便り 瑞聖寺-東京都港区 ・紫雲山 瑞聖寺 単立 東京都港区白金台3-2-19紫雲山瑞聖寺は、江戸で最初の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、寛文十年(1670)から建設に着手し、翌年諸堂が完成しました。 創建伽藍は亨保十一年(1726)と延亨二年(1745)の二回の火災で大きな被害を受けましたが、文化年間(1804~18)に再び整備されました。 (リンク先より) << 戻る 1670.01.01 便り年表
便り 常福寺-島根県安来市 ・常福寺 臨済宗妙心寺派 島根県安来市門生町1721669年(江戸時代-四代将軍 家綱の時代)、開祖 末禅和尚が雲州-雲樹寺の臥龍庵を当地に移して建立されました。観音立像を本尊として、後の鎭堂(ちんどう)和尚により 裏山に三十三ヶ所観音巡りが祀られております。(リンク先より) << 戻る 1669.01.01 便り年表
便り 広済寺-東京都江戸川区 ・萬徳山 広済寺 黄檗宗 東京都江戸川区春江町4-231669年(寛文九年)に当時の上州(群馬県)館林城主綱吉公の許可を得た潮音道海禅師により、関東における最初の黄檗禅道場として城内に建立された。 大いに禅風を挙げ、禅師に深く帰衣し、檀越(信者)となった多くの庶民がその膝下に集り、後に黒滝派という一派を形成、その言動が与えた影響は社会的に大きいものがあった。(リンク先より) << 戻る 1669.01.01 便り年表
便り 蓮敬寺-島根県江津市 ・蓮敬寺 浄土真宗本願寺派 島根県江津市敬川町1754開基は「教生」という僧侶が波子に小庵を結び布教にあたったのが蓮敬寺のはじまりとされております。 寛文7年(1667年)小庵を神村という地に移り、さらに元禄15年(1702年)には跡市村に移って布教活動を続けるが、明治14年(1881年)11月26日に敬川の強信の門信徒の願いにより敬川の地に移転した。(リンク先より)<< 戻る 1667.01.01 便り年表
便り 恵洪寺-宮城県岩沼市 ・恵洪寺 臨済宗妙心寺派 宮城県岩沼市押分字南谷地238江南山 恵洪寺は、京都の臨済宗大本山妙心寺に属する宮城県岩沼市の禅寺です。周澤(しゅうたく)和尚の開山後、寛文4年(1664年)、仙台北山五山で伊達輝宗公の菩提寺「覚範寺」第6世「徹宗宗源大禅師和尚」の創建です。(リンク先より) << 戻る 1664.01.01 便り年表
便り 西方寺-三重県津市 ・西方寺 浄土真宗本願寺派 三重県津市芸濃町椋本332寛文3年1663年9月宗春によって開山いたしました。西方寺の寺号は貞享2年1685年9月に許可されました。以来、お念仏の道場として、ご門徒の心の拠りどころとして現在に至っております。(リンク先より) << 戻る 1663.09.01 便り年表
便り 東光寺-東京都中野区 東光寺 真言宗豊山派 東京都中野区上高田5-21-5寺院内にある寛文3(1663)年に作られた庚申塔は、地蔵と共に、中野区登録有形文化財になりました。また、豊島八十八ヶ所霊場87番札所となってます。平成26年2月、中野区認定観光資源に認定されました。創建年代は不明ですが、1933年(昭和8年)の本堂改築の際に、「元禄三年五月八日三世満盛建之」と書かれた棟札が発見されています。 << 戻る 1663.01.01 便り年表
便り 慈光院-奈良県大和郡山市 ・慈光院 臨済宗大徳寺派 奈良県大和郡山市小泉町865寛文3年(1663) 小泉藩二代目藩主の片桐石見守貞昌(石州)が、初代藩主である父貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として自分の領地内に、大徳寺185世玉舟和尚(大徹明應禅師)を開山に迎え建立した臨済宗大徳寺派の寺院。(リンク先より) << 戻る 1663.01.01 便り年表
