便り 源英寺-群馬県前橋市 ・源英寺 曹洞宗 群馬県前橋市大手町3-17-22情報:夜間、境内での「ポケモンGO」は禁止です。日中のご利用をお願い致します。源英寺(リンク先より) << 戻る 2018.09.09 便り
便り 東善寺-群馬県高崎市 ・東善寺 曹洞宗 群馬県高崎市倉渕町権田169烏川対岸から見た東善寺 後ろは榛名山の杏ケ岳(すももだけ)手前の田んぼの向こうが見えないけれど烏川、次に国道406号、そして東善寺です(リンク先より) << 戻る 2018.09.09 便り
便り 光性寺-群馬県桐生市 ・光性寺 曹洞宗 群馬県桐生市東4-1-13むかし、天災と大飢饉が桐生近辺で起き、人々が不安を抱き暮らしていた中、1人の尼さん(妙宏律師)が京都から不動明王様を背におんぶして歩いてお連れし、光性寺にまつられたそうです。その不動明王像を周囲の人々がお参りし、しずめられました。(リンク先より) << 戻る 2018.09.08 便り
便り 泉龍寺-群馬県吾妻郡 ・泉龍寺 曹洞宗 群馬県吾妻郡高山村大字尻高甲1939山号は熊野山、院号は関松院。寺の裏庭には、源頼朝が植えたとされる樹齢800年の高野槇がある。(リンク先より) << 戻る 2018.09.08 便り
便り 長昌寺-群馬県前橋市 ・長昌寺 曹洞宗 群馬県前橋市紅雲町1-9-14私たち長昌寺の長い長い歩みを振り返ってみると、その歩みは有為転変に満ちていることが分かります。 度重なる火災・天災や経済的な困窮から、廃寺の危機にさらされたこともありました。(リンク先より) << 戻る 2018.09.08 便り
便り 龍源寺-群馬県高崎市 ・龍源寺 曹洞宗 群馬県高崎市吉井町多胡776『上野国郡村誌』に、「神保村仁叟寺末寺派、僧壽溯和尚開基、創建年号不詳」とあり、『多胡郡寺院明細帳』には、「正保元申年(1644)3月、僧壽溯創建、明治20(1893)6年1月23日焼失」、と記されている。(リンク先より) << 戻る 1644.03.01 便り年表
便り 常仙寺-群馬県高崎市 ・常仙寺 曹洞宗 群馬県高崎市並榎町331並榎山常仙寺は、一六二八年(寛永五年)徳川家光の時代に、水運業を営む飯塚常仙(光徳院心徹常仙居士)が藤岡市森の泉通寺の四世である松齢恕嶽大和尚を開山として創建したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る 1628.01.01 便り年表
便り 龍廣寺-群馬県高崎市 ・龍廣寺 曹洞宗 群馬県高崎市若松町49徳川四天王の一人とよばれた井伊直政(1561-1602)が開基の寺院。直政は箕輪(現在の箕郷)より髙﨑に城を移す時に、信任の厚かった龍門寺住職白庵秀関和尚と共にこの地に来ました。そして、慶長三年(1598)白庵和尚を初代住職として龍廣寺を建立した。(リンク先より) << 戻る 1598.01.01 便り年表
便り 川龍寺-群馬県利根郡 ・川龍寺 曹洞宗 群馬県利根郡昭和村大字貝野瀬1129群馬県の赤城山の麓にたたずむ戦国時代(1590年)から続く由緒ある寺院です。(リンク先より) << 戻る 1590.01.01 便り年表
便り 良珊寺-群馬県渋川市 ・良珊寺 曹洞宗 群馬県渋川市上郷2919如意山良珊寺の開創は天正年間(1573-1592)のことと伝えられている。貞享5年(1688)の「除地の覚」によれば、その発祥は、白井城主長尾昌賢の家来の佐鳥全徳(橋山全徳庵主、-1568、永禄11)が弘治3年(1557)11月24日に没した妻(繁慶嶺昌大姉)のために建立した伴松庵であるという。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 永隣寺-群馬県富岡市 ・永隣寺 曹洞宗 群馬県富岡市下丹生1568-1小幡信氏公が国峰城、宮崎城の両城の城主であった時、永隣寺を建て菩提寺とし、寺領として9,750坪を寄進した。信氏公は、永禄12年12月6日、静岡の蒲原の戦いで戦死。徳翁永隣大禅定門となり、信氏の夫人は、天正15年5月29日に逝去。算室正寿大禅定尼となった。(リンク先より)※永禄12年 1569年 << 戻る 1569.01.01 便り年表
