「 日本の出来事(仏教以外) 」 一覧

no image

公武合体運動

1862年、孝明天皇の妹・和宮が将軍家持と結婚し、公武合体運動がすすめられる。公武合体の動きに対して、薩摩藩と長州藩では尊王攘夷論がますます強まった。 << 戻る

no image

生麦事件

1862年、横浜近くの生麦村で、薩摩藩士がイギリス人を殺傷。 << 戻る

no image

安政の大獄

1859年、安政の大獄。大老井伊直弼は、朝廷の許しを得ずに通商条約を結び、それを批判した諸大名や数多くの志士(吉田松陰・橋本左内など)をとらえて死刑や島流しにした。 << 戻る

no image

井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランスと修好通商条約を結ぶ

1858年、井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランスと修好通商条約を結ぶ。神奈川・長崎・函館・兵庫・新潟の5港を開く。 << 戻る

no image

アメリカの総領事ハリスが下田に着任

1856年、アメリカの総領事ハリスが下田に着任する。 << 戻る

no image

吉田松陰が松下村塾を開く

1856年、吉田松陰が松下村塾を開く。 << 戻る

no image

日米和親条約を結ぶ

1854年、ペリーが再び来航し、日米和親条約(神奈川条約)を結ぶ。下田・函館の2港を開いて、アメリカ船に食料や燃料を与える約束をした。ついで、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約を結んだ。鎖国の終了 ...

no image

アメリカの使節ペリーが来航

1853年、アメリカの使節ペリーが来航し、浦賀で開国を要求する。アメリカのペリーが軍艦4隻をひきいて浦賀(神奈川県)に入港し、開国を求めた。幕府は翌年に返事をすると約束し、朝廷に報告すると共に大名にも ...

no image

天保の改革

1841年、天保の改革。老中水野忠邦による。株仲間をつくることを禁止したり、人返しの法などによって都市に出ていた農民を村に帰させたり、、倹約令を出してぜいたくを取りしまったが、失敗に終わった。 <<  ...

no image

滝沢馬琴「南総里見八犬伝」

1841年、滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」を著す。 << 戻る

no image

各地にマニュファクチャー(工場制手工業)が起こる

1841年、このころ各地にマニュファクチャー(工場制手工業)が起こる。 << 戻る

no image

蛮社の獄

1839年、蛮社の獄。渡辺崋山・高野長英らが幕府の鎖国政策を批判してとらえられる。 << 戻る

no image

大塩平八郎の乱

1837年、大塩平八郎の乱。大阪で陽明学者で大阪奉行所の元役人の大塩平八郎が、貧しい人々を救おうとして奉行所に申し入れたが聞き入れられず、兵をあげた。乱は1日でしずめられたが、大阪は直轄地であり、また ...

no image

天保の大飢饉

1833年、天保の大飢饉。 << 戻る

no image

歌川広重「東海道五十三次」

1833年、歌川広重の「東海道五十三次」ができる。 << 戻る

no image

葛飾北斎の「富嶽三十六景」

1832年、葛飾北斎の「富嶽三十六景」ができる。 << 戻る

no image

シーボルト事件

1828年、シーボルト事件。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが国禁である日本地図などを日本国外に持ち出そうとして発覚した事件。役人や門人らが多数処刑された。 << 戻る

no image

外国船打払い令

1825年、幕府が外国船打払い令を出す。 << 戻る

no image

シーボルトが鳴滝塾を開く

1823年、シーボルトが鳴滝塾を開く。 << 戻る

no image

伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」

1821年、伊能忠敬による「大日本沿海輿地全図」が完成。 << 戻る

no image

間宮林蔵が樺太を探検

1808年、間宮林蔵が樺太を探検する。 << 戻る

no image

十返舎一九「東海道中膝栗毛」初編

1802年、十返舎一九が「東海道中膝栗毛」初編を著す。 << 戻る

no image

本居宣長「古事記伝」

1798年、本居宣長が「古事記伝」を著す。 << 戻る

no image

林子平「海国兵談」

1792年、林子平が「海国兵談」を著し、罰せられる。 << 戻る

no image

ロシアの使節ラックスマンが根室に来る

1792年、ロシアの使節ラックスマンが根室に来る。 << 戻る

no image

朱子学以外の学問を禁止する(寛政異学の禁)。

1790年、朱子学以外の学問を禁止する(寛政異学の禁)。 << 戻る

no image

松平定信が老中筆頭になる

1787年、松平定信が老中筆頭になる。寛政の改革 。 << 戻る

no image

最上徳内が千島・樺太を探検

1786年、最上徳内が千島・樺太を探検する。 << 戻る

no image

天明の大飢饉

1783年、天明の大飢饉がおこる。 << 戻る

no image

田沼父子が権力をふるう(田沼時代)

1779年、このころ田沼父子が権力をふるう(田沼時代)。 << 戻る

no image

平賀源内がエレキテル(発電機)をつくる

1776年、平賀源内がエレキテル(発電機)をつくる。 << 戻る

no image

杉田玄白・前野良沢らが「解体新書」を著す

1774年、杉田玄白・前野良沢らが「解体新書」を著す。オランダの医学書「ターヘル=アナトミア」を翻訳。 << 戻る



Copyright © 1993 - 2024 寺院センター All Rights Reserved.