室町時代

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平林寺-埼玉県新座市

・平林寺 公式サイト 臨済宗妙心寺派 埼玉県新座市野火止3-1-1金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は、永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士(おおたびっちゅうのかみしゅんけいうんたくこじ)、開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ)に優れていた当代の高僧、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。(リンク先より) << 戻る
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漢陽寺-山口県周南市

・漢陽寺 臨済宗南禅寺派 山口県周南市鹿野上2872鹿苑山漢陽寺は応安7年(1374)、中国地方を一手に掌握していた大内氏の祈願所として建立され、現在は大本山・南禅寺の別格地として山口県屈指の名刹となっている。 開基は左京大夫であった26代当主・大内盛見公であるが、父の弘世公の治世に庵を建て鹿苑庵としたのが当寺の起こりである。開山は室町時代の高僧・用堂明機禅師。(リンク先より)<< 戻る
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般若寺-埼玉県児玉郡

・般若寺 真言宗豊山派 埼玉県児玉郡神川町大字上阿久原58般若寺は埼玉県児玉郡神川町にある真言宗豊山派の寺院で、1374年に良重僧正様が開山致しました。(リンク先より) << 戻る
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承福寺-福岡県宗像市

・承福寺 臨済宗大徳寺派 福岡県宗像市上八1373安延山承福寺は釈迦如来を本尊とし文殊菩薩・普賢菩薩を脇侍仏として奉る臨済宗大徳寺派一等地の寺です。はじめ当山は600年ほど前の応安年(1373)その当時の禅界に重きをなした大応国師より三代目の法孫勅諡正続太祖月庵宗光禅師を勧請開山とし、宗像社僧高橋助法橋安延大徳の開創せるものであります。(リンク先より) << 戻る
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雲龍院-京都府京都市東山区

・雲龍院 真言宗泉涌寺派 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36御寺泉涌寺の別院。山号は瑠璃山。雲龍院は応安五年(一三七二)後光厳天皇の御建立にして、後、同所に後円融天皇、康応元年(一三八九)龍華殿を御建立せられ、御宸翰を下して妙法写経を始められる。両帝は屡々行幸になり開山竹厳聖皐上人に聞法受戒せらる。晏駕に先立ちて剃髪染衣せられ、上人の引導を受けて背後の山に埋葬し奉ったのである。(リンク先より) << 戻る
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日什上人、比叡山を下り東光寺の住職に

1372年(応安5年)、会津領主の蘆名直盛の招きにより故郷会津に帰り、現・羽黒山湯上神社の別当寺・羽黒山東光寺(廃寺)の住職となり、東北一帯の学僧に天台教学を講じました。<< 戻る
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方広寺-静岡県浜松市北区

・方広寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市引佐町奥山1577-11371年、無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)は、当地を治めていた豪族奥山六郎次郎朝藤(おくやまろくろうじろうともふじ)の招きにより、奥山家の治めていた所領のうちから60町歩の土地と建物を寄進され、ここに方広寺を開かれました。無文元選禅師を御開山と称し、奥山六郎次郎朝藤を開基と称します。(リンク先より) << 戻る
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潮音寺-愛知県田原市

・潮音寺 曹洞宗 愛知県田原市福江町原ノ島37当山の創建は1370年頃(足利義満の時代)。月江正公和尚(げっこうしょうこう)というお方が諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の末、風光明媚(ふうこうめいび)なこの 地に至り、朝夕濤々(とうとう)と響く潮の音に心を打たれ、此処 こそ安住の地と定め庵(いろり)を結び潮音堂と名づけたところ から始まる。(リンク先より) << 戻る
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立山寺-富山県中新川郡