便り 瑞岩寺-群馬県太田市 ・瑞岩寺 曹洞宗 群馬県太田市矢田堀甲388瑞岩寺という寺号(じごう)は、瑞岩寺伝によると当寺は、常陸国河内郡若芝宿金龍寺の末寺であり、天文十二年(1543年)3月15日に建立された伽藍は、 運慶作の十一面観世音菩薩を本尊としている。(リンク先より) << 戻る 1543.01.01 便り年表
便り 観音寺-群馬県沼田市 ・観音寺 曹洞宗 群馬県沼田市下発知町332石尊山観音寺は明応9年(1500年)天山見亮禅師により開創され、以来戦後争乱の中を生き抜き永い星霜を累ねてきました。御開山天山見亮禅師は御本寺迦葉山龍華院3世であり、群馬成孝院2世、永福寺2世、福島清光寺2世、茨城鱗勝寺3世と各地の住職を務めた高徳です。(リンク先より) << 戻る 1500.01.01 便り年表
便り 茂林寺-群馬県館林市 ・茂林寺 曹洞宗 群馬県館林市堀江町1570青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られる当山は、 応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院です。(リンク先より) この茂林寺はおとぎ話「ぶんぶく茶釜」の寺として広く知られており、総門から山門に続く参道では21体の信楽焼の狸像が参拝客を出迎えてくれる他、山門をくぐると1960年に東武鉄道が寄贈した巨大なタヌキ像が待っています。<< 戻る 1426.01.01 便り年表
便り 光厳寺-群馬県富岡市 ・光厳寺 曹洞宗 群馬県富岡市下高瀬731光厳寺は鳳来山光厳寺と号し大本山永平寺直末の寺院である。寺の縁起は室町時代人皇九十六代光厳天皇の御開基で大本山永平寺八世鷹林喜純禅師を開山としている。江戸時代の天文、正保、安永年間に火災により重宝類は焼失し寺歴に不明な点がある。(リンク先より)※光厳天皇在位:1331年10月22日〈元弘元年9月20日〉- 1333年7月7日〈元弘3年5月25日〉 << 戻る 1331.01.01 便り年表
便り 宝積寺-群馬県甘楽郡 ・宝積寺 曹洞宗 群馬県甘楽郡甘楽町大字轟774宝積寺(ほうしゃくじ)は、現在のお寺より南に4キロ行った山の中腹にある天寿庵(てんじゅあん)と言う庵(いおり)からきています。お寺の境内には、弘安3年(1280年)、正安4年(1302年)、延慶2年(1309年)の板碑が建立されています。この時代にはすでに天台宗の寺として、広い寺領を持ち、栄えていました。(リンク先より) << 戻る 1280.01.01 便り年表
便り 明言寺-群馬県邑楽郡 ・明言寺 曹洞宗 群馬県邑楽郡邑楽町大字石打237-1曹洞宗月音山明言寺(そうとうしゅうげつおんざんみょうごんじ)の本尊は千手観世音菩薩です。千手観世音菩薩は、また、子〔ね〕年生まれの方の守り本尊でもあります。明言寺は、元久〔げんきゅう〕元年(1204年)、天台宗の寺院として創建されましたが、その後、天正〔てんしょう〕2年、 曹洞宗寺院として再興されました。(リンク先より) << 戻る 1204.01.01 便り年表
便り 長學寺-群馬県富岡市 ・長學寺 曹洞宗 群馬県富岡市上高尾甲700承和二年(835年)山城国(京都府)高尾山神護寺の真済が勅命により関東諸国に一切経を納めましたが、上野国については、貫前神社宮司に適地を選定させ、その時当地に一堂を建てたと伝えられています。この時、地名を高尾山、寺号を祝融山高尾寺と呼び、「祝融」は火の神であり、楓谷の紅葉にちなむものとされています。(リンク先より) << 戻る 0835.01.01 便り年表
便り 釈迦尊寺-群馬県前橋市 ・釈迦尊寺 曹洞宗 群馬県前橋市元総社町2497-1五八七年 三十一代用明天皇二年蘇我馬子が、物部守屋を滅ぼしたとき物部氏に加担した中臣羽鳥連と妻、玉照姫は上毛野国青海に流罪となる。玉照姫は聖徳太子の乳母にて、太子の守仏、闇浮壇金一寸八分の釈迦尊仏を、太子より授けられる。(リンク先より) 2016年には当寺で三遊亭円楽(6代目)が得度を行っている。<< 戻る 0587.01.01 便り年表