便り 泉福寺-滋賀県大津市 ・泉福寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県大津市長等2-9-12泉福寺の開創は伝教大師最澄によると伝えられ、叡山三千坊のひとつとして、七堂伽藍を備えた湖西随一の霊場であったと言われていました。泉福寺という寺号は、伝教大師がこの寺を建立された時につけられたものと伝えられます。泉福寺の菩提院という院号は後光巌天皇が泉福寺に御幸された時に名づけられたと伝えられます。(リンク先より) << 戻る 2018.10.02 便り
便り 壽命寺-滋賀県大津市 ・壽命寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県大津市雄琴3-19-36「雲夢山」という山号を頂くこの寺院は、江戸時代のはじめ、雄琴村の郷士で木曾義仲の子孫とされる野水道政が発心・得度して名を「諦道」と改め、本願寺第十二代門主の准如上人より阿弥陀如来の絵像を授かって一宇を建立したのが、その起こりであると記録されています。(リンク先より) << 戻る 2018.10.02 便り
便り 本福寺-滋賀県大津市 ・本福寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県大津市長等3-3-351461(寛正2)年 大津・本堅田の本福寺第3代住職である法住は、布教伝道の拠点として各地に本福寺の支坊(支院)を建立した。その支坊のひとつである「外戸(せと)道場」として、大津・大門通に建立される。1468(応仁2)年 堅田に攻め入ってきた衆徒から親鸞聖人の御像をお守りするため、堅田から当寺へ御像をお移ししてお守りする。(翌年、大津・近松御坊へ御動座)1605(慶長10)年 外戸道場が手狭になったため、現在地である大津市長等3丁目(旧・東今颪町)に移転する。(リンク先より) << 戻る 1461.01.01 便り年表