法話便り

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天地自然、全てのものが語りかけてくれる

刑務所で俳句の指導をしている師匠が、「あいつはもう大丈夫だ」と興奮気味に帰ってきました。「方丈さんどうしました」と尋ねますと、「若い収容者が詠んだ句に、すばらしいものがあった」(リンク先より)・天地自然、全てのものが語りかけてくれる
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第6話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)

親鸞聖人は、ご自身の一生を尽くして、あらゆる人々と共に歩むことが出来るとされる仏道が、自分自身において果たして実現するのかということを確かめ続けてゆかれました。(リンク先より)・第6話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)
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挨拶はお互いのコミュニケーションへの潤滑油

さて、私たちの日常生活の中には沢山仏教から派生した言葉があります。 その一つが「あいさつ」です。あいさつは仏教語でも特に禅語と言われるものです。 (リンク先より)・挨拶はお互いのコミュニケーションへの潤滑油
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第5話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)

親鸞聖人は、法然上人を通して阿弥陀如来のご本願に出遇って以来のご自身のお心を、「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よき人の仰せをこうむりて信ずるより他に別の仔細なきなり。」とおっしゃっておられます。(リンク先より)・第5話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)
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人より5分早く起き、坐禅をくみなさい

お寺に部活動の子供達が坐禅を体験しに来ます。座り方の指導をし、坐禅をする。坐禅が終わり、私から「今、どの位坐ったか分かりますか?」と声を掛ける。(リンク先より)・人より5分早く起き、坐禅をくみなさい
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第4話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)

29歳で、「一人の人間」として、人びと共に、生涯を尽くして悔いることのない生き方を、あらゆる存在と共に歩もうと決意された親鸞聖人は、そうした生き方を、阿弥陀如来、すなわちはかることのできないいのちの働きを、心から敬い信じる、という生き方として人びとと確かめておられた、吉水の法然上人のもとを訪ねられました。(リンク先より)・第4話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)
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私の日常生活

本日は私の日常生活をお話させていただきます。 午前四時三十分起床、洗面等を済ませ、四時五十分お寺に到着。五時から六時迄朝の坐禅勤行(ざぜんごんぎょう)、終わって朝参(ちょうさん)と申します朝の会議が行われます。 (リンク先より)・私の日常生活
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第3話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)

こうした感覚というものは、私たちが、特定の価値観や方向性を持つ集団の中だけに安住しようとする限り、出てこないものかもしれません。限られた場に身を置きながらも、その場を通じて、あくまでも、あらゆる人びとと共に歩もうという精神が、自分の上にどう実現するのか、と、確かめようとした時、親鸞聖人は、仏教界というグループに属する一員ではなく、一人の人間として、これまで歩んできた仏道という道を、このまま進むべきかどうか、という問いに、初めて向き合うことになったのです。(リンク先より)・第3話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)
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平視して、顰蹙を遠離す

「常に笑みを含み、顔をのべ、平視して、顰蹙(ひんしゅく)を遠離す」これは、観音さまの表情を示した一文です。 「常に笑みを含み、顔をのべ」とは、いつも微笑みを忘れず、顔をしかめずということです。(リンク先より)・平視して、顰蹙を遠離す
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第2話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)

逆に自分のことは自分でしなくてはならない、現在の言葉でいえば「自己責任」という言葉であらわされるような考えが一般化してゆきました。財産や権利を持った人は、それを、さらに大きな権力や武力を持った人に守ってもらおうとし、一層大きな権力が作られてゆきます。(リンク先より)・第2話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)
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亡きご先祖様に守られながら

亡きご先祖様に守られながら、私達が今、生きている幸せと感謝の気持ちをあらわす、お盆の行事も終わりました。(リンク先より)・亡きご先祖様に守られながら
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第1話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)

親鸞聖人は、9歳から29歳までの間の比叡山延暦寺での修行、またその後の35歳までの法然上人のもとでの聞法を経て、越後と関東という京都から遠く離れた地で25年間の生活をされました。そして、その生活の中でうなずき聞き取られた教えを、『教行信証』という書物に記してゆかれました。(リンク先より)・第1話 今、いのちがあなたを生きている ― 親鸞聖人のご生涯を通して―東舘紹見(仙台教区 善林寺)
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この命は先祖様から脈々と受け継がれたもの

あるアメリカ人の留学生が「亡くなった人の魂をまつるお祭りや行事は世界中にありますが、日本のお盆は姿は見えなくても、声が聞こえなくても帰ってこられるご先祖様や亡くなった人を心からお迎えして、ごちそうでおもてなしをし来年もまた帰ってきて下さいとお送りする。とても温かいやさしい日本人の心を感じます」と言っておりました。(リンク先より)・この命は先祖様から脈々と受け継がれたもの
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第6話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)

私たちの人生には、人それぞれ様々な出来事が毎日のように起こってきます。予定されたこともありますが、多くの場合それはこちらの予期せぬ形で起こってくることが多いと感じられる場合が大半を占めているようにも思われます。(リンク先より)・第6話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)
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合掌とは自分自身を拝む姿

お経が終わりお茶をご馳走になっていると「お寺さん、合掌っていうのはするもんじゃないんだね、させられるもんだね」そう云って(リンク先より)・合掌とは自分自身を拝む姿
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第5話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)

私がどの様に思うにしても、すでにしていのちの事実は一歩一歩を着実に歩んでいるのではないでしょうか。私の思いを超えて「いま、ここにある事実」は、そのことを私がどの様に解釈をし説明したり意味づけしようとも、生きてあること自体は、とても不思議なことでしかないと云うほかないのではないでしょうか。(リンク先より)・第5話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)
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今いる自分を再確認する