便り 瑞龍寺-富山県高岡市 ・瑞龍寺 曹洞宗 富山県高岡市関本町35高岡山瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため三代藩主利常公によって建立された寺である。 利長公は高岡に築城し、この地で亡くなった。加賀百二十万石を譲られた義弟利常は、深くその恩を感じ、時の名工山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。 造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。当時、寺域は三万六千坪、周囲に壕を巡らし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。国の重要文化財として、指定されている建造物は、総門、山門、仏殿、法堂、明王堂(現僧堂)、回廊であり、江戸初期の禅宗... 1663.01.01 便り年表
便り 福巖寺-和歌山県田辺市 ・福巖寺 臨済宗妙心寺派 和歌山県田辺市中辺路町西谷575万治以前より、当字菴尾に福徳菴があり、真言宗の僧、太初守元和尚が菴主をしていました。真砂には漬入山萬福禅寺がありましたが、大水害のために流失。寛文二年二月に、再建不能の萬福禅寺と福徳菴が合併し、開山に海蔵寺第五世の桃源長茂大和尚を懇請して、寺名も雪峰山福巖寺と改め、清姫とその一族、並びに檀信徒各家の先祖の菩提を弔うために現在地に建立されました。(リンク先より)※寛文二年 1662年 << 戻る 1662.02.01 便り年表
便り 龍潭寺-愛媛県八幡浜市 ・龍潭寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県八幡浜市保内町川之石5-591662年開基の古刹。京都にある禅寺・臨済宗妙心寺派の流れを組んだ重厚な雰囲気を持つ。本堂は、宇和島藩の大名用として建てられたため、外観・内観ともに豪華絢爛。対して禅堂は、質素な造りや生活を重んじており「わび」と「さび」を感じることが出来る。地域とのつながりや、ふらりと立ち寄った人とのつながりを大切にしている気さくな和尚さんから説法を聞くのもおもしろい。(リンク先より)・龍潭寺 りょうたんじ<< 戻る 1662.01.01 便り年表
便り 長楽寺-岐阜県恵那市 ・長楽寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県恵那市笠置町姫栗1119-3寛文2年(1662年) に苗木の殿様の菩提寺であった雲林寺の和尚さんにより長増寺を開かれたと伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1662.01.01 便り年表
便り 随善寺-大分県由布市 ・随善寺-大分県由布市 真宗大谷派 大分県由布市庄内町東大津留420-1寛文元年(1661年)から世代を超えて勤めてまいりたいと存じております。(リンク先より) << 戻る 1661.09.26 便り年表
便り 浄善寺-福岡県飯塚市 ・浄善寺 浄土宗 福岡県飯塚市鯰田1349境内に十一面観音(修復計画中)、弘法大師門有り、又、立花実山の葬儀を司ったという証の戒名が現存する最古の過去帳にみることが出来る。嘉穂郡誌によると、浄善寺は寛文(1661~1663)初年に浄冏和尚によって開基されたとある(嘉穂郡寺院明細帳)(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 萬福寺-京都府宇治市 ・大本山萬福寺 黄檗宗 京都府宇治市五ケ庄三番割34黄檗山萬福寺は1661年に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。 禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺(おうばくざんまんぷくじ)」と名付けました。(リンク先より)<< 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 喜雲寺-岩手県盛岡市 ・喜雲寺 曹洞宗 岩手県盛岡市玉山区下田宇生出袋54喜雲寺は、江戸時代前期(1661~73年)、下田城主の下田弥三郎秀祐を開基に、報恩寺(盛岡市)10世・天山宝尭和尚を請して開山しました。下田(もと石亀)氏は南部氏の家臣で、三戸から同行した人物でもありました。さらに歴史をさかのぼると、初代盛岡城主の26代南部信直公が、子が病死した地である北上川べりに堂を建立したのが喜雲寺の起こりとも言われています。