・眼目山 立山寺(りゅうせんじ) 曹洞宗 富山県中新川郡上市町眼目15当山は建徳元年(1370年)に曹洞宗大本山總持寺第二祖峨山紹碩禅師の創設による屈指の寺である。禅師は肥前の出身。美濃の今須に妙応寺を建て、摂津に護国寺を建て、ついで越中に遊化し立山に詣で、その風景を愛し紫雲を見ながら座禅をしていると、そこに禅師の名僧ほまれ高きを慕い、樵(きこり)の姿となって立山権現が現れ立山山麓の小丘(今の櫛形山9を指して「かの地は法要の所、到り見たまえ」と禅師を懇請した。立山権現は禅師と石上に対坐すること7日間、禅要戒法を聞いて、帰依し寺院の建立を約束した。その夜、大豪雨となり上市川に数千の大木が流れつき...
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大徳寺-滋賀県東近江市

・大徳寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県東近江市能登川町378応安2年(1369)に、臨済宗東福寺派の禅寺として創建された。開山は、京都五山の東福寺第五十世として住持した禅僧、大方源用禅師(1314~1390)である。創建後大徳寺は、室町期を通して五山派の禅寺として発展する。応永33年(1426)には室町幕府四代将軍の足利義持から公事臨時課役免除をうけており、その御教書は、今に大徳寺に蔵されている。(リンク先より) << 戻る
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光明寺-栃木県足利市

・光明寺 臨済宗妙心寺派 栃木県足利市田島町1717光明寺は仏満禅師大喜法忻大和尚を開山として建立されたお寺です。建立の正確な年代は不明ですが、仏満禅師示寂の年が西暦1368年と伝わることから創建はその後10年を超えない間では無いかと考えられます。(リンク先より) << 戻る
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龍泉寺-福井県越前市(越前国分寺跡)

・龍泉寺 曹洞宗 福井県越前市深草1・若狭 ⇒ 北陸道 越前 国分寺 ⇒ 加賀太平山・龍泉寺は、南北朝時代に通幻寂霊禅師(つうげんじゃくれいぜんじ)を開祖に創建され、曹洞宗の両大本山の一つ横浜の総持寺の「三十六門中」(筆頭直末寺院)に列する古刹であります。当寺は今を去ること約630余年前の応安1年(1368)越前守護・藤原義晴が木材を喜捨して通幻禅師を武生に招き創建されました。しかし、それ以前にもこの地には古代寺院が建てられていたようで、境内からは多くの白鳳時代の瓦や土器破片が出土し「深草廃寺」と称されており、現在も所在が不明な越前国分寺跡ではないかといわれております。(リンク先より)<< 戻...
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西福寺-福井県敦賀市

・西福寺 浄土宗 福井県敦賀市原13-7開山良如上人が諸国行脚の道すがら近江路を経て敦賀に遊化された折り、遥か西方の山中に光明輝く阿弥陀三尊の尊い御姿を感見せられて、その光明に導かれこの地に歩みを進め辻堂の辺りまで来られると、突如、一匹の白狐が現われ、上人を山の麓まで案内して忽然と姿を消したと見る間に阿弥陀三尊も大岩と化したと伝えられます。そこで開山良如上人は ”仏法有縁の地である” としてこの奇瑞の山腹に一宇建立を発願せられました。後この岩を三尊石と称え、現に当寺裏山の中腹にあり、白狐も守護神としえ御影堂裏に祀ってあります。時に正平23年(北朝応安元年、1368年)3月であります。直ちに朝廷...
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護国寺-沖縄県那覇市

・護国寺 高野山真言宗 沖縄県那覇市若狭1-25-51368年に創建され、開山は薩摩の国(鹿児島県)坊津の一乗院より来琉された頼重法印(らいじゅうほういん)とされております。当時の琉球国王察度(さっと)の尊信を得て勅願寺として建立され、天下泰平、鎮護国家、五穀豊穣、万民豊楽を祈願し、県内で最初の密教道場となりました。(リンク先より) << 戻る
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宝鏡寺-京都府京都市上京区

