室町時代

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徳本寺-宮城県亘理郡

・徳本寺 曹洞宗 宮城県亘理郡山元町坂元字寺前13嘉吉元年(1441) 岩代国伊達郡大枝村(福島県梁川町)に地頭・大條孫三郎宗行おおえだまごさぶろうむねゆきが建立元和2年(1616) 大條家の移封により 宮城県山元町坂元白小路に移転建立(リンク先より) << 戻る
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円照寺-兵庫県加古川市

・円照寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県加古川市志方町広尾1029寺号 月輪山円照寺本尊 阿弥陀如来像開基 嘉吉元年(1441年)現場所への移築 平成10年(1998年)(リンク先より) << 戻る
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重玄寺-岡山県井原市

・重玄寺 臨済宗佛通寺派 岡山県井原市芳井町吉井2035-1その昔芳井町天神山には、行基菩薩作の観世音菩薩を祀る庵があった。そこに1441(嘉吉元)年 千畝周竹禅師を開山、足利義将を開基とし、公方祈願所として創建。(リンク先より) << 戻る
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輪王寺-宮城県仙台市青葉区

・輪王寺 曹洞宗 宮城県仙台市青葉区北山1-14-1輪王寺は、嘉吉元年(1441年)、伊達家九世政宗の夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、十一世持宗が、太菴梵守和尚を開山として福島県梁川に創建されました。政宗夫人は、三代将軍足利義満の生母の妹に当たるため、六代将軍義教は、後花園天皇に奏請し、「金剛寳山輪王禅寺」の額を賜りました。(リンク先より) << 戻る
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法泉寺-静岡県掛川市

・法泉寺 曹洞宗 静岡県掛川市上西郷5076永享12年(1440年)舂屋宗能大和尚が草創したと伝えられます。境内は広く、市の文化財に指定されている石塔や滝、青々と葉を付けた木々が趣深い雰囲気を醸し出しています。春は一面の桜、秋は鮮やかに色をつけた紅葉が大変見事で、地元の名所としても人気です。(リンク先より) << 戻る
年表

上杉憲実が足利学校を再興

1439年、上杉憲実が足利学校を再興する。<< 戻る
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大蓮寺-新潟県燕市

・大蓮寺 真宗仏光寺派 新潟県燕市中島628開基   永享10年(1438)創立本尊   阿弥陀如来木造立像開基釈敬貞法師四世三潮のとき寺号公称す。以前は東本願寺末のところ貞享三年(1686)佛光寺派に転ず。(リンク先より) << 戻る
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長泉寺-宮城県角田市

・長泉寺 曹洞宗 宮城県角田市角田字長泉寺69曹洞宗長泉寺は、高源山または六国峯と号し、千葉県市川市総寧寺を本寺とする東北屈指の名刹です。磐城国三芦城主・石川持光公を開基とし、即庵宗覚禅師を開山として永享8年(1436年)現・福島県石川町に創建されました。(リンク先より) << 戻る
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持経寺-大阪府豊能郡

・持経寺のホームページ 法華宗(真門流) 大阪府豊能郡能勢町地黄618-1当寺は、はじめ永持庵、又は智海坊とも称し永享8年(1436)頃に創立されたものと伝えられているが、何時頃か不詳である。 而して天正元年(1573)頃に、多田満仲の末裔、能勢長左衛門頼高が現在の地に移転再興し、開山に総本山開祖日真の弟子智願 院日がんを招せり。(リンク先より) << 戻る
人物

満済(まんさい)- 『満済准后日記』(まんさいじゅごうにっき)

満済とは、南北朝時代から室町時代中期にかけての醍醐寺の僧侶。僧としては破格の准三后を授かったことから、満済准后、法身院准后、三宝院満済としても知られます。安土桃山時代の義演准后と並んで醍醐寺中興の祖として知られます。また、具注暦の裏にその日の出来事を記録しておいた『満済准后日記』(『法身院准后記』)で、応永18年(1411年)から入滅の年までの記事があり、自筆本も伝わり(現在は醍醐寺と国立国会図書館蔵。共に、重要文化財)、当時の政治情勢が克明に記録していることから、室町時代の極めて重要な史料となっています。父は関白二条兼基の子・良冬を始祖とする従一位・権大納言今小路基冬。母は聖護院房官法印源意...
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龍光寺-三重県鈴鹿市

・龍光寺 臨済宗東福寺派 三重県鈴鹿市神戸石橋町2-20-8町時代、応永29年(1433年)11月29日の深夜、伊勢湾の方より奇異なる霊光が飛び來り当山の旧跡地西条の沢山に至って消えること15日間に及んだ。ときの神戸かんべ城主は神戸家二代実重で、伊勢国司北畠満雅が称光天皇に奉上し帝これを占わしめると、東海龍王の瑞光であるから此地へ禅寺を建立して国家安泰を祈るべしとのことであった。天皇は満雅を開基とし、神戸実重を普請奉行として天澤山龍光寺を創建した。(リンク先より) << 戻る
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浄泉寺-愛知県名古屋市緑区

