室町時代

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日什上人、入滅

1392年(明徳3年)2月28日、日什上人は読経唱題の中、入滅されました。御廟所は会津若松市の本山妙国寺にあります。<< 戻る
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宗鏡寺-兵庫県豊岡市

・宗鏡寺 臨済宗大徳寺派 兵庫県豊岡市出石町東條33開基は、当時の出石城主で山名陸奥守氏清公であり、寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」を以って名づけたと伝えられ、1392年に建てられました。山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、織田信長の但馬征伐で山名家が滅び、寺もまた荒廃しました。(リンク先より) << 戻る
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円泉寺-東京都世田谷区

・円泉寺 真言宗豊山派 東京都世田谷区太子堂3-30-8聖王山法明院円泉寺の草創は、遅くとも 南北朝時代 末期(~1392)のころには、太子堂ならびに小堂(円泉寺前身・円泉坊)が結ばれていたものと推察され、 文禄4年(1595)、 賢惠(けんけい)大和尚によって中興がなされました。(リンク先より) << 戻る
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南北朝の合一

1392年、南北朝の合一。次第に北朝・幕府側の力が強まり、南朝側の武士は少なくなり、3代将軍足利義満は南朝と講和して京都で一つの朝廷になるようにした。<< 戻る
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相国寺派(本山相国寺(京都))の開派

南朝 : 元中9・北朝 : 明徳3(1392)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗相国寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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廣見寺-埼玉県秩父市

・秩父虹寺 廣見寺 曹洞宗 埼玉県秩父市下宮地町25-29廣見寺は、明徳2年(1391)天光良産てんこうりょうさん禅師によって開かれた、秩父地方の曹洞宗最古の寺であります。天光良産てんこうりょうさん禅師は、曹洞宗第三の本山と言われる岩手県奥州市にある正法寺しょうぼうじ二世 月泉良印げっせんりょういん禅師の弟子で、その縁によって正法寺しょうぼうじ を本寺としています。(リンク先より) << 戻る
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常念寺-愛知県一宮市

・柳星山 常念寺 西山浄土宗 愛知県一宮市大江1-11-26後小松天皇の御代、明徳元年(1390年)初代将軍 足利尊氏公の甥である空遄召運上人が真清田神社へ参拝の折、光厳法皇御追福のため、浄利建立を祈願し、一百日の参籠が満ちた暁に『当地に柳樹あり、彼の地 清浄なれば 連夜三星相舎(やど)る、汝 訪ふて願望を果たせ』との霊夢がありました。上人は歓喜され、所々を探しまわると、ある柳樹に星三体降り、それを拝むと弥陀・観音・勢至の三尊が光々と示現しました。上人は、これを末世において凡愚有縁の霊佛であると礼拝し、謹んで三尊を安置し、真清田神社の鬼門にあたる現在の寺島町に堂塔を建立しました。その柳樹および...
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称名寺-富山県黒部市

・含暉山称名寺 浄土真宗本願寺派 富山県黒部市荻生2711結城称名寺七代耀佛の次男、寂照が法師武者として越中に来て、明徳元年(1390)に朝日町道下に一宇を創建、布教に従事、当寺の開基となりました。その後、旧荻生地区辺(現在の一宿、青木等含む)を始め所々に道場を建て教勢を拡張していったのが、含暉山称名寺の由来であります。第5代(住職名不明)の時、信証の生まれた地名と結城の寺号から、芳賀称名寺と名のり、現在の地に建立(年代不詳、現境内にそのころの古木有り)、しかし、越後の長尾氏領内における一向宗禁令の余波により衰微の一路をたどります。(リンク先より) << 戻る
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崇福寺-岐阜県岐阜市

・崇福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市長良福光2403-1太白真玄の『峨眉鴉臭集』の一文により、明徳元年(1390)春に、壇越土岐満康が 太清宗渭たいしんそうい (京都・相国寺 塔頭たっちゅう 雲頂院開祖)の直弟、 竜潭宗濬りゅうたんそうえい を住持に詔請した。しかし、多忙のため、その師弟太白真玄にその地位を譲ったため、 太白真玄が赴任し開山となり、大寿山崇福寺が整備されていったことがわかる。(リンク先より) << 戻る
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地蔵院-静岡県浜松市南区

・地蔵院 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区高塚町4516護法山 地蔵院(臨済宗方広寺派大通末)は明徳元年(1390)に元道円密和尚により創建されました。元道円密和尚は、後醍醐天皇の子 宗良親王と共に遠州に入った公家出身の武士であり、親王が元中二年(1385)に亡くなると出家して当地高塚に庵を結んだとされています。(リンク先より) << 戻る
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称讃寺-奈良県橿原市

・称讃寺 浄土真宗本願寺派 奈良県橿原市和田町15-25当寺は南北朝時代の終期・明徳元年(1390年)に惣道場として建立されました。 以来、地域のご門徒方と共にお念仏の声を現在まで受け継いで参りました。(リンク先より) << 戻る
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法蔵寺-栃木県日光市

