真言宗大覚寺派

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堀越寺-徳島県小松島市

・堀越寺 真言宗大覚寺派 徳島県小松島市中郷町字豊ノ本5十世紀花山天皇の時に仏眼上人の開いた寺と言われてますが、資料がほとんど残っていないため、その後の寺歴は不明。住職の名前が残っているのは17世紀の中頃からで清仁和尚が初代。(リンク先より) << 戻る
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地福寺-徳島県名西郡

・地福寺 真言宗大覚寺派 徳島県名西郡石井町石井字石井321徳島では、「藤の寺」として春先にちょっぴり話題になる寺です。祭り期間中になると、開花状況や交通案内を求められる電話での問い合わせが増えてきます。(リンク先より) << 戻る
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高野寺-佐賀県武雄市

・高野寺 真言宗大覚寺派 佐賀県武雄市北方町志久3245高野寺は千二百年余り前、弘法大師空海によって開かれた古刹です。鎌倉時代の古文書には『いかなる罪人も高野寺の境内に走り候えばその罪も免じる』とあります。(リンク先より) << 戻る
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国分寺-広島県福山市

・國分寺 真言宗大覚寺派 広島県福山市神辺町字下御領1454・備中 ⇒ 山陽道 備後 国分寺 ⇒ 安芸広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する住職のひとりごと。(リンク先より)<< 戻る
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大日寺-徳島県徳島市

・大日寺 真言宗大覚寺派 徳島県徳島市一宮町西丁263・12番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第13番札所 大栗山 花蔵院 大日寺 ⇒ 14番札所<< 戻る
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八栗寺-香川県高松市

・八栗寺 真言宗大覚寺派 香川県高松市牟礼町大字牟礼3416・84番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第85番札所 五剣山 観自在院 八栗寺 ⇒ 86番札所<< 戻る
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満福寺-神奈川県鎌倉市

・龍護山 満福寺 真言宗大覚寺派 神奈川県鎌倉市腰越2-4-8ここ満福寺は、讒言を受けた源義経が兄の頼朝との和解のため、鎌倉に入るべく、一時宿所とし、兄への手紙を書いた寺である。満福寺が相模国腰越にあったため、その手紙は「腰越状」と呼ばれる。(リンク先より) << 戻る
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高山寺-兵庫県丹波市

・高山寺 真言宗大覚寺派 兵庫県丹波市氷上町常楽50<< 戻る
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高野寺-熊本県人吉市

・高野寺 真言宗大覚寺派 熊本県人吉市下青井町47当山は、大正十五年に初代良戒大和尚により開山せられました。その当時から、“お大師さん”や“こうやさん”と呼ばれ、皆様に親しまれています。山門は入りまして左手すぐのところに「新四国八十八カ所霊場」の八十八体の佛様が鎮座されておられます。(リンク先より) << 戻る
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光明院-茨城県神栖市

・光明院 真言宗大覚寺派 茨城県神栖市波崎7426天和元年(1681年)三月八日恵仁僧都により波崎仲舎利地区に創建されました。その後、安政3年 (1856年)頃に波崎海老台地区の地元の人々の要請により現在の地に移転されました。(リンク先より) << 戻る
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地蔵寺-徳島県小松島市

・地蔵寺 真言宗大覚寺派 徳島県小松島市松島町11-26弘法大師開基、元和7年(1621)中興。本尊は地蔵菩薩(藤原期)。寺宝に室町期の遺風を伝える平島公方の館を移築した本堂、大曼荼羅(県文化財)がある。(リンク先より) << 戻る
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定泉寺-神奈川県横浜市栄区

・田谷山 「定泉寺」 真言宗大覚寺派 神奈川県横浜市栄区田谷町1501田谷山 定泉寺(じょうせんじ)室町時代(天文元年)の開創。本尊に厄除身代り阿弥陀如来・不動明王・弘法大師をまつる。(リンク先より)※天文元年 1532年から1555年 << 戻る
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神恵院-香川県観音寺市