・浄泉寺 真宗高田派 愛知県名古屋市緑区鳴海町字上中町9開基永亨四年(1432年)の浄泉寺は名古屋市緑区鳴海の風光明眉な高台にあり、静かな環境の中にあって親鸞聖人の説かれた真宗高田派の教義を今にお伝えしております。(リンク先より) << 戻る
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香仙寺-茨城県常陸太田市

・香仙寺 浄土宗 茨城県常陸太田市松栄町615香仙寺は、茨城県常陸太田市にあり、永享4年(1432)に開創された浄土宗の寺院です。茨城県指定文化財の直牒洞があり、県指定天然記念物のシイの木が、静かな境内にそびえたっています。(リンク先より) << 戻る
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高建寺-秋田県由利本荘市

・高建寺 曹洞宗 秋田県由利本荘市矢島町立石上野1201427年(応永三十四年)、傑堂能勝禅師(けつどうのうしょうぜんじ)によって開創されました。本寺は新潟県村上市耕雲寺。能勝禅師は、かの建武の中興の知将、楠木正成の四男正儀(まさのり)の嫡男で正能(まさよし)である。(リンク先より) << 戻る
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嶺宿山専徳寺-広島県呉市

・嶺宿山専徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県呉市広長浜3-13-211429年(応永27年)臨済宗仏通寺派を開いた愚中禅師が、この地を見て気に入り、寺院建立をすすめているとき、本郷沼田城主 小早川熈平が戦死者の冥福を祈ると共に、支配の及ぶ拠点として、この地に「嶺宿山専徳院」を建立。(現在の観音堂付近)(リンク先より) << 戻る
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常福寺-兵庫県川西市

・常福寺 真言宗御室派 兵庫県川西市山原2-14-6常福寺は、兵庫県川西市山原の地にあります。山号を「星山」 寺名を「常福寺」と称します。正長元年(1428)能勢 高代寺の僧 快清上人が修行道場として開山。(リンク先より) << 戻る
年表

正長の土一揆

1428年、正長の土一揆が起こる。近江国の馬借が徳政令を要求して起こした。大規模な一揆の最初。<< 戻る
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茂林寺-群馬県館林市

・茂林寺 曹洞宗 群馬県館林市堀江町1570青龍山茂林寺。分福茶釜の寺として知られる当山は、 応永三十三年(1426年)、大林正通大和尚によって開山された曹洞宗寺院です。(リンク先より) この茂林寺はおとぎ話「ぶんぶく茶釜」の寺として広く知られており、総門から山門に続く参道では21体の信楽焼の狸像が参拝客を出迎えてくれる他、山門をくぐると1960年に東武鉄道が寄贈した巨大なタヌキ像が待っています。<< 戻る
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近龍寺-栃木県栃木市

・近龍寺 浄土宗 栃木県栃木市万町22-4当山は室町時代の応永28年(1421)に、浄土宗の僧侶である良懐上人によって創建され、 当初は宿河原(現在の栃木市城内町)にあって称念寺と号しておりました。(リンク先より) << 戻る
年表

蓮如(兼寿)誕生

1415(応永二二)年2月、蓮如(兼寿)誕生。<< 戻る
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本能寺-京都府京都市中京区

本能寺 法華宗(本門流) 京都府京都市中京区寺町通御池下る1415年 妙本寺の綱紀の粛清に努めていた日隆聖人が、その志を遂げられず妙本寺を去り、油小路高辻と五条坊門の間の地に寺門を開き本応寺と号した1582年 本能寺の変にて焼失。信長公自害(リンク先より) << 戻る
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宗徳寺-青森県弘前市

・耕春山宗徳寺 曹洞宗 青森県弘前市西茂森1-12-3明治三十七年発行の金澤明覧を見ると、「(室町時代の)応永二十一年、加賀能美郡粟津庄・若松城主家臣時国新宮、粟津庄ニ創建、玉窓良珍ヲ開祖トナス。文禄十二年、小幡九平、其父菩提ノ為ニ現地ニ再建シ六月移ル」「直末十二ヵ寺、孫曾孫を合スレバ九百三十二ヵ寺ヲ有ス。中林文英(曹洞宗大学校出身)現住タリ」と伝えている。尚宗徳寺は、当初龍谷寺(龍国寺とも)として開山され、後に宗徳寺と改められている。(※応永二十一年は一四一四年、文録十二年は安土桃山時代の一六〇三年、現地とは金沢市のこと)。(リンク先より) << 戻る
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西念寺-岡山県備前市

・西念寺 浄土真宗本願寺派 岡山県備前市日生町日生980応永年間(1414)頃 日生寺院=西念寺の前身できる文安年間(1444)頃 日生村長智寺(真言宗)の記録あり(那智熊野山文書) 中円坊か延徳年間(1490)頃 播州一帯に蓮如上人布教、日生寺院「六字名号」下附、一向宗に転ず(リンク先より) << 戻る
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弘経寺-茨城県常総市

