裡・書院)を創建した。 この因縁により大小山慶雲寺と改称、時に天文元年(西暦1532年)4月11日のことであった。(リンク先より) << 戻る
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秘在寺-静岡県静岡市葵区

・秘在寺 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区郷島506創建は記録によると、450年程前の天文年間(1532~1554)です。開山様は寶珠護国禅師(1496~1555)で、またの名を臨済寺二世大原崇孚(たいげんすうふ)雪齋長老といいます。軍学に長じ今川義元を補佐し、徳川家康幼少時の勉学の師でした。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-静岡県浜松市浜北区

・西福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区平口523至徳二年1385年の棟札が有ったことから、その頃にはこの地に開かれていたと思われます。その後文安元年1444年 浜松市北区、大本山方廣寺開山 無文元選禅師円明大師を開山に請じ現在に至ります。(リンク先より) << 戻る
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法雲寺-静岡県富士市

・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県富士市今泉5-6-48創建は室町時代初期の文和2年(西暦1353年)、鎌倉 建長寺の僧 用堂和尚がこの地を訪れた際、岩石が重畳し清水が湧き希に見る素晴らしい景観であったことに魅せられ、錫を留めて寺を建て、法雲寺と称したとされています。その後、この地を治めていた戦国武将の今川家・徳川家の庇護を受け、寺運は盛んとなりました。(リンク先より) << 戻る
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宝珠寺-静岡県磐田市

・宝珠寺 臨済宗妙心寺派 静岡県磐田市豊島668創立は観応元年(一三五〇)。初めは鎌倉の円覚寺派に属していましたが、江戸時代初期に妙心寺派となりました。天正十八年十二月二十三日太閤秀吉公より寺領三十二石九斗五升御配分御判物を賜ります。 (リンク先より) << 戻る