・法蔵寺 浄土宗 栃木県日光市大桑町270法蔵寺は、正式には「真命山 心光院 法蔵寺」といいます。宗旨は浄土宗です。開創は、康応元年(1389年)10月です。日本国を二分した南北朝の戦いの折、南朝方に味方して敗れた「新田義貞公」の孫(義宗の子)良徳という方が、一族の菩提を弔うために仏門に帰依し僧侶となり、はるかに下向して下野国倉ヶ崎村(現在の日光市倉ヶ崎)に寺院「心光院」を建立したのが始まりと伝えられます。(リンク先より) << 戻る
人物

善如(ぜんにょ)

南北朝時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第4世宗主・真宗大谷派第4代門首。大谷本願寺住職。諱は俊玄。法印権大僧都。父は従覚(第3世覚如の次男)。第5世綽如は子。生誕 正慶2年2月2日(1333年2月24日)命日 康応元年2月29日(1389年4月4日)<< 戻る
人物

義堂周信(ぎどうしゅうしん)

義堂周信とは、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧侶です。「義堂」は道号、「周信」は法名であり、別に「空華道人」とも号します。著作に『義堂和尚語録』『空華集』『空華日用工夫略集』など多数あります。高知県高岡郡の生まれで、1338年(14歳)、剃髪し、はじめ台密を学びます、後に禅宗に改宗し上京し夢窓疎石の門弟となり、このとき「周信」と安名されました。1359年(延文4年)に幕府が関東地方の統治のために設置した鎌倉公方の足利基氏に招かれて鎌倉へ下向し、1380年(康暦2年)まで滞在しました。基氏や関東管領の上杉氏などに禅宗を教え、基氏の没後に幼くして鎌倉公方となった足利氏満の教育係も務めました。この...
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甘露寺-静岡県駿東郡

・甘露寺 曹洞宗 静岡県駿東郡小山町菅沼681寺伝によると、甘露寺が菅沼のツウジハナの地に建立されたのは、嘉慶かけい元年(1387)といわれています。この年は、南北朝統一の5年前、南北朝分裂の時代【建武2年(1335)~元中9年(1392)の57年間】の末期にあたります。開基は、大楠公楠木正成くすのきまさしげ公の孫に当る、楠木正勝まさかつ公と伝えられています。正勝公は若く血気盛んな頃に、南朝方の武将として吉野山の西部十津川方面で戦いました。その敗色のこい戦いで、人間の運命のはかなさを知り、仏門に帰依きえし、正巌徳勝和尚しょうがんとくしょうおしょうとなり、ここ駿河国御厨みくりや郷菅沼ツウジハナの...
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鎌倉の五山 ~五山制度と臨済宗~

インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきました。五山制度は時の権力者、幕府が寺を格付け管理するための制度であり、権力者が変われば五山も変わるという具合でしたが、1386(至徳3)年、室町幕府三代将軍足利義満によって、最終的な五山が決定され、南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山が決定しました。建長寺(けんちょうじ)鎌倉五山の第一位。鎌倉幕府第五代執権北条時頼が宋僧・蘭渓道隆をむかえ、1253(建長5)年に開かれた寺院で、建物は南宋の径山万寿寺を模した本格的な禅宗様式です。円覚寺(えんがくじ)鎌倉五山の第二位。鎌倉幕府第八代執権北条時宗が...
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願成寺-岩手県一関市

・願成寺 曹洞宗 岩手県一関市釣山31山号は「白馬山」寺号は「願成寺」。正法寺二世月泉大和尚九番目の弟子、梅栄元香大和尚によって至徳二年(1385)四月八日に開山されました。はじめは前渓山と号し、寺領十石、享保九年(1724)に現在の白馬山と改められました。(リンク先より) << 戻る
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西福寺-静岡県浜松市浜北区

・西福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区平口523至徳二年1385年の棟札が有ったことから、その頃にはこの地に開かれていたと思われます。その後文安元年1444年 浜松市北区、大本山方廣寺開山 無文元選禅師円明大師を開山に請じ現在に至ります。(リンク先より) << 戻る
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東顕寺-岩手県盛岡市

・東顕寺 曹洞宗 岩手県盛岡市名須川町2-1松峰山東顕寺は至徳元年(1384)古山 良空 大和尚によって開創された寺院です。開基は、福士五郎政長 公です。福士氏は南部氏が盛岡に築城する以前から、この一帯の警備を任せられていた武士でした。(リンク先より) << 戻る
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方広寺派(本山方広寺(静岡))の開派

南朝 : 弘和4、元中元・北朝 : 永徳4、至徳元(1384)年、無文元選禅師により始まる。臨済宗方広寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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円通寺-兵庫県丹波市

