岡山県

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高蔵寺-岡山県倉敷市

・高蔵寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島186承応三年(1654)創建、海誉阿闍梨が第一世住職です。近年まで高蔵寺の創建について、「都窪郡誌」「中洲町誌」「倉敷市誌」などでは、いずれも不詳とされてきました。しかし、最近になって発見された古文書によってその創建があきらかにされました。(リンク先より) << 戻る
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蔭凉寺-岡山県岡山市北区

・蔭凉寺 臨済宗妙心寺派 岡山県岡山市北区中央町10-28大樹山蔭凉寺(だいじゅざん いんりょうじ)は寛永9年創建の禅宗寺院で、臨済宗妙心寺派に属します。葬儀中心の仏教に留まらず「今を、どう生きるか」をテーマに、音楽やアートによる「豊かな心」創りに取り組んでおり、安心(あんじん)への方便として、様々な文化活動を行っています。(リンク先より)※寛永9年 1632年 << 戻る
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千光寺-岡山県都窪郡

・千光寺 高野山真言宗 岡山県都窪郡早島町早島1179千光寺は建立当初、奥坂(現在のコンベックス岡山周辺)にありましたが、寛永八年(1631)に現在の早島の地に移されました。御本尊は聖観世音菩薩で、慈覚大師の作と言われています。(リンク先より) << 戻る
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実際寺-岡山県倉敷市

・実際寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島516中島山実際寺は、元和2年(西暦1616年)に、当時の中大道城主だった建部民部慰政喜によって中興されました。建部氏は、慶長9年11月(西暦1604年)西阿知の遍照院に身を寄せながら、現在実際寺のある中島地区の干拓などを手掛け、1616年に松山藩の検地を受けて中島が誕生しました。(リンク先より) << 戻る
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本行寺-岡山県岡山市北区

・本行寺 顕本法華宗 岡山県岡山市北区蕃山町3-5慶長16年(1611年)に、一音院日円上人が、姫路城主で備前国(岡山)を兼ねて領していた池田輝政公の外護により、以前の岡山市野田屋町の地に日蓮宗妙満寺派(現在・顕本法華宗)の寺院として創建された。(リンク先より) << 戻る
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浄福寺-岡山県高梁市

・浄福寺 浄土真宗本願寺派 岡山県高梁市成羽町布奇594浄福寺は1588(永禄元)年、山下加賀守(法名、浄元)が、浄土真宗本願寺派の寺院として開山。近くには、かつて吹屋銅山があり、成羽川周辺を中心に多くの人たちが集まっていました。(リンク先より) << 戻る
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少林寺-岡山県津山市

・少林寺 曹洞宗 岡山県津山市中北上1150小森山圓福寺(中北上1319番地)と称していたが、後醍醐天皇が隠岐島を脱出、船上山の名和長年に身を寄せられた1333年頃兵火によって焼失。その後180年程そのままになっていたが、1516(永正13)年11月に幻住寺六世大網愚溪大和尚が、当時の岩谷城主大河原弾正の懇請を容れて、後に少林寺末寺となる観音寺の地(中北上1161番地)に小庵を建立し、山号を山形臥龍に似たるを以て澤龍山とし、1525(大永5)年10月10日に「澤龍山小林庵」と称し開堂。(リンク先より) << 戻る
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長泉寺-岡山県岡山市北区

・長泉寺 真言宗御室派 岡山県岡山市北区南方3-10-40永正6年(1509年)7月に開創。その頃、当山の周辺には備前国営の薬草園が広がっていたと伝えられ、岡山の先進医学の発祥の地とされます。薬園山と言う山号の由来です。(リンク先より) << 戻る
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教善寺-岡山県倉敷市

・教善寺 浄土真宗本願寺派 岡山県倉敷市船倉町1604寺伝によれば後土御門天皇の御代京都守護の管領千葉左衛門督忠氏が、本願寺蓮如上人に帰依し家督を長子忠輝に譲り佛門に入り租師聖人の徳を恭い、家臣豊田平兵衛・平山全長両名と共に文明年中より諸国行脚を志し、各地巡遊の末、当国に来りて此の地に錫杖を留め山頭に一宇の坊舎を創建す。時に延徳二年(1490)なり。(リンク先より) << 戻る
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清眼寺-岡山県津山市

・清眼寺 高野山真言宗 岡山県津山市院庄779当山は、もと極楽山雲清寺と号し、淳和天皇の御代、高祖弘法大師が開山したと伝わる。元弘二年、後醍醐天皇 隠岐に御遷幸の砌、御駐輦になられたと伝わる古刹 山名時氏の祈願所 後年災禍にあい諸堂焼失せるも長禄年間(1457~1460)に今の地に宥尊上人が再興し、極楽山清眼寺と改号。(リンク先より) << 戻る
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重玄寺-岡山県井原市

