京都府(曹洞宗)

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甘露寺-京都府亀岡市

・甘露寺 曹洞宗 京都府亀岡市東別院町南掛寺の前10甘露寺は南北朝時代(1336-1392年)に法相宗の寺院として創建されたと伝わります。明和三年(1766年)の墨書がある血脈版木(けちみゃくはんぎ)が残されていることから、その頃には曹洞宗の寺院だったと考えられます。また、血脈版木は駒澤大学禅文化歴史博物館に所蔵されています。本尊の十一面観音坐像は9世紀末から10世紀初頭の作で、亀岡市では最も古い仏像と言われています。甘露寺の名前の由来は北朝第一代天皇の光厳天皇がまだ即位される前に甘露寺を訪れ、住職が差し出した甘柿をいたく気に入られ、この号を授けられたとされています。 << 戻る
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東運寺-京都府京都市伏見区

・東運寺 曹洞宗 京都府京都市伏見区淀新町618-1山号:玉龍山寺号:東運寺本尊:釈迦如来(リンク先より) << 戻る
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詩仙堂(丈山寺)-京都府京都市左京区

・詩仙堂 丈山寺 曹洞宗 京都府京都市左京区一乗寺門口町27詩仙堂の御本尊は、馬郎婦観音(めろうふかんのん)です。 所願成就・学業成就に御利益があると言われています。 馬郎婦観音の言い伝えは、唐の時代、憲宗元和4年(809年)。今から1200年以上前の中国、唐の時代にまで遡ります。(リンク先より) << 戻る
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靖國寺-京都府宇治市

・鳳翔山 靖國寺 曹洞宗 京都府宇治市牛金井戸7-14昭和4年、建立者中井祖門師が当時の首相、田中義一氏と熟議し、賛同を得て発願されました。昭和16年より全国を托鉢勧募した浄財で用材を購入、本堂建立に着手。各地の信徒の多大なる寄進により、昭和18年11月には入佛式を修行、昭和24年4月に勤皇山靖國寺として落慶しました。 創建以来、戦没者の遺骨、無縁の英霊が全国各地より奉安置され、昭和26年には靖国神社より二百四十万余りの御分霊をお迎えしてお祀りしています。(リンク先より)※昭和4年 1929年<< 戻る
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智源寺-京都府宮津市

・智源寺 曹洞宗 京都府宮津市字京街道769寛永2年(1625)5月、宮津城主・京極丹後守高広公が、母堂・惣持院殿松渓智源大禅定尼追善のため建立し、心庵盛悦禅師を懇請して開山とした曹洞宗の寺院です。山号と寺号は、この松渓智源禅定尼より出ています。寛文元年(1661)、大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、丹後曹洞宗の諸寺を支配しました。(リンク先より) << 戻る
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久昌寺-京都府福知山市

・久昌寺 曹洞宗 京都府福知山市字寺町1文禄元年(1592年)久昌寺創建貞享2年(1685年)火災により、全焼する。元禄元年(1688年)二世南溪存越大和尚禅師代により再建する。禅師は雲岫廣覺禅師の勅賜号を賜う。(リンク先より) << 戻る
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榮春寺-京都府京都市伏見区

・榮春寺 曹洞宗 京都府京都市伏見区桃山町丹下30泰澄山榮春寺は元録十一年(1568)傳養和尚が開創された禅寺です。高祖道元禅師が、深草から越前へ赴かれた寛元元年(1243)から三百二十年後、伏見にはじめて建てられた曹洞宗寺院です。この地は小幡山の西北麓で、東南麓は道元禅師誕生の藤原家山荘のあった所である。また禅師の観音導利興聖宝林寺にも近い。(リンク先より) << 戻る
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興聖寺-京都府宇治市

・仏徳山 興聖寺 曹洞宗 京都府宇治市宇治山田27-11229年(寛喜元年)頃、道元禅師(どうげんぜんじ)が宋から帰国後、深草の安養院に閑居。観音導利興聖宝林禅寺(『典座教訓』)。(藤原氏ゆかり極楽寺の跡地と考えられる) 1233年(天福元年)、道元禅師が深草に興聖寺を開創。観音導利院興聖宝林寺と号する。僧侶の教育・育生を目指す修行道場として全国最初に開かれる。このことから「曹洞宗初開道場」とは興聖寺のことを指す。1645年(正保2年)、淀城主の永井尚政(ながいなおまさ)公が、万安英種禅師(ばんなんえいじゅ)を中興開山に請じ、宇治に興聖寺を再興。山号:仏徳山(ぶっとくざん)開山:道元禅師中興開...
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禅定寺-京都府綴喜郡

・禅定寺 曹洞宗 京都府綴喜郡宇治田原町大字禅定寺小字庄地100白華補陀落山観音妙智院禅定寺(びゃくげほだらくさんかんのんみょうちいんぜんじょうじ)と称す。 平安時代中期の正暦二年(991年)に東大寺五十三代別当であった平崇上人により創建された。 もとは、天台宗だが、現在は禅宗の曹洞宗(リンク先より) << 戻る