・宝鏡寺 単立 京都府京都市上京区寺ノ内通堀川東入百々町547宝鏡寺は、山号を「西山(せいざん)」と号し、百々御所(どどのごしょ)という御所号をもつ臨済宗単立の尼門跡寺院です。 本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見浦で漁網にかかった際、小さな円鏡を手にしていたと伝えられ、大変珍しいお姿をしています。宝鏡寺の開山は景愛寺(けいあいじ)第六世であった光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼です。 応安年間(1368~1375)に御所に祀られていたこの聖観世音菩薩像が、禅尼によって景愛寺の支院であった建福尼寺に奉納安置され、 本尊の由緒にちなんだ「宝鏡寺」の名前を後光厳天皇より賜り、名前を改めて...
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足利義満が3代将軍になる

1368年、足利義満が3代将軍になる。<< 戻る
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蓮香寺-長野県長野市

・蓮香寺 浄土宗 長野県長野市川中島町原101貞治6年1367 開祖称蓮社名誉月秀善室上人により創建される応永22年1415 第二世聖蓮社教誉慶学上人遷化(リンク先より) << 戻る
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地蔵院-京都府京都市西京区

・地蔵院(竹の寺) 単立(臨済宗) 京都府京都市西京区山田北ノ町23当山は衣笠山地蔵院といい、臨済禅宗の寺で、夢窓国師を開山とし、伝教大師の作と言われる延命安産の地蔵菩薩を本尊としている。もともと、この地は今から八百年近く前、歌人衣笠内大臣藤原家良公が山荘を営まれた処で、南北朝時代の貞治六年(一三六七)室町管領細川頼之公が夢窓国師の高弟宗鏡禅師を招請して伽藍を建立された。これが現在の地蔵院で、宗鏡禅師は恩師夢窓国師を開山に仰ぎ、自らは第二世となられた。(リンク先より) << 戻る
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江雲庵-富山県高岡市

・江雲庵 臨済宗国泰寺派 富山県高岡市太田山岸25921362年、大本山国泰寺三世神會寂岸心光禅師大和尚の開山で本山内塔頭五カ支院の一つでもあり、もとは「月光山 江雲寺」と称した。山号の由来は旧寺地が氷見市島尾地内の「月の森」にあったと伝えられることによるものである。1585年8月、前田利家の命により、本山国泰寺方丈を守山城に書院として招請される際、随伴し、諸般とり計らいの功でにて役院に加えられ、現称の「龍頭山 江雲庵」の改められた。(リンク先より) << 戻る
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永源寺-滋賀県東近江市

・永源寺 臨済宗永源寺派 滋賀県東近江市高野町41南北朝時代の興安元年(1361)に、時の近江守護職、佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりです。禅師が入寺、開山されると、その高徳を慕って二千人あまりの修行僧が集い、山中には五十六坊の末庵を有りしたと記されています。(リンク先より) << 戻る
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長生寺-神奈川県横浜市金沢区

・壽楽山・長生寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市金沢区六浦2-8-2長生寺は もとは真言宗で無量院と言い、釜利谷の小泉の谷戸にありましたが、康安元年(1361年)に六浦の荘、川村平分に移りました。文明年間に本願寺第8代門主、蓮如上人が関東遊化の折、野島から横須賀浦辺までの船中で時の住職が上人に帰依し、六字の尊号染筆と法名、釈頓乗を賜わり、天文元年(1532年)、浄土真宗に改宗し当山開基となりました。寺号を長生寺と改め、寛永年間現在の六浦の荘、三分に移築されました。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

永源寺派(本山永源寺(滋賀))の開派

南朝 : 正平16・北朝 : 延文6、康安元(1361)年、寂室元光禅師により始まる。臨済宗永源寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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玉永寺-富山県富山市

・玉永寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市水橋西大町560本県最古の本願寺門徒集団。本願寺三代覚如の長男存覚の『存覚袖日記』の1360年(延文5)閏4月条には越後柿崎庄(現新潟県柿崎町)に住む教浄房が持参した本尊軸に、存覚が、<越中国水橋門徒 越後国柿崎住人尼浄円本尊也>と書いたとある。この本尊軸は、法然・親鸞・如信・覚如の4祖を描いた先徳連座像で、これら先徳から法系が水橋門徒へと手継(継承)されたことを存覚が認めたことになる。(リンク先より) << 戻る
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長泉寺-佐賀県武雄市

