便り 善行寺-岐阜県不破郡 ・善行寺 真宗大谷派 岐阜県不破郡垂井町表佐1908当寺の開基・正善の俗姓は、人皇56代清和天皇の後胤・源三位頼政の末裔・服部源五左衛門の三男源兵衛なり。延徳元年(1489)本願寺8代・蓮如上人が山科本願寺にご在住の砌に帰依し弟子となり、名を正善と給わり、一宇の道場を建立する。(リンク先より) << 戻る 1489.01.01 便り年表
便り 満福寺-埼玉県幸手市 ・幸手観音満福寺 真言宗智山派 埼玉県幸手市中4-14-34戦国時代末期、この地を治めていた一色氏の祈願所として秀栄和尚により観世音菩薩を奉遷し開基されたと伝えられています。1489年(延徳元年)の供養塔がありますので開山はその頃かとも推察されます。(リンク先より) << 戻る 1489.01.01 便り年表
便り 浄勝寺-岐阜県大垣市 ・浄勝寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市東町1-431室町末期、長亨3年(1489年)年に草庵を開き、慶長年間に当地(岐阜県大垣市東町)に移転、元和9年(1623年)に「浄勝寺」公称となり、現在の本堂は大正13年(1924年)に建築されました。(リンク先より) << 戻る 1489.01.01 便り年表
便り 高照寺-千葉県南房総市 ・太嶺山 高照寺 公式サイト 曹洞宗 千葉県南房総市山田1162山号を太嶺山と称し、百三代後土御門天皇の時代、長享3年(1489年)頃に川名家初代が高照寺建立を発願、開創され里見家兵法指南役川名藤七郎氏により、永禄年間(1558~1569年)頃に建立された曹洞宗のお寺です。本尊さまは地蔵菩薩であります。安房国百八箇所地蔵の二十九番札所地蔵でもあり、また堂内には平群二十一箇所弘法大師の二十一番札所大師など(リンク先より) << 戻る 1489.01.01 便り年表
年表 慈照寺(銀閣寺)-京都府京都市左京区 ・慈照寺(銀閣寺) 臨済宗相国寺派 京都府京都市左京区銀閣寺町21489年、足利義政が京都東山に銀閣寺を建てる。東山文化。 << 戻る 1489.01.01 年表
便り 西照寺-兵庫県神戸市西区 ・西照寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市西区神出町南1001489(延徳元)年、谷川権太夫が剃髪して仏門に入り正保と名乗り、一宇堂舎を建てたのが開基である。山号は称名山西照寺。<< 戻る 1489.01.01 便り年表
人物 富樫政親(とがしまさちか)- 加賀一向一揆 富樫政親とは、室町時代後期の武将・守護大名。富樫氏21代当主。加賀国守護。長禄2年(1458年)、加賀北半国守護に任じられた赤松政則から加賀北部を取り戻すため、富樫政親は家臣団に擁されて奪回に尽力しました。応仁元年(1467年)、応仁の乱が勃発すると細川勝元方の東軍につきました。ところが、弟・幸千代が山名宗全方である西軍について敵対したため、政親は家督をめぐって弟と争うことになります。文明5年(1473年)、真宗高田派門徒や甲斐敏光と結んだ弟・幸千代に富樫政親は敗れて加賀を追われます。しかし、浄土真宗本願寺派門徒などの援助・加賀国内における武士団の支持を得て、弟・幸千代を加賀から追い出し再び当... 1488.06.09 人物年表
便り 慈光山専明寺-奈良県葛城市 ・慈光山専明寺 真宗興正派 奈良県葛城市笛堂597専明寺は長享2年(1488)3月15日に布施城主布施掃部の弟布施道順が創建した。同年5月10日本山より慈光山専明寺と寺号を下賜される。この境内は烈士の殉死せる城跡(布施城の砦)であり今なお、小字として城山(じやま)の地名を残している。(リンク先より) << 戻る 1488.03.15 便り年表
