岡山県(高野山真言宗)

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玉泉寺-岡山県真庭市

・玉泉寺 高野山真言宗 岡山県真庭市鉄山857平安時代後期、勝山領主 三浦美濃守の命により宥沢大和尚が僧坊一宇を建立された古刹の寺です。(リンク先より) << 戻る
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朝日寺-岡山県瀬戸内市

・朝日寺 高野山真言宗 岡山県瀬戸内市邑久町庄田12071739年建立。廃寺復興の際には、1728年に客殿が先に建てられました。 その後1734年に本尊薬師如来が修復され、本尊様をきちんとお祀りするべく、 さらにその5年後にこの本堂が建立されました。(リンク先より) << 戻る
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木山寺-岡山県真庭市

・木山寺 高野山真言宗 岡山県真庭市木山1212木山寺、木山神社はもとは神仏習合で、木山宮(きやまぐう)として、多くの人々の信仰を集めてきましたが、明治時代の神仏分離政策によって、木山寺と木山神社に別れました。 ご本尊は、医王の霊薬をもってあらゆる衆生の病気や迷いを救われる薬師如来。鎮守神の木山牛頭天王は薬師如来の化身で、除災招福の大願を成就されています。善覺稲荷大明神は、ご本地十一面観音の化身で、正徳年間(1714年)京都伏見稲荷より勧請された明神様です、勧請し祀った僧が善覺という名僧で、その徳を称えて善覺稲荷と呼ぶようになりました。(リンク先より)<< 戻る
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南昌院-岡山県笠岡市

・南昌院 高野山真言宗 岡山県笠岡市笠岡6002南昌院は今から約300年前の貞亨年間に小平井住山に遍照寺の塔頭として弘俊和尚が開基したと伝えられているが、最近の調査でもっと早い時期に創建されていることが明らかになってきた。かつて南昌院は慶長、寛永年間頃には東照院と呼ばれていた。福山藩主水野氏の記録「水野記」(第14巻)に、その東照院は笠岡城主の陶山氏によって、貞亨年間よりかなり早い時期に創建されている事を示す記述が残されていた。(リンク先より)※貞亨年間・・・貞享年間 1684年から1688年 << 戻る
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高蔵寺-岡山県倉敷市

・高蔵寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島186承応三年(1654)創建、海誉阿闍梨が第一世住職です。近年まで高蔵寺の創建について、「都窪郡誌」「中洲町誌」「倉敷市誌」などでは、いずれも不詳とされてきました。しかし、最近になって発見された古文書によってその創建があきらかにされました。(リンク先より) << 戻る
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千光寺-岡山県都窪郡

・千光寺 高野山真言宗 岡山県都窪郡早島町早島1179千光寺は建立当初、奥坂(現在のコンベックス岡山周辺)にありましたが、寛永八年(1631)に現在の早島の地に移されました。御本尊は聖観世音菩薩で、慈覚大師の作と言われています。(リンク先より) << 戻る
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実際寺-岡山県倉敷市

・実際寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島516中島山実際寺は、元和2年(西暦1616年)に、当時の中大道城主だった建部民部慰政喜によって中興されました。建部氏は、慶長9年11月(西暦1604年)西阿知の遍照院に身を寄せながら、現在実際寺のある中島地区の干拓などを手掛け、1616年に松山藩の検地を受けて中島が誕生しました。(リンク先より) << 戻る
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清眼寺-岡山県津山市

・清眼寺 高野山真言宗 岡山県津山市院庄779当山は、もと極楽山雲清寺と号し、淳和天皇の御代、高祖弘法大師が開山したと伝わる。元弘二年、後醍醐天皇 隠岐に御遷幸の砌、御駐輦になられたと伝わる古刹 山名時氏の祈願所 後年災禍にあい諸堂焼失せるも長禄年間(1457~1460)に今の地に宥尊上人が再興し、極楽山清眼寺と改号。(リンク先より) << 戻る
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西大寺-岡山県岡山市東区

・西大寺 高野山真言宗 岡山県岡山市東区西大寺中3-8-8天平勝宝3年(751年)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草庵を開基し、千手観音を安置したのが創まりであった。(リンク先より) << 戻る
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成福寺-岡山県井原市

・成福寺 高野山真言宗 岡山県井原市芳井町吉井2356739年(天平11年)奈良時代の名僧 行基菩薩が宝閣を建て自ら観自在菩薩像を刻んで本尊と為す。(現在の観音堂にあたる)(リンク先より) << 戻る
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萬福寺-岡山県津山市

・萬福寺 高野山真言宗 岡山県津山市東田辺1596和銅元年(西暦708年)、正月十三日、黒沢山の檜の梢に虚空蔵様が来臨された。その霊瑞に居合わせた、惣薪太夫という猟師(のちに僧となる)によって堂が結ばれたのが萬福寺の始まりとされている。(リンク先より) << 戻る