本願寺(西本願寺)-京都府京都市下京区

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阿弥陀堂(あみだどう)

阿弥陀堂とは、阿弥陀如来を本尊とする仏堂のことです。その内部には金色の阿弥陀如来を安置し、壁に極彩色をもって極楽浄土を描いている場合が多くあります。奈良時代には、東大寺南阿弥陀堂(741年)や法華寺阿弥陀浄土院(760年)が建立されました。この頃の伽藍は当麻曼荼羅(たいままんだら)のような浄土変相図の影響を受けたものでした。平安時代中期から後期には、末法思想を背景として浄土信仰が高まり、様々な規模の阿弥陀堂が建立されました。鎌倉時代以降には、浄土宗、浄土真宗・真宗の広がりと共に阿弥陀堂が建立されました。現在の境内の配置を見ると、知恩院では御影堂に向かって左に阿弥陀堂があり、西本願寺は御影堂に向...
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本願寺、京都(堀川六条)に移る

1591(天正一九)年8月、豊臣秀吉の京都市街経営計画にもとづいて本願寺は再び京都に帰ることとなり、顕如上人は堀川の現在地を選び、ここに寺基を移すことに決められた。阿弥陀堂・御影堂の両堂は翌年完成した。<< 戻る
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本願寺(西本願寺)-京都府京都市下京区

・龍谷山 本願寺(西本願寺) 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区堀川通花屋町下ルもともと、本願寺は、親鸞聖人の廟堂(びょうどう)から発展しました。親鸞聖人が弘長2年11月28日(新暦1263年1月16日)に90歳で往生されると、京都東山の鳥辺野(とりべの)の北、大谷に石塔を建て、遺骨をおさめました。 しかし、聖人の墓所はきわめて簡素なものでありましたため、晩年の聖人の身辺の世話をされた末娘の覚信尼(かくしんに)さまや、聖人の遺徳を慕う東国の門弟達は寂莫の感を深めました。そこで、10年後の文永9年(1272)に、大谷の西、吉水の北にある地に関東の門弟の協力をえて六角の廟堂を建て、ここに親鸞聖人...