浄秀寺-石川県能美郡

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第6話 「苦」のみなもと 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

近代における親鸞教学の先駆けとなった人物でもある清沢先生が、次のような言葉を記しておられます。依頼ハ苦痛ノ源ナリ財貨を依頼めば財貨の為に苦めらる人物を依頼めば人物の為に苦めらる我身を依頼めば我身の為に苦めらる神仏を依頼めば神仏の為に苦めらるそのゆえ何ぞや。他なし、「たのむ」心が有相の執心なればなり。これを自力の依頼心と云う。(リンク先より)・第6話 「苦」のみなもと 藤原正寿(石川県 浄秀寺)
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第5話 生のみが我らにあらず 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

確かに現代の私たちの社会は、本当は、いろいろなことを知るための大切な縁となるべき事実や苦悩と正面から向き合うことをできるだけ避け、生活の中から見えなくし、排除していく社会だと感じます。(リンク先より)・第5話 生のみが我らにあらず 藤原正寿(石川県 浄秀寺)
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第4話 本当の豊かさとは 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

私たちが生きている現代という時代は、ある意味で非常に豊かな時代です。しかし、その豊かさという言葉の意味は、ほとんど経済的に満足するという豊かさということに置き換えても、あながち間違っているとはいえないように感じます。(リンク先より)・第4話 本当の豊かさとは 藤原正寿(石川県 浄秀寺)
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第3話 真宗と生活 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

明治から昭和を生きられ、真宗の教えを聞く道場を開かれ多くの生きた教学者、念仏者を生み出された安田理深という先生が、師として尊敬されてお られた、同じく近現代において真宗の教学の中心を担ってこられ、大谷大学の学長もされた曽我量深という先生の生活態度、生きざまについて、「赤表紙と、新 聞の間に生きられた人である」と評されたことがありました。(リンク先より)・第3話 真宗と生活 藤原正寿(石川県 浄秀寺)
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第2話 空しく過ぎることのない人生 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

親鸞聖人は、このような私たちの生き方、人生を「空過」つまり、空しく過ぎる人生であると、頷かれました。親鸞聖人が、75〜76歳頃にお作りになられた「高僧和讃」に、本願力にあいぬればむなしくすぐるひとぞなき功徳の宝海みちみちて煩悩の濁水へだてなし(リンク先より)・第2話 空しく過ぎることのない人生 藤原正寿(石川県 浄秀寺)
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第1話 御遠忌テーマから問われていること 藤原正寿(石川県 浄秀寺)

すこし前のことになりますが、1999年7月11日の朝日新聞日曜版「いわせてもらお」というコーナーに、次のような投稿が掲載されていました。静岡県沼津市のペンネーム「10年たったが2人は元気」という方の投稿です。(リンク先より)・第1話 御遠忌テーマから問われていること 藤原正寿(石川県 浄秀寺)