ご先祖様を迎えるためにお仏壇やお墓を綺麗に掃除をして、季節の花やお供物などを供えて感謝の気持ちを忘れず迎えてあげましょう。 お仏壇やお墓の前で手を合わせ、今いる自分を再確認する、手を合わせるということは亡くなられた方やご先祖様のご縁によって導かれているのです。 (リンク先より)・今いる自分を再確認する
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第4話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)

さて、私たちの生活・生き方はどの様なものであるかと考えれば、未来に向かって幸福(しあわせ)を求めて歩んで生きているということではないでしょうか。それは、ある意味では私たちの自然な生き方であると思います。(リンク先より)・第4話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)
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第3話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)

例えば、私たちは如何に夫婦、兄姉、親子であろうともその存在においては「単独」的にしか生きていません。更にその身は誰かに代わってもらうことの出来ない身として生きています。また、私たちのいのちには限りがあります。(リンク先より)・第3話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)
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滴丁東了滴丁東

渾身口に以て虚空に掛る東西南北の風を問わずただひたすらに他がために般若を談ず滴丁東了滴丁東(チンテントンリンチンテントン)(リンク先より)・滴丁東了滴丁東
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第2話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)

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「その命の尊さ」と「大切さ」

小泉八雲は、「亡き人の、御霊(みたま)の前に、夜毎(よごと)にともされる、小さな灯明(ともしび)。食べ物やお茶などをあげる、ささやかな供えもの。仏迎えのお盆の迎え火。亡き御霊を、再び安らぎの、黄泉(よみ)の国へ送り返すために、用意される精霊船(しょうりょうぶね)よ。こういう古い家庭宗教に、無信仰な人間にも、何という詩的な情緒が感じられることだろう。」と書き残しています。(リンク先より)・「その命の尊さ」と「大切さ」
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第1話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)

自分にとって思い通りにならなかったり、自分がその状況についていけなくなれば、「昔はよかった」と、過去を基準にして今を批判しますし、その逆に、「いつかは何とかなる」と楽観的に思うことで、自分をなだめたりもしています。(リンク先より)・第1話 今、いのちがあなたを生きている 花山孝介(三重教区 遍崇寺住職)
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布施・愛語・利行・同事

さて突然ですが、皆さんはどの様な時に宗教を考えることがありますか? 多くの方は葬儀や法事等のときではないでしょうか。もちろんご先祖を敬い、供養をすると言う事は、我々仏教を信ずる者にとっては大事な報恩行であります。(リンク先より)・布施・愛語・利行・同事
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第6話 自力のかたち 他力によって照らし出されるもの 竹橋太(北海道教区 法圓寺副住職)

少しでも善い者に見られたい、そういう自らの分別心によって、自らや世界を切り刻んで生きてしまっています。またそれに疲れて、感受性を押し殺して生きる。さらに、絶望して何も信じられないという状態になる。(リンク先より)・第6話 自力のかたち 他力によって照らし出されるもの 竹橋太(北海道教区 法圓寺副住職)
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親孝行が人間文化の始まり

今日、6月26日は、私の誕生日です。 そして、誕生日になると必ず淀川長治さんの話を思い出します。淀川長治さんとは、長年、日曜洋画劇場にて解説を勤められ、特に番組の最後「それでは、次週をご期待下さい。さよなら、さよなら、さよなら」の名台詞を残された方であります。(リンク先より)・親孝行が人間文化の始まり
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第5話 自力のかたち 生死2 竹橋太(北海道教区 法圓寺副住職)

自分自身が死ぬということに対して、死ぬ自身を受け入れられない、死を持った自分の人生を受けとることが出来ないのです。そうして、そこからの救いを求め、死を先送りし、生を未来に続けるために考え出されたのが生死・輪廻です。(リンク先より)・第5話 自力のかたち 生死2 竹橋太(北海道教区 法圓寺副住職)
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手のひらを合わせてしまえば、ケンカは出来ません

人間の歴史は手の歴史だと言っても過言ではありません。犬や猫のような動物が、人間の手のようになっていたら、その動物の歴史は変わっていたでしょう。(リンク先より)・手のひらを合わせてしまえば、ケンカは出来ません
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第4話 自力のかたち 生死1 竹橋太(北海道教区 法圓寺副住職)

「生死」とは、お釈迦さまの時代のインドの言葉、サンスクリットの「サンサーラ」の訳語です。これは「輪廻」とも訳されていますが、「死んでは生まれ変わること」を意味しています。(リンク先より)・第4話 自力のかたち 生死1 竹橋太(北海道教区 法圓寺副住職)
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物事を色々な角度から見てみれば違った見え方がある

この時期になりますと、必ず本州にいる親友から電話がかかってまいります。内容は毎年一緒で、「北海道は梅雨がなくていいな、北海道に住みたいよ」との声。北海道民で良かったと思う瞬間です。(リンク先より)・物事を色々な角度から見てみれば違った見え方がある
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第3話 自力のかたち その3 竹橋太(北海道教区 法圓寺副住職)

お釈迦さまが自らの青春の時代を回想して弟子たちにこうおっしゃっています。「比丘たちよ、私はまことに細やかな心遣いをもって養育された。」と。お釈迦さまは王子さま、ですから、最高の住まいや、最高の衣服をあたえられていたとおっしゃいます。(リンク先より)・第3話 自力のかたち その3 竹橋太(北海道教区 法圓寺副住職)
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継続は力なり

緑豊かな、良い季節になりました。 子供達は、学年やクラスが変わって二ヶ月経ち、新しい生活に慣れてきたことでしょう。ランドセルを背負った一年生も板についてきたように見えます。(リンク先より)・継続は力なり