岩手県(曹洞宗)

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永昌寺-岩手県北上市

・永昌寺 曹洞宗 岩手県北上市更木33-105曹洞宗永昌寺の副住職 スキーではデモンストレーター、インラインではカリスマと呼ばれ、 江戸から岩手に移住し、岩手スポーツ界の活性化と仏道布教にあけくれる! << 戻る
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祇陀寺-岩手県盛岡市

・祇陀寺 曹洞宗 岩手県盛岡市大慈寺町3-16全ての生きとし生けるものが幸せでありますように 祇陀寺 住職 吉田大信 合掌(リンク先より)(旧アドレス:) << 戻る
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江岸寺-岩手県上閉伊郡

・江岸寺 曹洞宗 岩手県上閉伊郡大槌町末広町10-11江岸寺の開山は、盛岡市にある法恩寺第三世幸岳東慶大和尚ですが、元文元年(一七三六)以来、再三の火災により本堂、講堂、什宝物、過去帳、古文書等、ほとんど焼失しているため由来を知ることが困難です(リンク先より) << 戻る
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喜雲寺-岩手県盛岡市

・喜雲寺 曹洞宗 岩手県盛岡市玉山区下田宇生出袋54喜雲寺は、江戸時代前期(1661~73年)、下田城主の下田弥三郎秀祐を開基に、報恩寺(盛岡市)10世・天山宝尭和尚を請して開山しました。下田(もと石亀)氏は南部氏の家臣で、三戸から同行した人物でもありました。さらに歴史をさかのぼると、初代盛岡城主の26代南部信直公が、子が病死した地である北上川べりに堂を建立したのが喜雲寺の起こりとも言われています。(リンク先より) << 戻る
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久昌寺-岩手県盛岡市

・久昌寺 曹洞宗 岩手県盛岡市大慈寺町1-5久昌寺は創建当初「久昌庵」という庵寺であって、十一屋某者(現盛岡市下ノ橋十一屋の先祖)が祇陀寺の奇山快秀和尚の為に造った閑居でありました。 快秀和尚は十一屋三代の当主高橋祐吉と相談し、周囲の谷地を求め伽藍を建立し、布教・法要を執り行う道場とし、明暦二年(1656年)開山導師として、報恩寺九世蘭翁嫩芝大和尚を勧請し、自ら二世大和尚として住職になられ、その時から「奕葉山・久昌寺」と公称するようになりました。ご本尊は釈迦年尼佛、脇侍は文殊菩薩・普賢菩薩であります。(リンク先より)<< 戻る
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宮澤寺-岩手県盛岡市

・宮澤寺 曹洞宗 岩手県盛岡市本宮宮沢90宮澤寺は、江戸時代前期(1632年)、東顕寺六世・崇岳善寿大和尚によって開創されました。当初、地名にちなむ「本野山」の山号でしたが、いつのころか、今のように改めています。(リンク先より) << 戻る
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泰養寺-岩手県胆沢郡

・泰養寺 曹洞宗 岩手県胆沢郡金ヶ崎町西根字南町62宝暦13年(1763)と安永5年(1776)の『西根村風土記』によれば、「泰養寺」は今から約450年前の永禄元年(1558)鶴庵全賀大和尚により開山された寺である。鶴庵大和尚は泰養寺を開山した後、養雲寺四世住職に移られたので、養雲寺を本寺にしたと言われる。(リンク先より) << 戻る
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普門寺-岩手県陸前高田市

・普門寺 曹洞宗 岩手県陸前高田市米崎町字地竹沢1812006年に開山500年を迎えた、岩手県陸前高田市にある曹洞宗の寺院です。 境内には岩手県指定文化財である三重塔、木造伝聖観音像、絹本著色愛染明王画像などがあり、東日本大震災の後奉納された沢山の仏像が本堂や境内各所にまつられております。(リンク先より)※2006年-500年=1506 << 戻る
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願成寺-岩手県一関市

・願成寺 曹洞宗 岩手県一関市釣山31山号は「白馬山」寺号は「願成寺」。正法寺二世月泉大和尚九番目の弟子、梅栄元香大和尚によって至徳二年(1385)四月八日に開山されました。はじめは前渓山と号し、寺領十石、享保九年(1724)に現在の白馬山と改められました。(リンク先より) << 戻る
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東顕寺-岩手県盛岡市

・東顕寺 曹洞宗 岩手県盛岡市名須川町2-1松峰山東顕寺は至徳元年(1384)古山 良空 大和尚によって開創された寺院です。開基は、福士五郎政長 公です。福士氏は南部氏が盛岡に築城する以前から、この一帯の警備を任せられていた武士でした。(リンク先より) << 戻る
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正法寺-岩手県奥州市水沢区

・正法寺 曹洞宗 岩手県奥州市水沢区黒石町字正法寺129大梅拈華山圓通正法寺は、南北朝時代の貞和4年(1348)、無底良韶禪師によって開かれました。無底禪師は能登国の出身で、大本山總持寺二祖峨山韶碩禪師の高弟でした。峨山禪師には25人の優れた弟子(峨山禪師二十五哲)がおりましたが、無底禪師はその第一番に列せられています。無底禪師発心前の19歳の時、熊野本宮大社(和歌山県)に参篭したところ、「もし出家修行するならば佛法純熟せん」との夢告があり、霊石一箇を授けられたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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慶昌寺-岩手県北上市

・慶昌寺 曹洞宗 岩手県北上市和賀町煤孫18-208鎌倉時代後期の建武年間(1334~1336)の頃、鎌倉にある建長寺の法幢山泰嶺(ほうどうたいれい)大和尚が退院(隠居)したのち、全国を行脚しながらこの地にやってきました。泰嶺大和尚は和賀氏の本城だった二子(ふたご)城(別名・飛勢(とばせ)城を訪ねました。やがて泰嶺大和尚は流俗を嫌って、この地に留まることを決め、煤孫の長出の庄(現在地付近)に小庵を結びました。泰嶺大和尚は(法幢庵)と号して住まいしたといいます。(リンク先より) << 戻る
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蟠龍寺-岩手県紫波郡

・蟠龍寺 曹洞宗 岩手県紫波郡紫波町高水寺向畑97承和元年(834)に、もと高水寺第五代の伝法子法宥阿闍梨が祝融山(後改めて和融山と称す)をこの地に創立、文治の頃(1185~1190)兵火に遭い荒廃しました。(リンク先より) << 戻る
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盛岩寺-岩手県釜石市

・盛岩寺 曹洞宗 岩手県釜石市唐丹町字小白浜453当山の開創は、大同年中に天台宗の寺として開かれました。慶長6年8月(1601)陸前高田市米崎の普門寺4世在天長存大和尚によって曹洞宗に改め開山開堂の式が行れました。(リンク先より)※大同年中 806年から810年 << 戻る