便り 本隆寺-京都府京都市上京区 ・本隆寺 法華宗(真門流) 京都府京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町330本隆寺は法華宗(真門流)の総本山で京都西陣の地にあり、慧光無量山本妙興隆寺(えこうむりょうさんほんみょうこうりゅうじ)と号し、略して慧光山本隆寺といいます。開祖日真大和尚(にちしんだいかしょう)は、長享2年(1488)に妙顕寺を出て、四条大宮に本隆寺を開創しました。(リンク先より) << 戻る 1488.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 加賀の一向一揆 1488年、加賀の一向一揆が起こる。加賀国(石川県)で一向宗門徒が、守護の富樫氏を追い出し、約100年間にわたって自治を行った。<< 戻る 1488.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 松門寺-東京都八王子市 ・松門寺 曹洞宗 東京都八王子市片倉町212延徳元年(1487年)、子安六萬坊の地に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本尊として開創され当初子安山松門寺と称しました。本尊は密教の菩薩であり当初は密教の寺であったかと推測されます。慶長元年、寺町に移され鶴壽山と山号を改め、禅室祖参大和尚を心源院より請し禅宗として坐禪の真髄を伝えていくことになります。(リンク先より) << 戻る 1487.01.01 便り年表
便り 泰岳寺-愛知県春日井市 ・寶雲山泰岳寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市上条町10-198泰岳寺の開創は室町時代の文明18年(1486年)で、開山仁済禅師の五十二歳の時でした。当時は上条村とよばれていた現在の泰岳寺の地に、林彦右衛門尉重緒氏が子孫の繁栄を願って、仁済宗恕禅師を招請して泰岳寺を開創しました。(リンク先より) << 戻る 1486.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 山城の国一揆 1485年、山城の国一揆が起こる。山城国(京都府)で土着の武士と農民が、国内で争っていた守護大名を追い出し、8年間自治を行った。<< 戻る 1485.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 龍巣院-静岡県袋井市 ・龍巣院 曹洞宗 静岡県袋井市岡崎6365龍巣院は、その開創者である太素省淳禅師様が開かれた寺である。太素様は、始めに川僧慧済禅師の門に入り後逆翁禅師につき修行を積み後 宗田禅師より、法を許され文明14年郷里梅山に帰り、寺を建てる所を求めたれば、夜毎龍神、枕辺に現れ「我が住居を寄進す。寺を建てたれば我守護神となり長く寺を守護するであろう」と禅師様翌日その場に来て見れば池水ことごとく干上り道自ら通ずと時に白髪の老人現れ来たり、「我この長岡に住する稲荷なり龍神の志をつぎ我道案内せん」とて現在の場所に来る土木三年山をけずり谷をうめ寺を建て山を示すに長嶽とし寺を示す龍巣となすと。(リンク先より)※14... 1482.01.01 便り年表
人物 一休宗純(いっきゅうそうじゅん) 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で詩人。説話「一休さん」のモデルとしても知られます。号に狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、国景(こっけい)があり、諱を宗純(宗順)といいます。出生地は京都で、後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。母親の出自は不明ですが、後小松天皇説に沿えばその官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられ、三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。幼名は、後世史料によると千菊丸とされています。6歳で京都の安国寺の像外集鑑(ぞうがいしゅうかん)に入門し、周建の名前を授かり... 1481.11.21 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 聞善寺-石川県金沢市 ・聞善寺 真宗大谷派 石川県金沢市瓢箪町5-33室町時代、文明3年(1471年)比叡山延暦寺などの迫害を受け京より逃れてきた蓮如上人が北陸における布教の拠点として越前吉崎に吉崎御坊を建立しました。 