如意輪観音

仏教を本気で学ぶ

如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)

如意輪観音菩薩は、如意輪菩薩、如意輪観世音菩薩、大梵深遠観音、救世菩薩などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、チンターマニチャクラ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、チンターマニとは「全ての願いを叶える如意宝珠」、チャクラとは「煩悩を破壊する仏法の象徴である法輪」の意味です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。坐像または半跏像で、片膝を立てる六臂の坐像とする姿が多いようですが、二臂の半跏像もあります。六観音の1つでも表さ...
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圓通寺-香川県綾歌郡

・圓通寺 真言宗御室派 香川県綾歌郡宇多津町1263当山は、今より約700年前宥弘法印が、観世音菩薩の夢告げにより、青の山の東麓観音山に七間四面の本堂並びに伽藍を建立し、聖如意輪観世音菩薩を本尊としてまつられ、青松山観音院圓通寺と称しました。(リンク先より) << 戻る
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清水寺-長崎県長崎市

・清水寺 真言宗霊雲寺派 長崎県長崎市鍛冶屋町8-43京都の清水寺より、 全国巡錫を経て長崎に辿りついた慶順は、信心修行を怠らず布教に努め、その説法を聞き観音様に帰依する者も多かったと言われています。慶順は長崎奉行の長谷川権六より長崎での寺院建立の敷地を与えることを約束され、然るべき土地を得て寺院を建立できるよう千手観音に祈願。するとある夜、東の方角に白く輝く雲のようなものが立ち昇っている光景を目にします。夜明けを待ってその不思議な場所へ行ってみると、そこには一つの大石があり、その大石からは光が発せられていました。慶順は観音様のお導きと喜び、この地に念願の堂宇を建立し京都清水寺と同様、檀家を持...
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大龍寺-兵庫県神戸市中央区

・大龍寺 東寺真言宗 兵庫県神戸市中央区再度山1清麿公は、一連の不思議な出来事はこの地に彼の観音様をお祀りする寺院を建立せよとの仏さまの思し召しであると気づき、早速に上奏して、勅許を賜り、一寺建立され聖如意輪観世音菩薩を本尊として伽藍を整えました。 寺号は龍身示現の観音さまの徳を讃える意味も含めて大龍寺と定めました。山号はこの時点では夢見の摩尼宝珠(まにほうしゅ)を讃嘆する意味で摩尼山と号しておりました。(リンク先より)<< 戻る
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青岸渡寺-和歌山県東牟婁郡

・和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地・第三十三番 ⇒ 西国三十三所 第一番 那智山 青岸渡寺 ⇒ 第二番開基は裸形上人。本尊は如意輪観世音菩薩。那智山は熊野三山の一つ。熊野信仰の霊場として長い歴史がある。もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離した。今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する人が多い。<< 戻る
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金倉寺-香川県善通寺市

・金倉寺 天台寺門宗 香川県善通寺市金蔵寺町1160・75番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第76番札所 鶏足山 宝幢院 金倉寺 ⇒ 77番札所金倉寺の創建は宝亀5年(774)、弘法大師さま誕生の年に、 和気道善(わけのどうぜん)が等身の如意輪観音像を刻み、 一堂を建立してお祀りしたことに始まります。 このお堂は自在王堂と名付けられ、道善の子である宅成(やかなり)によって、 道善寺と改められました。 この宅成の長子が智証大師さまです。(リンク先より)<< 戻る
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観心寺-大阪府河内長野市

・観心寺・公式ホームページ 高野山真言宗 大阪府河内長野市寺元475観心寺は、文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称される。(リンク先より) << 戻る