・弘経寺 浄土宗 茨城県常総市豊岡町甲1弘経寺は、正式名称を『寿亀山天樹院弘経寺』と称し、応永21年(1414年)嘆誉良肇上人によって創建されました。室町時代には関東浄土宗の中心寺院として栄え、多くの学僧を世に送った有力寺院でありました。(リンク先より) << 戻る
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大寧寺-山口県長門市

・大寧寺 曹洞宗 山口県長門市深川湯本1074開創 室 町 時 代 応永十七年(1410年)開山:石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師開基:長門守護代 鷲頭弘忠(わしのうずひろただ)公(リンク先より) << 戻る
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関興寺-新潟県南魚沼市

・関興寺 臨済宗円覚寺派 新潟県南魚沼市上野267開創は応永17年(1410年)で覚翁祖伝和尚が開基す。覚翁は上杉憲顕の子。駿河に生まれ、諸方を歴参後、白崖宝生和尚に参じて嗣法、上山の地に一宇を建て、白崖和尚を請じて開山とし自らその次位となる。以来関東管領上杉家菩提寺として法灯は栄え、二世不蔵和尚の頃上田長尾氏、鎌倉公方足利持氏の帰依厚く、永享8年(1436年)寺領永楽百二十貫文並びに、境内山林一里余りの御朱印地を給せらる。(リンク先より) << 戻る
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浄光寺-長野県上高井郡

・浄光寺 真言宗豊山派 長野県上高井郡小布施町雁田676浄光寺は国の重要文化財にしていされている薬師堂(室町初期1408年建立)があり、2008年で建立満六百年を迎えました。今では基調な茅葺屋根も2007年に葺き替え工事を行い綺麗になりました。また縁結びのお薬師さんとしても親しまれ若い男女も多く訪れています。(リンク先より) << 戻る
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養國寺-愛知県西尾市

・重蔵山 養國寺オフィシャルホームページ 浄土宗西山深草派 愛知県西尾市寺津町東市場48創建 応永15年3月(1408年 室町時代初期)開山上人 閑叟乗玄 (かんそうじょうげん)上人本尊 阿弥陀如来(リンク先より) << 戻る
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海潮寺-山口県萩市

・海潮寺(なるほど法話 海潮音) 曹洞宗 山口県萩市北古萩50開創は応永15年(1408)、開山は不見明見。もと石見国温泉津(現、島根県邇摩郡温泉津町)に湯津山海蔵寺が建立されたことに始まる。のち毛利輝元の防長移封に際し、慶長12年(1607)、第12世大佐のとき萩に移り、山号・寺号を現在のものに改めた。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

竪精論議始まる(けんせいろんぎ)

応永十四年(1407年)5月3日、二者対立して論議の勝敗をあらそう竪精論議始まる。竪精(りっせい)とは、高野山の僧侶が履修する「学道」と呼ばれる真言教学について研鑽する一連の儀礼の一つで論議の方式を言います。僧侶の研究精神を高める、また天皇や先覚者への供養などのために、奈良興福寺で行われていた論議を導入し初めて行われました。以来、例年、旧暦の5月3日に行われています。この竪精の論議は、高野山に住む僧侶の序列、検校法印を最高位として昇進する課程における重要な関門、いわば試験とも言えます。論議では弟子役の竪義(りゅうぎ)と呼ばれる僧侶が師役の精義と呼ばれる僧侶に対し、難題を問うてその解答を求めます...
人物

絶海中津(ぜっかいちゅうしん)

絶海中津とは、南北朝時代から室町時代前期にかけての臨済宗の禅僧・漢詩人。道号は絶海のほかに要関、堅子、蕉堅道人など多数あります。 中津は諱。足利義満・足利義持などの二代の将軍をはじめ、多くの有力な守護大名、また朝廷においても伏見宮栄仁親王らの帰依を受け、臨済宗夢窓派の発展に寄与しました。四六文の作法を明から日本へ伝え、五山禅林に流布させました。後小松天皇や称光天皇らも中津に帰依した人物の一人であり、その死後に前者は仏智広照国師、後者は聖国師という勅命による追贈を行ないました。また、『絶海和尚語録』や『蕉堅藁』(詩文集)などの著作が伝わっています。生誕 建武元年11月13日(1334年12月9日...
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誕生院-佐賀県鹿島市

・誕生院 新義真言宗 佐賀県鹿島市大字納富分2011誕生院は真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の誕生の地に建てられた寺院です。後亀山天皇の明徳年中足利三代将軍義満公の発願により、後小松天皇の応永十二年沙門定成上人によって創建されたもので、堂塔完備の大伽藍であったことが想像されますが、戦国時代永禄元年兵火に罹って廃滅。(リンク先より)※応永十二年 1405年 << 戻る