その後、近江に居を構える武士が蓮如上人を助けるために主従7人で馳せ参じ願西という法名を賜りました。文明7年(1475年)には戦国の動乱の中で吉崎御坊が焼失し、蓮如上人は吉崎の地を後にされます。この時、願西は加賀の地へ移られたのではないかと思われます。そして、文明13年(1481年)には金沢城の西側に聞善寺を建立されました。しかし、藩の事情により江戸時代、正保2年(1645年)には現在の地に移って参り... 1481.01.01 便り年表
便り 信行寺-神奈川県川崎市多摩区 ・信行寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県川崎市多摩区南生田8丁目1−1信行寺は文明13年(1481年)、阿波の国今津浦(現徳島県阿南市那賀川町)に西願法師により建立されました。以来、阿波における浄土真宗の興隆に努め、戦国時代の本願寺と織田信長との戦い(石山戦争)には、海を渡り、大坂の本願寺に兵糧を送り届けるなど教線拡大と教団の維持に大きく貢献して参りました。(リンク先より) << 戻る 1481.01.01 便り年表
便り 覚成寺-岐阜県安八郡 ・覚成寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県安八郡安八町西結701本尊は行基作と伝える阿弥陀如来(※1)。寺伝によると、初め天台宗であったが文明12年(1480)願了のとき真宗に改宗という。蓮如は宗祖親鸞の旧跡を巡拝した際に当寺に立ち寄り宿泊した。(リンク先より) << 戻る 1480.01.01 便り年表
便り 長谷寺-徳島県鳴門市 ・長谷寺 高野山真言宗 徳島県鳴門市撫養町木津1037-11480 文明12年 船戸左衛門尉次正(ふなどさえもんのじょうつぐまさ)によって長谷寺が創建されました。寺伝によると船戸次正は、細川の家臣とされています。主君の仇を討つべく、大和の長谷観音を信仰し、願を立てていました。(リンク先より) << 戻る 1480.01.01 便り年表
便り 聖寿寺-静岡県磐田市 ・聖寿寺 曹洞宗 静岡県磐田市見付2749-1名称「天龍山聖寿寺(てんりゅうざんしょうじゅじ)」は文明10年(1478年)に開創されました。開山は「教之一訓大和尚(きょうしいっくんだいおしょう)が草庵を結んだことにより始まります。最初は「崗本山聖寿軒(こうほんざんしょうじゅけん)」と称していました。(リンク先より) << 戻る 1478.01.01 便り年表
便り 本願寺鷺森別院-和歌山県和歌山市 ・本願寺鷺森別院 浄土真宗本願寺派 和歌山県和歌山市鷺森1鷺森別院の開創は、本願寺8世、蓮如上人の昔にさかのぼります。文明8年(1476)、上人が河内国出口(枚方市)におられた頃、紀伊国阿間郡冷水浦(海南市)に住む喜六大夫は、上人の弟子となって法名を了賢と名のり、村内の飯盛山に一宇の道場を建立しました。これが冷水道場(現在の了賢寺)で、鷺森別院の起源をなすものです。同年十月、了賢に下付した親鸞・蓮如の連座像(二尊像)は、蓮如上人による紀州開教の歴史的宝法物として今も別院に大切に保管されています。(リンク先より) << 戻る 1476.01.01 便り年表
便り 了賢寺-和歌山県海南市 ・了賢寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県海南市冷水浦483文明8年(1476年)3月に紀伊国阿間郡(きいのくに あまのこうり)清水浦の住人、喜六太夫(きろくだゆう)が熊野街道の藤白峠の『御所の芝』(別名『後世の芝』)にて、熊野参詣の途中の本願寺第8代宗主(しゅうしゅ)蓮如上人に出会い、上人より直々に「他力念仏の教え」を教導いただく。 上人熊野よりの帰路の途中、喜六太夫の案内により清水浦に立ち寄られ、太夫の自宅にて更に教えを受け、太夫は浄土真宗のみ教えに帰依し、上人の直弟子となって、「釋了賢(りょうけん)」という法名を頂きました。その後、自宅に上人直筆の「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)の六字名号(ろ... 1476.01.01 便り年表