・神恵院・観音寺 真言宗大覚寺派 香川県観音寺市八幡町1-2-7・67番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第68番札所 七宝山 神恵院 ⇒ 69番札所 七宝山 観音寺 ⇒ 70番札所本堂は、観音寺金堂とも呼ばれ、元あった東・西・中の三金堂の内の中金堂であり、平安時代初期に建立されたが、幾度かの改築の後、大永五年(1525)十二月に、法印澄瑜が大檀那源(細川)氏信以下の寄進により再建したものが現在の建物であると、記録に残る。(リンク先より)<< 戻る
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福生寺-佐賀県武雄市

・福生寺 真言宗大覚寺派 佐賀県武雄市武内町大字梅野乙14726本尊は聖観世音菩薩であり、開基については黒髪大権現を勧請した神社(黒髪神社)の棟札に《永正六年、 大檀主藤原千代童丸助成松尾道久、住持福生寺法印快憲》と記されたものがあり、 寺伝では永正六年(1509年)に快憲法印によって中興されたとなっている。(リンク先より) << 戻る
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成就院-神奈川県鎌倉市

・鎌倉 成就院 公式ホームページ 真言宗大覚寺派 神奈川県鎌倉市極楽寺1-1-5護摩修法が行われていたこの地に、鎌倉幕府<三代執権北条泰時>が<1219年>成就院を建立。 1333年新田義貞の鎌倉攻めで焼失し西ヶ谷に移ったが、1688年元禄元年江戸時代ににより元の地に再建され、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
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大覚寺-京都府京都市右京区

・大覚寺 真言宗大覚寺派 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所とも呼ばれる。平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。 嵯峨院が大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。(リンク先より)<< 戻る
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仙龍寺-愛媛県四国中央市

・仙龍寺 真言宗大覚寺派 愛媛県四国中央市新宮町馬立547時は嵯峨天皇の御代に当たる平安時代の初期、弘仁6年(815年)の事でございます。御歳42歳を迎えられました弘法大師様は、不思議なお力に導かれるかの如く当山を訪れられたのでございます。その際、山の神々をお祀りされていた法道仙人様よりこの地を譲り受けられました。お大師様は山の金剛窟に御篭りになられ21日間、護摩修業されたのでございます。(リンク先より) << 戻る
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観自在寺-愛媛県南宇和郡

・観自在寺 真言宗大覚寺派 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1・39番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第40番札所 平城山 薬師院 観自在寺 ⇒ 41番札所大同2年(807)、弘法大師が人皇五十一代平城天皇の勅願に奉じてこの地を訪れ、本尊薬師如来、脇仏阿弥陀如来、十一面観音の三体の尊像を自作なさり、堂宇に安置し、開基されました。(リンク先より) << 戻る
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萩原寺-香川県観音寺市

・萩原寺 真言宗大覚寺派 香川県観音寺市大野原町萩原2742萩原寺は、地蔵院と号し平城帝の大同二年の弘法大師の開創であり、朱雀天皇勅願談議所でありました。不動明王は大師ご自作で霊験古今に顕著であります。のちには細川勝元公の祈願所にもなりました。(リンク先より)※大同二年 807年 << 戻る
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大聖寺-岡山県美作市

・大聖寺 真言宗大覚寺派 岡山県美作市大聖寺1山号を恵龍山(けいりゅうざん)と称し、美作国建国の頃、天平10年(738年)に聖武天皇の勅令によって行基菩薩が開山しました。開山以来、山岳仏教の聖地として五院(不動院,中院,奥の院など)十八坊舎(松の坊,池の坊,上の坊,地蔵坊など)の塔堂伽藍を誇り真言密教(宗祖、空海)の根本道場として信仰をあつめ西の高野山と称されました。(リンク先より) << 戻る
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大悲王院-福岡県糸島市

・大悲王院 真言宗大覚寺派 福岡県糸島市雷山626当山は、成務天皇四十八年(一七八年)、雷山の地主神である雷大権現の招きで渡来して、天竺霊鷲山の僧、清賀上人の開創と伝えられております。その後聖武天皇によって勅願道場となり、七堂伽藍が建立されました。(リンク先より) << 戻る