・重玄寺 臨済宗佛通寺派 岡山県井原市芳井町吉井2035-1その昔芳井町天神山には、行基菩薩作の観世音菩薩を祀る庵があった。そこに1441(嘉吉元)年 千畝周竹禅師を開山、足利義将を開基とし、公方祈願所として創建。(リンク先より) << 戻る
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西念寺-岡山県備前市

・西念寺 浄土真宗本願寺派 岡山県備前市日生町日生980応永年間(1414)頃 日生寺院=西念寺の前身できる文安年間(1444)頃 日生村長智寺(真言宗)の記録あり(那智熊野山文書) 中円坊か延徳年間(1490)頃 播州一帯に蓮如上人布教、日生寺院「六字名号」下附、一向宗に転ず(リンク先より) << 戻る
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大通寺-岡山県高梁市

・大通寺 臨済宗佛通寺派 岡山県高梁市備中町布瀬10711395(應永2年)開山 開祖 第一代 千畝周竹和尚臨済宗大本山天竜寺派渓林山大通寺  明治末期に臨済宗大本山佛通寺派(三原市)に属し現在に至(リンク先より) << 戻る
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本誓寺-岡山県新見市

・本誓寺 臨済宗永源寺派 岡山県新見市大佐田治部3952当寺に記録はないが、大佐町史記載の本誓寺遠起によると開基応永年間(1394年~1428年)で「開基東郷左金吾・神応道安大居士」開山重雲大和尚となっている。その場所は、現在の新見市大佐田治部3885番地の1で、虎勢山裏山東方向に位置し、現在寺屋敷跡地は寺所有の山林となっています。(リンク先より) << 戻る
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頼久寺-岡山県高梁市

・頼久寺 臨済宗永源寺派 岡山県高梁市頼久寺町18草創は不詳であるが、暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国から帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。(リンク先より) << 戻る
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道仙寺-岡山県美作市

・道仙寺 真言宗醍醐派 岡山県美作市後山59岡山県下一の高峰、奈良の大峯山と並ぶ修験道の行場として知られる霊山後山。7世紀頃、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ、役の小角)が後山に入り、修験道の道を開いたとする説が残されています。建長年間(1249~1255年)に僧徹雲法印が延命山道仙寺を建立すると、霊山後山の修験道は次第に発展していき、15世紀になると多くの山伏が修行に訪れるようになりました。(リンク先より) << 戻る
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宝福寺-岡山県総社市

・宝福寺 臨済宗東福寺派 岡山県総社市井尻野1968寺伝によると創立年代は不明ながら、日輪大阿閣梨を始祖とする天台宗の古刺であったものを、鎌倉時代の貞永元年(1232)に当時の住職であった鈍庵和尚がこの地に新しく伽藍を建立したと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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光栄寺-岡山県井原市

・光栄寺 浄土真宗本願寺派 岡山県井原市芳井町吉井651当寺は、開基である法名浄源が明光上人(光照寺)に供し備後に下り、1227(安貞元)年に備中豊谷山に庵を結び、豊谷山光栄寺となる。その後、「澤岡山(さおかざん)光栄寺」と改称する。本堂での御法座や書道・華道教室、日曜学校などで門徒や地域の人が集うお寺であった。(リンク先より) << 戻る
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誕生寺-岡山県久米郡

・誕生寺 浄土宗 岡山県久米郡久米南町里方808熊谷法力房蓮生(熊谷直実)が建久4年(1193年)に師である法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたのがはじまりです。(リンク先より) << 戻る
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顕密寺-岡山県美作市

・顕密寺 真言宗御室派 岡山県美作市尾谷1111当寺は七十五代崇徳天皇之年1123年御代勝北群小吉野庄に紀州根来寺の覚鑁上人が十一面観音、五大力明王を造り精舎を建立されたことを発祥の地とする。(リンク先より) << 戻る
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深耕寺-岡山県高梁市

・深耕寺 曹洞宗 岡山県高梁市落合町原田207深耕寺は寛弘三年(1006)の創建。開基は「花山法皇」と語り継がれています。 寺伝によれば、「花山法皇西国巡幸のみぎり当寺を建立。山号を瑞源山・寺号を深耕寺と命名。寺を囲む田畑六町歩、山林六十余町歩を永代供養料として寄進。随行の供七人に爾後の護持を託して帰京された」とあります。 瑞源山・深耕寺 誌花山法皇の発願により設けられたと伝えられる「備中西国三十三ヶ所観音霊場」の第一番(発願)札所にあたり、当時は行き交う巡礼で大変賑わったものと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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龍城院-岡山県浅口市

・龍城院 天台宗 岡山県浅口市寄島町6881当山は天台宗福井山寿福寺龍城院と号し、宗祖伝教大師最澄 (七六七〜八二二)の高弟、慈覚大師(円仁)による承和五年(八三八)の開基で建立され、天台宗の道場として法燈を今日に伝えてきました。(リンク先より) << 戻る
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本性院-岡山県倉敷市