(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 善養寺-兵庫県姫路市 ・善養寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市八代本町1-16-36善養寺は過去帳によりますと、江戸時代初期1661年にこの八代の地に浄土真宗の寺院として創建されました。(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 大源寺-岐阜県安八郡 ・大源寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県安八郡神戸町瀬古256-1大源寺の創建は定かではありません。元は現在地の北東2キロほどのところにありましたが、水害により消滅しておりました。寛文元年(1661年)に、大垣藩主戸田肥後守氏西の庇護のもと、慈溪寺二世の密雲和尚の隠居所として再興されました。(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 道往寺-東京都港区 ・来迎山 道往寺 浄土宗 東京都港区高輪2-16-13道往寺は江戸時代の寛文年間(1661年-73年)に建立されました。道往寺の一帯は、かつて東京湾に面した高台でした。高輪の海岸線の景色は、葛飾北斎「阿蘭陀画鏡(おらんだえかがみ)江戸八景高縄」に描かれています。また、江戸時代後期には「廿六夜待ち」の月の名所として人気を集めました。(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 龍門寺-兵庫県姫路市 ・龍門寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県姫路市網干区浜田812盤珪永琢国師の根本道場として寛文元年(1661)に創建されました。創建時の遺構をほぼそのままに遺して300年の法灯を持続しています。(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 十楽寺-滋賀県甲賀市 ・十楽寺 浄土宗 滋賀県甲賀市土山町山中351元来、天台の寺であったものが信長の兵火に会い消失する。寛文年間(1661年〜)巡化僧広誉可厭大和尚、現在の地に錫を留め専修念仏浄土の寂光を宣揚せんことを念願し広く十方有志の助成を仰ぎ万人講を勧募し本堂、庫裏、茶所を完成し、清浄山二尊院十楽寺と名称し念仏道場と定め、浄土宗総本山知恩院の直轄末寺となり今日に及ぶ。(リンク先より) << 戻る 1661.01.01 便り年表
便り 伊賀長徳寺-三重県伊賀市 ・伊賀長徳寺 曹洞宗 三重県伊賀市炊村1700草創は不詳ですが、お寺の古い記述によると萬治三年(1660年頃・江戸時代)からの記録があり、 この頃には長徳寺としてお寺が機能していました。 当時の監住で礼牛和尚からの記録によると、濤雲和尚(極楽寺)、良道和尚(普門寺)、 大應大和尚(法善寺)、月波和尚(地蔵寺)、良運和尚(普門寺)がしばらく監住し、 その間に、海天和尚、良珠和尚と當山(当寺)を守り、長徳寺御開山 月堂素白大和尚(本寺 広禅寺第 世住職)を向かい入れ 二代目に良運和尚が引き継いできました。(リンク先より) << 戻る 1660.01.01 便り年表
便り 願隆寺-愛知県名古屋市中村区 ・紹光山願隆寺 真宗高田派 愛知県名古屋市中村区烏森町6-142万治三年開創。受院真諦空全大法師が親鸞聖人の教えに帰依し、自ら烏森城跡に庵室を建立。その後、高田派本山第十六世堯円上人の時、願隆寺と称されるようになる。昭和20年3月、空襲により本堂庫裡を失ったが、33年に梵鐘を再鋳。48年には全ての再建を終える。本尊は、恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来。正式には「紹光山 願隆寺」と称する。(リンク先より)※万治三年 1660年 << 戻る 1660.01.01 便り年表
