便り 光国寺-宮城県遠田郡 ・光国寺 時宗 宮城県遠田郡美里町二郷字前袋一号28-4当寺院の正式名称は[高玉山光国寺(こうぎょくさんこうこくじ)]と言い正保二年(1646年)に永福寺(現、涌谷町)の当時の住職[微阿直蓮和尚]が説教所として当時の二郷村高玉に開山した時宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る 1646.01.01 便り年表
便り 正念寺-広島県尾道市 ・正念寺 時宗 広島県尾道市西久保町1-5山号: 来迎山(らいごうさん)院号: 引接院(いんじょういん)開基:天正二年 遊行三十一世・同念上人(リンク先より) << 戻る 1574.01.01 便り年表
便り 荘厳寺-京都府京都市下京区 ・荘厳寺 時宗 京都府京都市下京区富小路通五条南入本塩竃町592-2荘厳寺は、応永12年(1405)遊行11代自空上人の弟子義縁和尚の創建です。かつては、高辻の北側・油小路堀川の間・東西72間・南北45間半(明治初年以来の明細書)あり、高辻道場佛光山荘厳寺と呼びました。同時に法性寺中将親信を始め、諸人の寄進により数多くの寺領を有りしていました。(リンク先より) << 戻る 1405.01.01 便り年表
便り 来迎寺-群馬県高崎市 ・来迎寺 時宗 群馬県高崎市浜川町981時宗(開祖:智真一遍上人)、永仁5年(1297年)遊行二祖真教上人、元亨2年(1322年)幡応尚初代住職以来、代を重ねること37代約700年。在住の豪族長野氏の信仰をうけ、同一族の隆盛と共に栄え、箕輪城落城によって一端は衰微したと思えるが、江戸時代の徳川氏の厚遇と歴代遊行上人の廻国により、広く一般大衆への念仏信仰の浸透に伴い教勢が拡大したことがうかがえる。(リンク先より) << 戻る 1322.01.01 便り年表
便り 海徳寺-広島県尾道市 ・海徳寺 時宗 広島県尾道市東久保町19-14当山は鎌倉時代末、全国を津々浦々遊行し、念仏の大切さを説いて回られた一遍上人が弘安十年(1287年)、尾道に滞在し念仏勧進された道場が起源と伝えられているお寺で、現住職で五十四代目です。(リンク先より) << 戻る 1287.01.01 便り年表
便り 無量光寺-神奈川県相模原市南区 ・当麻山 無量光寺 時宗 神奈川県相模原市南区当麻578当寺をひらいたのは、「踊り念仏」を広めたことで知られる一遍上人さまです。文永7年(1270)上人が32歳の時、また弘安4年(1281)43歳の時に、奥州遊行の帰路、当山にとどまり修行をされたと伝えられています。弘安5年(1282)の3月、上人は鎌倉方面に向け遊行の旅に発たれることになりました。このとき名残を惜しむ弟子や信徒に乞われ、自らの姿を水鏡に映し、筆をとって絵姿を描き、自ら頭部を刻み、弟子たちも力を合わせて等身大の木像を完成されました。これが御影の像として尊ばれ、現在も本尊として安置され、多くの人々を信仰の道に導かれているのです。(... 1282.03.01 便り年表
便り 光林寺-岩手県花巻市 ・光林寺 時宗 岩手県花巻市石鳥谷町中寺林12-54光林寺の創立は、鎌倉時代末期の弘安三年(1280)にまでさかのぼります。開基は、奥州稗貫郡の領主で寺林城主だった河野太郎通重の嫡子「河野通次」です。父親の河野太郎通重は伊予の領主・河野太郎通信の長男通俊の二男にあたります。河野通次は弘安二年の初夏、京都在番の折り、時宗開祖の一遍上人(1239~1289)に帰依し、発心して弟子になったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1280.01.01 便り年表