奈良県奈良市(真言律宗)

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元興寺-奈良県奈良市

・元興寺 真言律宗 奈良県奈良市中院町11日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、蘇我氏寺から官大寺に性格を変え、新築移転されたのが、元興寺(佛法元興の場、聖教最初の地)です。(リンク先より) << 戻る
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不退寺-奈良県奈良市

・不退寺 真言律宗 奈良県奈良市法蓮東垣内町517 『大和國金龍山不退寺縁起』によると、第51代平城天皇は大同4年(809)に弟の嵯峨天皇に御譲位され、平城京の北東の地に萱葺きの御殿を造営、「萱の御所」と呼称された。その後、第1皇子阿保親王とその第5子在原業平朝臣が共に居住せられ、業平朝臣は承和12年(845)仁明天皇の詔を奉り、承和14年(847)平城天皇の旧居を精舎に改め、自ら聖観音像を刻まれ、父阿保親王の菩提を弔うと共に衆生済度の為に「法輪を転じて退かず」と発願し、金龍山不退転法輪寺と号して仁明天皇の勅願所となった。略して不退寺、業平寺とも呼ばれる。(リンク先より) << 戻る
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西大寺-奈良県奈良市

・西大寺 真言律宗 奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5天平宝字8年(764)9月11日、藤原仲麻呂(恵美押勝)の反乱の発覚に際して、孝謙上皇はその当日に反乱鎮圧を祈願して、『金光明経』などに鎮護国家の守護神として登場する四天王像を造立することを誓願されました。翌年の天平神護元年(765)に孝謙上皇は重祚して称徳天皇となり、誓いを果たして金銅製の四天王像を鋳造されました。これが西大寺のそもそものおこりです。(リンク先より) << 戻る
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般若寺-奈良県奈良市

・般若寺 真言律宗 奈良県奈良市般若寺町221般若寺は飛鳥時代、高句麗の慧灌法師によって開かれた。都が奈良に遷って天平7年(735年)、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため『大般若経』を塔の基壇に収め卒塔婆を建てられたのが寺名の起こりとされる。(リンク先より) << 戻る
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海龍王寺-奈良県奈良市

・海龍王寺 真言律宗 奈良県奈良市法華寺町897伝承では天平3年(731年)、光明皇后の発願で建立され、僧・玄昉が初代住持となったというが、このことは正史に記載がなく、創建時期や事情について正確なところはわかっていない。 << 戻る