・円通寺 曹洞宗 兵庫県丹波市氷上町御油983円通寺は、南北朝時代永徳二年(1382年)の正月に、時の将軍足利義満が、後円融天皇の勅命を奉じて創建しました。今日まで六百余年の歳月を経た、禅宗の古刹です。室町時代から江戸末期まで、二百余の末寺院と一千石を越える寺領を有りし、丹波はもとより但馬、播磨、攝津にかけて君臨していました。(リンク先より) << 戻る
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相頓寺-埼玉県上尾市

・快楽山安養院相頓寺 浄土宗 埼玉県上尾市五番町14-2当山は、正式には快楽山安養院相頓寺(けらくさんあんよういんそうとんじ)といいます。永徳二年(1382)に円蓮社聖満良順(えんれんじゃしょうまんりょうじゅん)上人によって開山されました。上人は、現在の大本山である鎌倉光明寺の第四代を勤めた後にこの原市の地に当寺を開山したとされています。(リンク先より) << 戻る
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泉蔵寺の創建

『風土記稿』では永徳二(1382)年に寂した法印慶誉寂心房を開山としている。清澤山地蔵院泉蔵寺といい、宗旨は真言宗智山派で、本尊は木坐像の地蔵尊。近世においては石神井三宝寺の末寺であり、一時は蕨市の三学院の末寺となったこともあるが、現在においては京都の大本山智積院の直末となっている。(「朝霞市史」より)
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日什上人、法華経弘通に邁進

1381年(永徳元年)、上洛して第一回の奏聞をし、洛中弘通の綸旨を賜り二位の僧都に叙せられました。翌年、鎌倉にて関東管領足利氏満に宗義を直訴しました。その時、同地埋橋に本興寺を創建しました。同年上洛し第二回の奏聞をしました。<< 戻る
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日什上人、「開目抄」と「如説修行抄」を読み日蓮宗門下に

天授5(1379)年〔北朝康暦元年〕66歳の時、日蓮大聖人の「開目抄」と「如説修行抄」を読んで永年の疑問を解決することになり、名を「日什」と改め、翌67歳の時、日蓮宗の門に下り千葉下総真間弘法寺に帰伏して、真間能化となりました。しかし、感ずるところあって「経巻相承直授日蓮」と称しました。それは門下のどこにも従わず、仏祖及び宗祖の御意志に沿って法華経の弘通の大願に邁進することでした。<< 戻る
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足利義満が室町邸(花の御所)に移る

1378年、足利義満が室町邸(花の御所)に移る。<< 戻る
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蓮華寺-福島県会津若松市

・蓮華寺 浄土真宗本願寺派 福島県会津若松市昭和町1-10永和4/天授4~嘉慶元/元中4(1378~1387)年、僧・仁範が蓮華寺を草創。勝曼山。<< 戻る
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向嶽寺派(本山向嶽寺(山梨塩山))の開派

南朝 : 天授4・北朝 : 永和4(1378)年、抜隊得勝禅師により始まる。臨済宗向嶽寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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長昌寺-長野県上田市

・長昌寺 臨済宗妙心寺派 長野県上田市長瀬2604永和三年、佐久市安原安養寺中興正眼智鑑禅師大歇勇建和尚の開創と伝わる。その後、250年以上の永きに渡り住持するものがなく堂宇頽廃す。正保元年(1644)に鎌倉建長寺より雲峰和尚が現在の地に再興し、當寺第一世となる。元禄二年(1689)に第三世國全和尚が遷化したのち、再び無住となり荒廃す。この間、佐久安養寺に属し、享保九年(1724)妙心寺派となる。 江戸牛込の済松寺より洪勳成満禅師頑石慧堅和尚が来て當寺第四世伝法開山となって後は寺門も興隆し、現在に至る。(リンク先より)※永和三年 1377年<< 戻る
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禅源寺-愛知県稲沢市

・禅源寺 臨済宗妙心寺派 愛知県稲沢市稲葉1-6-2永和2(1376)年、南禅寺四十七世、太清禅師の建立と伝えられます。室町時代中期、京都の相国寺鹿苑院の蔭涼軒主による公用日記「蔭涼軒日録」に寺名が記されるなど、いにしえより人々の心の拠り所として知られる場に。(リンク先より) << 戻る
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瀧谷寺-福井県坂井市

・瀧谷寺 真言宗智山派 福井県坂井市三国町滝谷1-7-15南北朝時代の永和元(1375)年、睿憲上人によって開山されました。中世には、戦国大名の朝倉氏や柴田勝家、福井藩主の松平家、丸岡藩主の有馬家ら、歴代領主の祈願所として、当寺は篤い帰依と保護を受けました。(リンク先より) << 戻る
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養円寺-愛知県蒲郡市

・養円寺 曹洞宗 愛知県蒲郡市相楽町上6天授元年(1375年)に天台宗として創建され、その後戦火で伽藍の全てを焼失したが、文禄4年(1595年)にこの地にゆかりの深い御開山鶴翁芳宿大和尚様が曹洞宗として再建された。(リンク先より) << 戻る