岐阜県(真宗大谷派)

便り

照明寺-岐阜県郡上市

・照明寺 真宗大谷派 岐阜県郡上市八幡町相生193こちら、岐阜は郡上八幡の真宗大谷派寺院であります照明寺(しょうみょうじ)のホームページです。(リンク先より) << 戻る
便り

圓受寺-岐阜県安八郡

・圓受寺 真宗大谷派 岐阜県安八郡神戸町加納201-1真宗大谷派(本山:真宗本廟/京都•東本願寺)大垣教区第六組に所属。 御本尊の阿弥陀如来は、行基菩薩御制作と伝えられています。 晨朝の式次第と、お寺であったことなどは住職日誌として呟いてます。 << 戻る
便り

大泉寺-岐阜県大垣市

・大泉寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市久瀬川町1-40いずみ寺報(リンク先より) << 戻る
便り

圓勝寺-岐阜県海津市

・圓勝寺 真宗大谷派 岐阜県海津市海津町稲山390正保元年(1644)、洪水に見舞われるなどして人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしかけていた村人が、仏法を聞き、生きることの真の意味を見い出すことのできるより処の「南無阿弥陀仏」、すなわち本願念仏の道を歩んでいけるようにと、祐玄というお坊さんを頼んで(海津町の蓮応寺からと伝えられています)、ご門徒の皆様が力を合わせて境内地を寄進し、御堂を建て、仏具をそろえて開いたということが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
便り

開闡寺-岐阜県大垣市

・開闡寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市伝馬町11慶長けいちょう7年(1602)、本願寺ほんがんじの東西分派とうざいぶんぱのおり、安八郡三塚の真徳寺しんとくじ(現大垣市・西派)栄寿は、不破郡平尾に真徳寺を別立して東派に属した。その後、栄寿は大垣城主石川忠総から寺地を寄進され、大垣市中町に掛所かけしょを創建そうけんした。これが大垣別院の始まりである。 寛永かんえい元年(1624)3月、大垣藩主岡部長盛が大垣の町割りを再編するのに伴い、替地三反を得て真徳寺掛所は伝馬町に移った。(リンク先より)<< 戻る
便り

長円寺-岐阜県大垣市

・長円寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市荒尾町1183もとは、天台宗、専好坊という名前のお寺。天台宗時代、最後の住職の名前は、現龍院殿慶存法印。1494年没。  ①1540年頃、 長円寺開基(初代)住職・行弥が改宗。②1620年頃、 2代目住職・西円の時 現在の木仏本尊を頂き、寺号「長円寺」が許可される。(リンク先より) << 戻る
便り

善行寺-岐阜県不破郡

・善行寺 真宗大谷派 岐阜県不破郡垂井町表佐1908当寺の開基・正善の俗姓は、人皇56代清和天皇の後胤・源三位頼政の末裔・服部源五左衛門の三男源兵衛なり。延徳元年(1489)本願寺8代・蓮如上人が山科本願寺にご在住の砌に帰依し弟子となり、名を正善と給わり、一宇の道場を建立する。(リンク先より) << 戻る
便り

浄勝寺-岐阜県大垣市

・浄勝寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市東町1-431室町末期、長亨3年(1489年)年に草庵を開き、慶長年間に当地(岐阜県大垣市東町)に移転、元和9年(1623年)に「浄勝寺」公称となり、現在の本堂は大正13年(1924年)に建築されました。(リンク先より) << 戻る
便り

光受寺-岐阜県大垣市

・光受寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣211光受寺は元濃州安八郡柴間郷二ツ木圧、 天台宗法蔵寺として義兼(泉 智庵)によって創建される。その後、法弟正圓が法蔵寺を継ぎ、正龍、正善に至る。寛永年間(室町1460年~1465年頃)正善は、天台宗から浄土真宗に改宗。深く蓮如上人に帰依し、寺号を廣受寺と改める。(リンク先より) << 戻る
便り

満福寺-岐阜県大垣市

・満福寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣131寛和の頃(986年)天台宗の伽藍として創建されたが、熊谷蓮生房の猶子、小太郎直照・祐照法師が浄土真宗の宗祖親鸞聖人に帰依してより、嘉禎元年(1235年)葉栗郡門間の庄足近に金足山・満福寺と号した。(リンク先より) << 戻る
便り

宝光寺-岐阜県不破郡

・宝光寺 真宗大谷派 岐阜県不破郡垂井町表佐1414弘文天皇の時代(六七二)関が原関所の役についていた林豊後守藤原徳光が出家して法相宗末の宝光寺定空となったのを前期の開基とし、その末裔二十五代藤原道義が蓮如上人に帰依、宝光寺を相続していたのを後期の開基とする。(リンク先より) << 戻る