・長泉寺 臨済宗南禅寺派 佐賀県武雄市橘町大字永島17067西暦1360年 義堂信和尚によって創設された寺です。平成26年4月に「開山 650年法要」を行いました。お釈迦様、達磨様、南禅寺開山大明国師の禅の教えと道風をひろめる宗旨です。(リンク先より) << 戻る
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常幸院-山梨県南巨摩郡

・金龍山常幸院 曹洞宗 山梨県南巨摩郡身延町常葉439【開 山】 梅林禅芳大和尚(ばいりんぜんほうだいおしょう)*南明寺三世【本 寺】 南明寺(なんめいじ)*山梨県富士川町小林【開 創】 1360年代 *詳細不明(リンク先より) << 戻る
年表

「太平記」「増鏡」が著される

1359年、このころ「太平記」「増鏡」が著される。<< 戻る
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龍興寺-大分県大分市

・龍興寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市徳島1丁目7−27創建は延文3年(1358)7代大友氏泰が大野川を遡った川添の聚楽に建立し、高獄禅師を開山に招いた祈願寺でした、しかし宗麟の代に重臣吉岡宗歓が鶴崎に居城を構え、城下の整備に着手したとき龍興寺を近くの三軒町に移転。(リンク先より) << 戻る
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青岸寺-滋賀県米原市

・青岸寺 曹洞宗 滋賀県米原市米原669南北朝延文年間(1356年~1361年)この地には当時の近江守護職であった佐々木京極道誉によって建てられた米泉寺がありましたが、永正の初め(1504年)の兵火で焼失しました。その時、本尊聖観音像のみが難を逃れ、その後小堂にて長く祀られることとなります。 その後は下って江戸時代、彦根大雲寺三世要津守三和尚が当地を遊行していた折に、朽ちた小堂に祀られた観音像を拝しひどく心を痛め、慶安3年(1650年)に再興を期して当山に入山。その際、敦賀の在人、伊藤五郎助の尽力により殿堂、伽藍はすぐに建立しましたが、程なくして五郎助は亡くなりました。守三和尚はこれを悼み、氏...
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圓應寺-山形県山形市

・圓應寺 真言宗智山派 山形県山形市宮町4-16-33延文元年(1356)、斯波兼頼公が山形城主として山形に入部の際、築城のしばしの間城の鬼門と言われる北東方角に位置した現在地に仮小屋を建て、弘法大師作と伝えられる、自身の兜の前立てとして付けていた聖観世音(五寸の黄金像)を、守護仏として奉安したことに始まる。(リンク先より) << 戻る
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宝蔵寺-秋田県大仙市

・宝蔵寺 曹洞宗 秋田県大仙市神宮寺神宮寺227宝蔵寺は、文和3年(1354)曹洞宗明峰派の高僧宝山宗珍大和尚(ほうざんそうちん)を御開山とし、外護の檀越冨樫左衛門誠白によって開基されました。(リンク先より) << 戻る
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法雲寺-静岡県富士市

・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県富士市今泉5-6-48創建は室町時代初期の文和2年(西暦1353年)、鎌倉 建長寺の僧 用堂和尚がこの地を訪れた際、岩石が重畳し清水が湧き希に見る素晴らしい景観であったことに魅せられ、錫を留めて寺を建て、法雲寺と称したとされています。その後、この地を治めていた戦国武将の今川家・徳川家の庇護を受け、寺運は盛んとなりました。(リンク先より) << 戻る
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康徳寺-広島県世羅郡

・康徳寺 臨済宗佛通寺派 広島県世羅郡世羅町寺町1386白鳳時代(672-)と言われています。大田庄の豪族によって建立され、当時の宗旨は、法相宗(奈良・薬師寺)か華厳宗(奈良・東大寺)あるいは天台宗(比叡山延暦寺)とも伝えられていますが定かではありません。記録に現れるのは宗旨を臨済宗に改め、名僧石室善玖和尚を開山として迎えた文和二年(1353年)ごろからです。(リンク先より) << 戻る