便り 静泰院(廃寺)-福岡県北九州市門司区 静泰院(廃寺)は臨済宗妙心寺派に属する寺院でしたが、現在は廃寺となっているようです。画像資料より、福岡県北九州市門司区柳町4-11-26 にあったと分かります。なお、ネット上には静泰院の住所として【福岡県北九州市門司区大里5397】という住所を掲載しているものも複数ありますが、何も調べずに掲載している業者ですので、ご注意ください。1659年(万治2年)、小笠原長繁は父である小笠原長俊(小笠原小倉藩初代藩主忠真の弟)の菩提を弔う為に、柳村(現在の柳町4丁目)に寺院を建立し、天龍山静泰院と号しました。1770年(明和7年)、高僧蘭山禅師が静泰院(臨済宗)の住職として入山すると、禅師の学徳を慕って全... 1659.01.01 便り年表
便り 悟溪寺-宮城県黒川郡 ・悟溪寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大和町落合桧和田字万五郎1-70悟溪寺は松島、瑞巌寺の末寺で、萬治2年(1659年)鐵舟和尚を開山とする臨済宗妙心寺派のお寺です。開山は萬治2年となっていますが、大正13年に発行された黒川郡誌には、「延慶2年(1309年)僧智覺之を開基」との記載があり、さらに350年ほど歴史がさかのぼれると思われるが、天保2年(1830年)火災によりそれ以前の記録は焼失しており、由緒の詳細は不明となっています。(リンク先より) << 戻る 1659.01.01 便り年表
便り 龍華院-宮城県黒川郡 ・龍華院 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大和町鶴巣大平字郷ノ目25宮城県黒川郡大和町にある當来山龍華院は1658年より続く臨済宗妙心寺派のお寺です。木造二階建ての本堂は全国的にも例がなく、とても美しいプロポーションをしています。(リンク先より) << 戻る 1658.01.01 便り年表
便り 傑伝寺-埼玉県川口市 ・傑伝寺 曹洞宗 埼玉県川口市東本郷1506『天桂山傑傳禅寺文書』(金沢文庫所藏)によると、萬治の初め(1658~1661年頃)永平寺第27世 嶺巖英峻禅師りょうごんえいしゅんぜんじ開山。江戸における幕府重鎮であった、酒井忠勝を弔うため建立された。忠勝の戒名『空印寺殿傑傳長英大居士』より傑傳をとり寺名とした。当時は広大な敷地を有りし、永平寺直末であり、さらに酒井家の香華寺であることから繁栄した。(リンク先より) << 戻る 1658.01.01 便り年表
便り 法蔵寺-三重県四日市市 ・南林山 法蔵寺 臨済宗妙心寺派 三重県四日市市貝塚町361本寺は萬治元年(1658)の創立にして宗貞首座を開基としています。伊勢国桑名長寿院木堂和尚により堂宇再がされ中興とします。(リンク先より) << 戻る 1658.01.01 便り年表
便り 大安禅寺-福井県福井市 ・大安禅寺 臨済宗妙心寺派 福井県福井市田ノ谷町21-4今を遡ること1300有余年前、時の高僧泰澄大師が竜王山田谷寺を創建し、門前市をなすほどに越前庶民の信仰を得ましたが、天正2年織田信長の越前攻略の兵火に遭い、全山焼失し法灯850年の歴史に幕を閉じることになります。 その霊地に、万治元年(1658年)第4代福井藩主松平光通公が、時の名僧大愚宗築禅師に深く帰依され両親、及び祖先の恩を忘れないために、福井藩主松平家の永代菩提所として建立されたのが大安禅寺です。(リンク先より)<< 戻る 1658.01.01 便り年表
人物 林羅山(はやしらざん) 江戸時代初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称は又三郎。出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる。羅山とは儒学者としての号で、中国広東省の羅浮山で宋代の学者が『春秋』を研学したとの故事に基づき、師の藤原惺窩が命名したもの。13歳で建仁寺に入り、古澗慈稽・英甫永雄ら禅僧について学んだが、僧にはならず、十五歳で寺を出て帰宅した。学問を実際の政治と結びつけることを目指し、慶長十年に二条城で家康に謁し、学識を認められる。同十二年に江戸で将軍徳川秀忠に謁し、駿府で家康に仕えて、その命により僧形となり、道春と称した。家康に随行して上洛した際に、京都の数村... 1657.01.23 人物年表