便り 大樹寺-愛知県岡崎市 ・大樹寺 浄土宗 愛知県岡崎市鴫田町広元5-1成道山松安院大樹寺は、安城城主松平左京亮親忠法名大胤西忠が真蓮社勢誉愚底を開山として文明7年(1475)2月22日創建した浄土宗の寺院である。(リンク先より) << 戻る 1475.02.22 便り年表
便り 長泉寺-埼玉県本庄市 ・長泉寺 曹洞宗 埼玉県本庄市児玉町高柳901長泉寺は曹洞宗で、伊豆国奨茂郡宮上村(静岡県田方郡中伊豆町)最勝院の直末、山号は大用山で、本尊は釈迦牟尼仏です。開山は最勝院第四世住職大洞存奝、開基は文明四年(1474)、上州平井城主関東管領上杉顕定といわれています。(リンク先より) << 戻る 1474.01.01 便り年表
便り 浄明寺-千葉県船橋市 ・浄明寺 じょうみょうじ 浄土真宗本願寺派 千葉県船橋市楠が山町231浄明寺の沿起は、文明6年(1474年)本願寺中興の祖と称されます蓮如上人(れんにょしょうにん)が、越前の国吉崎(福井県)に下向されておられました時、美濃国(現在の岐阜県)に天台崇僧が吉崎に行き、蓮如上人に帰依して名を西蓮(さいれん)と改め、念仏の道を広めるために越中の野積谷(のずみだに)に一寺を建立した時を縁起とします。(リンク先より) << 戻る 1474.01.01 便り年表
便り 徳性寺-石川県加賀市 ・徳性寺 浄土真宗本願寺派 石川県加賀市山中温泉菅谷町ヘ30当寺の「御旧跡略縁起」「天保由緒書」によりますと、往古は天台宗豊原三千坊の一宇で西潟の西芳寺と称したとあります。本願寺の八代目、蓮如上人が加賀越前の境の吉崎に滞在中、文明五年(1473)加賀の山中温泉ご入湯の途中、当菅谷村に立ち寄られました。上人は越前藤島の超勝寺より、国境の大内峠を越えて、当寺の前の石に腰を掛け休憩されました。(リンク先より) << 戻る 1473.01.01 便り年表
便り 妙行寺-福岡県福岡市南区 ・妙行寺 単立 福岡県福岡市南区野間4-33-38当寺は往昔天台宗盧原道場と称し、創建以来世々博多市街の中心部に位置していた。文明5年時の住僧良言が、本願寺蓮如上人に帰依して真宗となり、妙行寺の寺号を授与された。当寺では、改宗した良言を以て中興第一世住職としている。(リンク先より)※文明5年 1473年 << 戻る 1473.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 善興寺第41世俊乗法師と蓮如上人 文明5年(1473)、善興寺第41世俊乗法師は、越前吉崎を拠点に北陸地方を巡教していた本願寺第8世の蓮如上人の教化に遇い、浄土真宗に帰依します。<< 戻る 1473.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 『正信偈』(しょうしんげ) 『正信偈』とは略称で、正式には『正信念仏偈』(しょうしんねんぶつげ)といい、親鸞聖人の著書『教行信証』の「行巻」の末尾にある偈文です。全ての人に同じ心になってもらいたいという親鸞聖人の想いから、七言60行120句の偈文にまとめられたものです。浄土真宗で『正信偈』をお勤めするようになったのは、本願寺第8世蓮如上人(1415~1499年)が越前の吉崎(福井県あわら市吉崎)にいた文明5年(1473年)からです。それまでの浄土真宗では、善導大師の『六時礼讃』を日常のお勤めとしていたのを改め、親鸞聖人の『正信偈』と『三帖和讃』とを合わせて木版で印刷・出版し、僧侶・門徒がともに朝夕の勤行として読誦するよう... 1473.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 岩松院-長野県上高井郡 ・岩松院 曹洞宗 長野県上高井郡小布施町大字雁田615荻野備後守常倫が雁田の辺に20端の城塁をつくり岩松と称しました。開創は文明4年(1472年)、開山は不琢玄珪禅師。本尊仏は宝冠をいただく釈迦牟尼仏で、江戸時代初期(慶長かその直後)に作られました。(リンク先より) << 戻る 1472.01.01 便り年表