便り 不動院-東京都千代田区 ・不動院 真言宗醍醐派 東京都千代田区九段南3丁目3−18長年、九段南四丁目にございました「二七不動」は、こちらでございます。当山は、千代田区九段南三丁目3-18に再興いたしました。東郷公園前にございました旧二七山から二七通りを東京家政学院方面へまっすぐ進み、家政学院の校舎を通り過ぎた角を左折し、2件目のビル1階になります。(リンク先より) << 戻る 2020.01.01 便り
便り 神田寺-東京都千代田区 ・神田寺 浄土宗 東京都千代田区外神田3-4-10明治以降、神田の地に寺院が無かったため、第二次大戦後の昭和22年(1947)に故友松圓諦師によって地名を名のる寺院として創建されました。寺の前身は南北朝時代の至徳元年(1384)品川に創建されたのち深川に移転した「法禅寺」と江戸時代初期、万治元年(1658)創建の「安民寺」が前身となっています。(リンク先より) << 戻る 1947.01.01 便り年表
便り 身延別院-東京都中央区 ・身延別院 日蓮宗 東京都中央区日本橋小伝馬町3-2明治14年5月5日、浅草蓮光寺に会合して牢屋跡敷地三百余坪を坪七円五十銭で購って堂宇を建立する決議がなされ、この人々が東奔西走して大いに浄財を募り、翌明治15年9月祖師堂が建立せられ、翌16年10月盛大な開堂式が行われた。(リンク先より) << 戻る 1881.05.05 便り年表
便り 築地本願寺-東京都中央区 ・築地本願寺 浄土真宗本願寺派 東京都中央区築地3-15-11617年に浅草近くに創建されましたが、1657年の「明暦の大火」と呼ばれる大火事で焼失してしまいます。その後、再建のため江戸幕府から与えられた土地が現在の場所ですが、当時は海上でした。そこで海を埋め立てて土地を築き本堂を建立したことが「築地」という名称の由来になっています。また1923年には関東大震災に伴う火災により再度本堂を焼失しましたが、1934年に再建し現在の本堂の姿となりました。(リンク先より) << 戻る 1617.01.01 便り
便り 雲光院-東京都江東区 雲光院 浄土宗 東京都江東区三好2-17-14徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人(初代住職)として仰ぎ開創されました。阿茶局の法号「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。 開創地は中央区馬喰町付近でありましたが、明暦三年(1657年)の大火に被災し、神田岩井町に替地となり、天和二年(1682年)現在の深川の地に再び替地となりました。(リンク先より) << 戻る 1611.01.01 便り年表
便り 宗隆寺-神奈川県川崎市高津区 宗隆寺 日蓮宗 神奈川県川崎市高津区溝口2-29-1宗隆寺はかつては「天台宗本立寺」であったが、明応5年(1496年)に日蓮宗に改宗された。(リンク先より) << 戻る 1496.01.01 便り年表
便り 近龍寺-栃木県栃木市 ・近龍寺 浄土宗 栃木県栃木市万町22-4当山は室町時代の応永28年(1421)に、浄土宗の僧侶である良懐上人によって創建され、 当初は宿河原(現在の栃木市城内町)にあって称念寺と号しておりました。(リンク先より) << 戻る 1421.01.01 便り年表
便り 心光院-東京都港区 心光院 浄土宗 東京都港区東麻布1-1-5明徳4年(1393)、江戸の「貝塚」(現在の千代田区麹町付近)の地に酉誉聖聰上人が増上寺を開山し、山内に学寮として庵を結んだことからと伝わります。 慶長3年(1598)、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、現在地である芝への移転に心光院も随行しました。将軍の霊廟や子院学寮をいただく芝増上寺は、浄土宗の東国の要として発展します。やがて心光院は、元禄8年(1695)、徳川二代将軍秀忠公(台徳院殿)菩提のため、増上寺の別院・念仏道場となりました。(リンク先より)<< 戻る 1393.01.01 便り年表
便り 泉龍寺-東京都狛江市 曹洞宗 東京都狛江市元和泉1-6-1伝説によれば、奈良東大寺の開山として名高く、伊勢原の雨降山大山寺をも開いた良弁(ろうべん)僧正が天平神護元年(765年)この地にやってきて雨乞いをし、法相宗・華厳宗兼帯の寺を創建したのが泉龍寺のはじめとされています。(リンク先より) << 戻る 0765.01.01 便り年表
便り 塩船観音寺-東京都青梅市 ・塩船観音寺 公式ホームページ 真言宗醍醐派 東京都青梅市塩船194当観音寺は、山号を 大悲山 と称し、寺は地名の塩船を付けて『大悲山塩船観音寺』と申しております。塩船とは、周囲の地形が小丘に囲まれ 舟の形に似ており、仏が衆生を救おうとする大きな願いの舟である『弘誓の舟』になぞらえて塩船と名づけられたのであります。大化年間(西暦645~650年)に若狭国の八百比丘尼が一寸八分の紫金の観音像を当地に安置したのが開山と伝えられ、貞観年間(859~877年)には安然和尚が十二の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられております。(リンク先より) << 戻る 0645.01.01 便り年表