・本性院 天台宗 岡山県倉敷市玉島黒崎4595寺伝によると、円仁(慈覚大師)によって平安時代初期の承和年間(834〜848年)に開かれ、寺は沙美の北の山中、上谷にありました。永正年間(1504〜1521年)同地区の奥に移転、観音堂を建立。その後さらに化谷(ばけだに)へと移りました。その頃の寺号は「圃福寺」で、鴨方の明王院末となります。(リンク先より) << 戻る
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大椿寺-岡山県新見市

・大椿寺 曹洞宗 岡山県新見市哲多町花木4649大椿寺は平安初期(西暦806年)の大同元年に法相宗の僧侶である大徳玄賓僧都が開かれた寺院です。江戸初期に入り、玄賓僧都から800年余り続いた仏教の教えが途絶えそうになりました。当時の領主であった備中松山藩主 水谷勝隆はその事態を憂い、寛永5年(西暦1628年)に現在の岡山県高梁市にある定林寺7代目住職 源嶺呑高禅師に大椿寺の復興を命じられました。(リンク先より) << 戻る
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普門院-岡山県赤磐市

・普門院 真言宗御室派 岡山県赤磐市山口990当寺院は、奈良時代中期、報恩大師により開山と伝えられております。 備前四十八カ寺の一つとされ、開山当時は伽藍千有余・僧坊一千宇を数えました。(リンク先より) ご本尊: 十一面千手観世音菩薩開山: 760(天平宝字4)年<< 戻る
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西大寺-岡山県岡山市東区

・西大寺 高野山真言宗 岡山県岡山市東区西大寺中3-8-8天平勝宝3年(751年)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草庵を開基し、千手観音を安置したのが創まりであった。(リンク先より) << 戻る
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安住院-岡山県岡山市中区

・安住院 真言宗善通寺派 岡山県岡山市中区国富3-1-29奈良時代(天平勝宝年間749〜756)名僧「報恩⼤師」によって禅光寺は創建されたとされ、⼤師が建⽴した備前48ヶ寺の⼀つであり、安住院はその本坊にあたる。創建後、栄枯盛衰を繰り返すが、平安時代(延喜七年907)醍醐寺の僧「聖宝」により第1の中興をなす。次に室町時代(応永二年1395)「増吽」僧正が遊践して第2の中興をなす。(リンク先より) << 戻る
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金山寺-岡山県岡山市北区

・金山寺 天台宗 岡山県岡山市北区金山寺481金山寺は報恩大師が749年に開いた岡山県を代表する古刹です。岡山市の真北に位置し、広く人々の信仰を集める聖地です。鎌倉時代には栄西を輩出し、焼討後の再建は宇喜多直家公になされました。栄西と宇喜多家ゆかりのお寺です。(リンク先より) << 戻る
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餘慶寺-岡山県瀬戸内市

・餘慶寺 天台宗 岡山県瀬戸内市邑久町北島1178上寺山餘慶寺は報恩大師ほうおんだいしの開基として伝えられている備前四十八カ寺のひとつで、749(天平勝宝元)年の開山当初は「日待山日輪寺にったいさんにちりんじ」と称されていた。 9世紀に天台宗中興の祖てんだいしゅうちゅうこうのそ、慈覚大師円仁じかくだいしえんにんの命により「本覚寺」と寺号を改め、ご本尊に千手観世音菩薩を奉祀ほうしし、七堂伽藍しちどうがらんが整えられるなど繁栄を極めた。しかし戦乱期の12世紀末には、源平の争乱により近隣にあった今木城いまぎじょうと共に支院や三重塔を焼失したという。その後、時代の進展と共に徐々に寺院の復興は進み、寺号...
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済渡寺-岡山県新見市

・済渡寺 曹洞宗 岡山県新見市法曽661739年(天平11年)僧・行基がこの地に草庵を結び、811年(弘仁2年)の春、空海(弘法大師)がこの草庵を済渡寺(さいどうじ)と命名し、開創されたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る
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成福寺-岡山県井原市

・成福寺 高野山真言宗 岡山県井原市芳井町吉井2356739年(天平11年)奈良時代の名僧 行基菩薩が宝閣を建て自ら観自在菩薩像を刻んで本尊と為す。(現在の観音堂にあたる)(リンク先より) << 戻る
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大聖寺-岡山県美作市

・大聖寺 真言宗大覚寺派 岡山県美作市大聖寺1山号を恵龍山(けいりゅうざん)と称し、美作国建国の頃、天平10年(738年)に聖武天皇の勅令によって行基菩薩が開山しました。開山以来、山岳仏教の聖地として五院(不動院,中院,奥の院など)十八坊舎(松の坊,池の坊,上の坊,地蔵坊など)の塔堂伽藍を誇り真言密教(宗祖、空海)の根本道場として信仰をあつめ西の高野山と称されました。(リンク先より) << 戻る